市民投票網と白鷺局の亡霊
王都全域に設置された端末が、一斉に白い光を放った。
```text
《王都存続担保契約》緊急共同審査
投票状況:
賛成 18,402票
反対 21,775票
保留 3,109票
残り時間:29分31秒
```
数字は、数秒ごとに変動していた。
王都中央裁判所の地下から伸びた投票網は、街路の掲示板、商会の記録端末、十六村の共同端末へと接続されている。
だが、その網の一部に黒い斑点が広がり始めた。
```text
警告。
投票記録の一部に改ざん痕跡を検出。
不正署名:白鷺局・第七記録班
```
「やっぱり来たか!」
ザックが端末を叩いた。
画面の中で、いくつもの投票が別の内容へと書き換えられていく。
反対票が賛成票へ。
保留票が無効票へ。
さらに、投票していない市民の名前まで勝手に登録されていた。
「これは単なる妨害じゃない。投票そのものを信用できなくするつもりだ」
エドガーが黒い原簿を開きながら言った。
「市民が結果を疑えば、断環会は『共同体による承認が成立しなかった』と主張できる」
セラは保管庫の入口を睨んだ。
「その隙に強制執行を通す。卑劣なやり方ね」
「制度を壊すのに、剣はいらない」
悠真は投票網の中心接続部へ向かう階段を下りながら答えた。
「記録を信じられなくすれば、人は自分の判断を手放す。断環会が欲しいのは王都そのものじゃない。市民が諦める瞬間だ」
階段の先には、巨大な円形の空間が広がっていた。
中央には、無数の光の線が集まる認証核が浮かんでいる。
その周囲を、白い仮面をつけた十数人の男女が取り囲んでいた。
白鷺局の残存部隊。
全員が同じ灰色の外套をまとい、胸元には羽根を模した銀の徽章をつけている。
「ユウマ・カガミ」
中央に立つ男が、仮面を外した。
痩せた顔に、深い傷跡が走っている。
「白鷺局記録班長、オルド・ミレイだ。十二年前、お前の記憶封印に立ち会った一人でもある」
悠真の足が止まった。
「……俺の記憶を封じた時に?」
「ああ。お前は制度を消すつもりだった。だが、救済された者たちの記録を見て、最後の命令を撤回した」
オルドは淡々と続けた。
「我々は、その迷いを弱さと判断した。制度は人間を救うためにあるのではない。人間を分類し、従わせるためにある。そうでなければ、国家は維持できない」
「その結果が、十二年間の不正と弾圧か」
「秩序を維持するには、犠牲が必要だ」
オルドが手を掲げる。
白鷺局員たちの端末から、無数の黒い文字列が放たれた。
投票網へ侵入していた偽造記録が、さらに増殖していく。
```text
市民投票の信頼性:低下
未認証票:12.7%
改ざん疑惑票:8.4%
判定保留の可能性:上昇
```
「このままでは、過半数が成立しても結果そのものが無効になる」
悠真の耳元で、共同証明の音声が響いた。
だが、彼は認証核へ近づこうとはしなかった。
「オルド。お前たちは、投票を改ざんしているんじゃない」
「何?」
「投票の意味を改ざんしている」
悠真は周囲を見渡した。
「この投票は、誰が勝つかを決めるためのものじゃない。市民が、自分の記録を自分で確認し、契約の内容を理解したうえで選ぶためのものだ」
「綺麗事だな」
「だから、記録を隠す必要があるのか?」
オルドの表情がわずかに歪んだ。
悠真は認証核へ手を伸ばした。
```text
共同証明を再構成します。
投票結果のみを保存する方式から、
投票に至るまでの確認履歴を保存する方式へ移行します。
各投票者について記録する項目:
・契約全文の閲覧履歴
・債務内訳の確認履歴
・投票内容
・投票時刻
・共同証明者
```
「なっ……!」
オルドが声を荒げた。
「それでは、全ての投票者の確認履歴が公開される!」
「個人の投票内容は公開しない。だが、契約を読んだか、債務の根拠を確認したかは証明する」
悠真は端末に新たな条件を表示した。
```text
確認履歴を持たない投票:
即時無効化せず、再確認待ちとして保留
改ざんされた投票:
原記録と照合し、変更履歴を公開
未投票者の偽造票:
本人認証により自動削除
```
黒い斑点が、光の線に押し戻されていく。
書き換えられていた票が次々と元に戻り、偽造された名前が消えていった。
「投票を消すのではなく、改ざんの過程を記録する……」
エドガーの声が通信越しに響く。
「それなら、誰が何をしたのか、後からでも検証できる」
「そうだ。記録の正しさを、管理者の宣言に依存させない」
悠真はオルドを見つめた。
「お前たちが奪おうとしたのは、投票結果じゃない。検証する権利だ」
白鷺局員の一人が、短剣を抜いて駆け出した。
ノアが間に割って入り、刃を受け止める。
金属音が地下空間に響いた。
「ここから先へは行かせない!」
別の局員がザックへ迫る。
ザックは端末を抱えたまま身をかわし、床に転がった。
「俺は戦えないんだよ!」
「なら、記録を守れ!」
セラの声が通信から飛ぶ。
「十六村から応援が到着したわ。各村の代表者が、共同証明の中継を始めている!」
投票網に、新たな光点が次々と灯った。
```text
共同証明者を確認。
第一村:認証
第二村:認証
第三村:認証
……
第十六村:認証
分散照合網、稼働。
```
それぞれの村が、自分たちの保有する原本記録を投票網へ接続していく。
王都中央の一つの記録ではなく、十六村と市民が持つ複数の記録。
誰か一人が書き換えても、他の記録が異常を証明する。
オルドは認証核を見上げた。
「こんなものは制度ではない……。誰も全体を支配できないなら、責任を取る者もいなくなる」
「違う」
悠真は答えた。
「責任の所在を一人に集中させない。だからこそ、逃げ道も一人では作れない」
オルドは懐から小さな黒い結晶を取り出した。
その瞬間、認証核の中心に亀裂が走る。
```text
最終侵入鍵を検出。
権限:旧制度・第一管理者補佐
使用者:オルド・ミレイ
```
悠真の顔色が変わった。
「それは、十二年前の管理者鍵か」
「ああ。お前が封印した権限の一部だ」
オルドが結晶を握り潰す。
空間全体が暗転した。
投票網の表示が消え、すべての端末に一つの警告が浮かび上がる。
```text
旧管理者権限による緊急停止を実行。
共同審査を中断します。
```
王都中から、困惑の声が上がった。
残り時間は、あと二十一分。
悠真は暗闇の中で、かつて自分が封じた権限の気配を感じていた。
消したはずの過去が、再び彼の前に立ちはだかっている。
「ユウマ!」
ノアの声が響いた。
「どうする? このままじゃ投票が止まるぞ!」
悠真は目を閉じた。
管理者権限を取り戻せば、投票網を強制的に再起動できる。
だが、それは再び一人の人間に全ての権限を集中させることを意味する。
彼は、ゆっくりと首を振った。
「権限は使わない」
「じゃあ、どうするのよ!」
セラの声が震える。
悠真は暗闇の中、認証核ではなく、周囲の端末へ手を向けた。
「市民全員に、停止命令そのものを見せる」
```text
停止命令の全文を公開します。
旧管理者権限による緊急停止:
発令者、権限、時刻、対象範囲を全端末へ配信。
```
闇の中に、停止命令の内容が浮かび上がった。
発令者はオルド。
使用された鍵は、十二年前に失効していた補佐権限。
停止対象は、王都全域の共同審査。
そして、命令の末尾にはこう記されていた。
```text
市民による審査を経ず、旧管理局の判断のみで処理する。
```
静まり返っていた投票網に、最初の光点が戻った。
```text
第一村・共同証明:
停止命令は原初契約に違反する。
審査継続を要求。
```
続いて、第二村、第三村の証明が表示される。
やがて王都各区の端末にも、同じ文章が現れた。
```text
市民審査を継続します。
停止命令を無効とします。
```
黒い闇に、無数の光が灯っていく。
オルドは呆然と立ち尽くした。
「命令を……市民の証明で覆しただと?」
「命令が正しいかどうかを決めるのは、命令を出した人間じゃない」
悠真は彼を見据えた。
「記録を見た全員だ」
投票網が再起動する。
```text
共同審査を再開します。
投票状況:
賛成 312,845票
反対 287,109票
保留 64,202票
残り時間:20分04秒
```
しかし、その直後。
王都中央から、巨大な鐘の音が鳴り響いた。
地下保管庫の壁面に、新たな赤い表示が浮かび上がる。
```text
断環会による契約執行を確認。
行政区画の一部を接収します。
接収開始まで:60秒
```
レオニス・ヴァルガが、最後の手段に出たのだ。
悠真は、仲間たちへ向き直った。
「投票だけじゃ間に合わない」
「何をするの?」
セラが尋ねる。
悠真は王都中心部へ続く地上階段を見上げた。
「断環会の執行装置を止める。市民の判断が出るまで、王都を守る」
ノアが剣を抜く。
「ようやく、俺の出番だな」
ザックは震える手で端末を握り直した。
「俺は投票網を維持する。だから、必ず戻ってこいよ」
悠真は一度だけ頷いた。
「戻る。今度は、誰か一人が背負うんじゃない」
彼らは階段を駆け上がった。
その先では、王都行政区画の空が黒く染まり、巨大な環状紋がゆっくりと回転している。
断環会の強制執行が始まった。
そして、レオニスの声が王都全域へ響き渡る。
『市民諸君。諸君らの投票が終わる前に、契約は履行される』
悠真は黒い空を見上げた。
「なら、履行される前に止める」
残り時間は、十九分。
王都の存続を懸けた最後の攻防が、始まった。




