最初の債権者と封印された崩壊の日
旧街道に、冷たい風が吹き抜けていた。
白髪の老人は、古びた帳簿を開いたまま、悠真の返答を待っている。
「十二年前、あなたは自分で《仕入れポイント制度》を壊した」
老人の指が、帳簿の最初のページをなぞった。
「それなのに、今になって再び制度を動かしている。いったい何のためです?」
悠真は老人の署名を見つめた。
確かに、そこには自分の名前がある。
ユウマ・カガミ。
しかし、その筆跡には見覚えがなかった。
「あなたは誰ですか?」
「名前など、とうに捨てました」
老人は乾いた笑みを浮かべた。
「十二年前、私は最初にこの制度を利用した村の代表でした。ゆえに、皆からは《最初の債権者》と呼ばれています」
ザックが一歩前に出る。
「最初の債権者ということは、仕入れポイント制度の最初の利用者?」
「正確には違います」
老人は帳簿を閉じた。
「私は最初の借り手であり、最初に返済した者。そして、返済したにもかかわらず、最後まで債務を背負わされた者です」
トビが息を呑む。
「返済したのに、借金が残った……」
「そうです。あなた方が今、暴いている仕組みは、十二年前からすでに完成していました」
老人は帳簿の裏表紙を見せた。
そこには、三つの印章が押されている。
王都財務局。
ベルク商会。
そして、見知らぬ裂けた輪の紋章。
「この三者が、当時の制度を支えていた」
イリナが紋章を見て顔を強張らせる。
「その印……白鷺局のものではありません」
「当然です。白鷺局は後から作られた組織です」
老人は悠真を見た。
「この紋章は、制度を設計した者たちの印。《環状連盟》が生まれる前に存在した、最初の管理者たちの印です」
「最初の管理者……」
悠真の頭の奥で、鈍い痛みが走った。
石造りの部屋。
積み上げられた帳簿。
蝋燭の火。
そして、自分の声。
> 「このままでは、救済が支配に変わる」
悠真は額を押さえた。
「今、何か思い出したのですか?」
ミナが心配そうに尋ねる。
「……まだ断片だけだ」
視界の中に、見慣れない表示が浮かんだ。
```text
封印記憶に接触しました。
記憶番号:0-1
名称:《制度設計会議》
復元率:7%
警告:
記憶の復元には、対象人物の証言が必要です。
```
悠真は老人を見た。
「あなたは、僕が制度を壊した理由を知っているのですか?」
「知っています」
老人は即答した。
「しかし、あなた自身の口から語られなければ、記憶は完全には戻らないでしょう」
「なぜ僕は記憶を封印した?」
「あなたが命じたからです」
その場にいた全員が沈黙した。
「僕自身が?」
「はい。あなたは王都財務局の記憶術師に、自分の記憶を封じさせた」
悠真は一歩後ずさった。
「そんなことをする理由がない」
「ありました」
老人は帳簿を開き、十二年前の記録を示した。
そのページには、当時の返済記録が並んでいる。
だが、単なる数字ではなかった。
各村の名前の横に、仕入れポイントの増減が記されている。
「あなたは、制度が悪用されたことに気づいたあと、すべての管理者権限を停止しようとした」
ザックが記録を覗き込む。
「この数字……返済額ではありません」
「ええ。村が自力で生み出した価値を、王都財務局が債務として換算した数値です」
老人は一枚の紙を取り出した。
「財務局は、救荒融資の返済にこの数値を使いました。村が収穫を増やせば、その分だけ債務が増える。交易が成功すれば、管理手数料が増える。どれほど努力しても、自由にはなれない」
トビが震える声で言った。
「それじゃあ……仕入れポイントは、村を助けるためではなく、村の価値を測って奪うために使われたんですか?」
「本来は違った」
悠真が答えた。
また記憶が揺らいだ。
今度は、自分が黒板の前に立っている。
周囲には、若い頃のイリナに似た女性や、見知らぬ術師たちがいた。
> 「ポイントは債務ではない。相互扶助の記録だ」
>
> 「返した分だけ、次の誰かを助けられる」
>
> 「価値を独占する者がいなければ、この制度は共同体を強くする」
悠真の声だった。
しかし、映像の中の誰かが反論している。
> 「管理者が必要です。誰が配分を決めるのですか?」
>
> 「管理者は固定しない。権限は村々に分散する」
>
> 「そんな制度では、国家が融資を保証できない」
最後に現れたのは、若いアルベルト・グラウゼだった。
彼は現在よりも若く、穏やかな笑みを浮かべている。
> 「ユウマ君。君の理想は美しい。だが、国家は理想では動かない」
映像が途切れた。
悠真は荒い息を吐いた。
「グラウゼが、十二年前から関わっていた……」
「彼は最初から中心にいました」
老人は頷いた。
「ただし、あなたが制度を壊そうとした直後、彼はあなたに別の提案をした」
悠真の視界に、さらに新たな表示が現れる。
```text
記憶番号:0-2
名称:《封印契約》
復元率:19%
関連人物:アルベルト・グラウゼ
```
悠真の脳裏に、地下室の光景が浮かんだ。
石の机。
黒い契約書。
その向かいに座る、若き日のグラウゼ。
> 「制度を止めれば、救荒融資はすべて破綻する」
>
> 「村々は一斉に差し押さえられるでしょう」
>
> 「君が管理者権限を手放せば、私は村々の債務を凍結する」
>
> 「……本当に?」
>
> 「もちろんだ。君の記憶と引き換えにね」
悠真の指が震えた。
「僕は……村を守るために、記憶を封じたのか」
「半分は正しい」
老人の声は厳しかった。
「ですが、もう半分は違います」
「違う?」
「あなたは、グラウゼを信じたのです」
その言葉が、胸に突き刺さった。
「あなたは、彼が債務を凍結し、制度を解体すると思った。だから、自分が再び制度を利用できないよう、記憶と管理者権限を封じた」
イリナが拳を握る。
「でも、グラウゼは約束を破った」
「ええ。彼は制度を解体する代わりに、あなたの不在を利用して支配権を奪った」
老人は帳簿の最後のページを開いた。
そこには、十二年前の日付とともに、短い一文が記されていた。
> 初期設計者、権限封印。
> 国家管理への移行を承認。
> 返済記録は再編し、民間債務として登録する。
署名欄には、悠真の名前。
しかし、署名の下には別の注記があった。
> ※本人の意思確認なし。記憶封印後に代筆。
「これは偽造だ」
悠真が言った。
「僕はこんな承認をしていない」
「知っています。だからこそ、あなたは制度を壊した理由を忘れなければならなかった」
老人は悠真に一枚の小さな金属板を差し出した。
「これが、あなたの記憶封印を解除する鍵です」
金属板には、仕入れポイントの記号が刻まれている。
悠真が触れると、管理者権限の画面が開いた。
```text
管理者権限の断片を検出。
権限名:《原初契約の閲覧》
状態:封印中
解除条件:
・最初の返済記録を確認
・最初の債権者の証言を承認
・自身の記憶を代償として受け入れる
```
その瞬間、森の奥から矢が飛んできた。
ガルドが剣で弾き飛ばす。
「敵襲だ!」
木々の間に、白い外套が次々と現れた。
白鷺局の追手。
その数は、十人を超えている。
「老人を守れ!」
悠真が叫ぶ。
だが、老人は動かなかった。
「私を守る必要はありません」
老人は帳簿を閉じる。
「彼らの狙いは、私ではなくその鍵です」
白鷺局の隊長らしき男が、森の中から姿を現した。
「ユウマ・カガミ。管理者権限の鍵を渡せ」
「断る」
「ならば、同行者から一人ずつ失うことになる」
隊長が手を上げる。
白鷺局の兵士たちが、一斉に武器を構えた。
そのとき、老人が地面に杖を突き立てた。
旧街道の石碑が、次々と青白く輝き始める。
道全体に、巨大な輪状の術式が浮かび上がった。
「この道は、十二年前にあなたが作ったものです」
老人が悠真に告げる。
「仕入れポイントを、債務ではなく共有資源として運ぶための避難路。名を《環状回廊》といいます」
悠真の視界に、警告が表示された。
```text
秘匿経路《環状回廊》を発見しました。
効果:
・敵対勢力の追跡を遮断
・共同証拠網の中継地点へ接続
・王都地下記録庫への経路を開放
ただし、起動には管理者権限が必要です。
```
「僕に起動できるのか?」
「あなたが作った道です」
老人は金属板を悠真に握らせた。
「思い出してください。制度を壊した日の、最後の言葉を」
悠真は目を閉じた。
封じられた記憶の奥で、かつての自分が叫んでいる。
> 「誰か一人が管理する限り、必ず奪われる」
>
> 「だから、権限を分ける」
>
> 「僕が戻れなくても、村々が互いを証明できる仕組みを残す」
悠真は目を開いた。
「制度は、壊したんじゃない」
彼は石碑に手を触れた。
「僕は、誰かに奪われない形へ作り替えたんだ」
仕入れポイントの記号が、金属板から石碑へ流れ込む。
旧街道全体が、まばゆい光に包まれた。
```text
管理者権限:《原初契約の閲覧》を解除しました。
追加権限を確認。
・《共同証明》
・《権限分散》
・《原簿逆算》
新たな事実:
王都地下記録庫に、改ざん前の原簿が存在します。
```
白鷺局の兵士たちが、光の壁に弾き飛ばされる。
隊長だけが、かろうじて立っていた。
「王都地下記録庫だと……」
老人が静かに笑う。
「彼らは知らなかったのです。あなたが最後に、原簿の原本を王都の地下へ隠したことを」
悠真の胸に、さらに別の記憶が蘇る。
原簿を抱え、地下道を走る自分。
その背後には、若き日のグラウゼ。
そして、自分の隣には――。
「……誰だ?」
記憶の中で、自分とともに原簿を運んでいた人物の顔だけが、黒く塗りつぶされている。
その人物が、最後にこう言っていた。
> 「十二年後、彼が戻ってきたら、私が王都で待つ」
悠真は息を呑んだ。
「まだ、協力者がいる……」
老人が頷く。
「王都には、あなたの帰還を待つ者がもう一人います」
「誰ですか?」
「それは、原簿を見れば分かるでしょう」
環状回廊の光が、一行を包み込む。
次の瞬間、悠真たちは旧街道から姿を消した。
白鷺局の隊長は、光の消えた道を睨みつける。
彼の手元に、一枚の伝令紙が届いた。
> 《対象、環状回廊へ侵入》
>
> 《王都地下記録庫への接続を確認》
>
> 《計画を第二段階へ移行する》
伝令紙の末尾には、裂けた輪の印章が押されていた。
そしてその下に、別の筆跡で短く記されている。
> 《歓迎しよう、初期設計者》
>
> 《今度こそ、君自身の手で最後の契約を結んでもらう》
悠真たちは、王都地下深くへ続く秘密の回廊に足を踏み入れていた。




