エイプリルフールSS ガルーニ男爵の嘘
俺はオルス・フォン・ガルーニ。ガルーニ男爵家の跡取りだ。
2年前に学園を卒業し、今は官吏として城で働いている。ゆくゆくは、父上同様、ポワゾン公爵家の派閥の一員として生きていくつもりだ。
父は、折衝能力に優れていて、公爵殿下の覚えもめでたい。俺も力を磨き、父上のような貴族になりたいと常々思っていた。
…昨日までは。
「妹…ですか? 私に?」
父上の執務室に、母上と共に呼び出された俺は、信じられないことを告げられて耳を疑った。
父上が、かつて手を付けた侍女が、こっそり子供を産んでいたのでそれを引き取ると言われたのだ。驚かない方がどうかしている。
それも14歳だと…? 俺と5歳しか違わないじゃないか。産まれたばかりとかならともかく、なんでそんな昔の話が今頃…。
「起きてしまったことは是非もありませんが、なぜ今更引き取ることになったのでしょうか」
母上が尋ねる。口調は冷静だが、あれはかなり怒っているな。そりゃそうだ、15年も経ってから不貞を告げられたんだ。
「最近になって存在を知ったのだ」
「それは、本当にあなたの子なのですか? 怪しい云々と言っても始まりませんが、金を渡して黙らせるという方法もありますでしょう」
手切れ金を渡して終わり、というのもよくある方法ではあるな。あまり良い手法とも言い難いが、大抵はそれで終わるという話だし。
だが、いつも理知的で温厚な父上が、珍しく語気強く言い放った。
「使い途がある。
上手く育てれば、我が家のためになるのだ。
引き取ることは決定事項だ。
これだけは言っておく。
その娘、ブーケは、我が家の相続には一切関わらせないし、5年以内には屋敷を出ることになるだろう。
お前達の不利益になることはないから、お前達もブーケに不利益を与えてはならん。
なにしろ生まれてこの方平民として育ってきた娘だ、至らぬところばかりだろう。学園卒業までの3年で、外に出して恥ずかしくない令嬢に育て上げねばならん。
躾として注意するのは大いに結構、だが、度を超すことは許さん。
お前達のことは、母、兄と呼ぶことになる。
使用人にも、オルズと同様に扱うよう命じておく。
いいか、あれはお前達を脅かすものではない。我が家の今後に有益な娘と心得ろ」
父上の話は抽象的ではあったが、要するに政略の駒として嫁ぎ先が決まっているから、早くなんとかしなければならないってことらしい。
父上が使用人に手を付けたのが本当として、その子供が父上の種とは限らないと思うんだが、父上としてもそんなことは承知の上で手駒として引き取るつもりなんだろう。
執務室を辞して、母上について私室に向かう。母上にもフォローが必要だろう。ショックも怒りも相当なもののようだ。
「母上、父上のお話、どうも裏がありそうです」
“父上の本当の子ではない”という前提で話を始める。実態はどうあれ、母上の精神安定上、そうしておいた方がいい。どうせ真実は父上にだってわかりはしないだろう。
「裏とはどういうことです? あの仕打ちに意図があるとでも?」
母上が噛みついてくるが、これはガス抜きも兼ねているから問題ない。
「ええ、そのとおりです。
おそらくその娘、父上の子ではありません」
「なんですって?」
「これまで、父上が使用人に手を付けたことなどありません。
無論、今までなかったからといって永遠にないとは限りませんが、先ほどの話からすると、実際なかったのでしょう」
「どういうことです」
よし、耳を貸す気になってもらえたようだ。
「父上は、使い途があるから引き取ると仰せでした。5年以内に屋敷を出て行く、とも。
つまり、政略結婚の駒が必要になって、手頃な──おそらくは貴族令嬢に仕立てられそうな気の利いた娘を拾ってきたのです。
形の上で、我が家の血を引いていることにするため、あのような作り話を考えられたのでしょう」
「娘を産めなかった私が悪いというのですね」
また始まった。
母上は、俺しか産めなかったことに劣等感を持っている。貴族に嫁ぐことは、多くの子を産むことだと思っているからな。
それを利用させてもらうわけだが。
「そうではありません。
父上は、母上がそうしてご自分を責めなくてすむよう、このような話を作ったのでしょう。
自分の不始末を利用する途を見付けた、と。
ここは、下手に手を出さず、父上がつける家庭教師に全部任せましょう。
我々が口を出すことで、育成に支障があってはいけません。
父上の目的に沿うよう躾ねばなりませんから、我々は関わりを最小限にして、いないものとして扱うべきかと」
「わかりました、そうしましょう。
できれば、視界に入れたくもありません」
「道具です、母上。
使えるようにする必要があるのです」
俺は母上の説得に成功した。
実態がどうであれ、こう考えていれば、問題は起きないだろう。
その後、俺だけが執務室に呼ばれた。
「屋敷の中で、ブーケに年が一番近いのはお前だ。支えてやるといい」
「可能であれば」
一応そう答えたが、正直その気はない。
少しして、 件の娘が屋敷に入った。
おどおどして、俺や母上を怖いもののように見上げているが、見た目はなかなかで、磨けば光りそうだ。さすが政略用の駒に選ばれるだけのことはある。
父上に言われるまま、俺や母上を「お兄様」「お母様」と呼ぶものの、向こうからは近寄ってこない。よかった。分は弁えているようだ。
立ち居振る舞いについては、学園入学後ということで、最低限のマナーと常識、あとは学業だけ教えているようだ。学業などより立ち居振る舞いではないのかと思ったが、口は出さないことにした。
どうせどこかに嫁ぐ娘だ。下手に近付いて情でも湧くと面倒だし、やはり近付くべきではない。
学園に入学すると、驚いたことに恐ろしく優秀な成績を取ってきた。
学年2位。しかも第2王子殿下を上回る成績だ。首席を取ったのが才媛と評判のドヴォーグ公爵令嬢で、学園初となる満点だったという。それはつまり、別の年ならブーケが首席になっていたかもしれないということだ。
平民の娘が、半年足らずの勉強でそれほどの成績を取れるものだろうか。
もしかしたら父上は、才女を欲していて、数年前から秘密裏に育てていたのかもしれない。
平民上がりの庶子が自治会に入ったという噂は、城の方でもかなり広まっていて、俺も時折話を振られるようになった。適当に流してはいるが、どうやら父上は庶子を引き取ったという醜聞にもなりかねないことを、優秀な娘を手に入れたと書き換えてしまったらしい。さすがの手腕だ。
3年経ち、ブーケの卒業も近付いてきたが、相変わらずブーケとは、屋敷の中では最小限の関わりですませている。
学内でのことはあまり耳に入ってこないが、成績のことや、自治会の副会長になったことから周囲のやっかみを受け、色々と嫌がらせを受けているようだ。
びしょ濡れになって帰ってきたこともあったが、本人は逞しいようで、けろりとしている。
一度など、靴を盗まれたとかで、第2王子殿下に抱き上げられたまま馬車まで連れられてきたそうだ。
婚約者でもないのに、殿下に抱き上げていただくなどありえないはずなのだが。
そもそも殿下には、ドヴォーグ公爵令嬢というこれ以上ない婚約者がいらっしゃる。側妃にしても、男爵家如きで、しかも庶子などあり得ない。せいぜいが側女として侍り、お情けを受けるのがせいぜい…。父上がそんな無謀なことを考えるとは思えないし、やはり違うのだろうと思うが…。
2月も末になって、馬車が空のまま帰ってきた。ブーケは殿下がお連れになると言われて戻って来たそうだ。
どうして殿下がお連れになる話になるのかと首を捻っていると、夜になって、また母上と一緒に執務室に呼ばれた。
「ブーケ様は、もうここには戻られない」
開口一番、父上はそう言った。ブーケ“様”?
「実は、ブーケ様は、ポワゾン公爵殿下のお嬢様でいらっしゃる」
ポワゾン公爵令嬢!? 産まれてすぐに暗殺されたはずでは?
「ブーケ様は、侍女の手で逃げのび、市井に身を隠しておられたのだ。
公爵家復帰に当たり、我が家で貴族令嬢として必要なことを学ばれると共に、暗殺者から身を隠しておられた。
これは、私が公爵殿下から極秘に命じられたお役目ゆえ、お前達にも秘密にしていた。すまんな」
公爵令嬢だった!? あのブーケが?
「それでは、使用人に手をお付けになったというのは…」
「無論、嘘だ。私はそのような恥知らずなまねはしないとも。気苦労を掛けてすまなかったが、万が一にも敵に漏れるとブーケ様のお命にかかわるゆえ、ああせざるを得なかったのだ」
母上の絞り出すような声に、父上はすまなそうに応えた。
「庶子との噂に肩身の狭い思いをさせただろうが、このような重大な案件をお任せいただけたのは、殿下の信頼篤きゆえだ。
お前達にも誇ってもらいたい」
「それでは、ブーケ…様が今日から戻…お戻りにならないというのは、公爵家に復帰なさるからですか」
随分と中途半端な時期だが…。
「実は、今日、学内でブーケ様が暗殺されかけた。
矢を射かけられたそうだ。下手人は捕らえられたが、ブーケ様はお怪我なされ、城で養生なさっている。敵がなりふり構わなくなった以上、今後は城で保護されるとのことで、我が家の役目は終わった」
「では、御不興を買ったというわけでは…?」
「ない。あくまでブーケ様の安全を優先した結果だ。 殿下からは、労いのお言葉をいただいている。
ブーケ様の公爵家復帰の発表は、卒業後になる。それまでは口を慎むように」
まさかブーケが公爵家の令嬢だったとは。
後日、公爵殿下の仲介で、子爵家令嬢との婚姻が決まった。
どうやらそれが今回の件の褒美の1つだったようだ。俺の婚約がなかなか決まらなかったのは、そういう事情があったのだな。
ガルーニ男爵は、いわゆる汚れ役としてブーケを請け負ったわけで、そこには公爵への忠誠心、派閥内での力関係の打算などが当然あります。
ブーケが公爵家令嬢であると認められなかった場合、最後まで自分の庶子として扱うことになるわけですので、損な役回りなのです。
結果的に、公爵からは感謝と信頼をよせられることになり、賭に勝ったわけです。




