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ダンスレッスン

 ルナの部屋は王宮の南に位置している【百合宮ゆりのみや】と言われる場所にある。そこから長い廊下を渡ると、西に【白蓮宮びゃくれんきゅう】、東に【瑠璃宮るりきゅう】、そして北が王族の住まいとして名高い【龍楼宮りゅうろうのみや】と分けられている。

 一つの建物にこれだけの区画があること自体驚いたのは、すでに昔のことである。


「これだけ部屋があれば迷ってしまいそう」


「大丈夫でございます、ルナ様」


「ルナ様には私たちがついておいりますから」


 大変頼もしい言葉を掛けてもらい、ルナも自然と微笑み返した。

 本当は一日目に交わされていなければならない会話をし始めたのには理由がある。

 今、向かっているのは【龍楼宮】。ダンスレッスンのためだが、本当は【瑠璃宮】で行うことがここでの一般である。

 今回はレッスン後、ルナと王妃のお茶会が予定されているため、異例だが【龍楼宮】の一角でできるようになったというのをヨルダから知らされ、ヒルダに宮殿の構造を少し教えてもらいながら一行は歩みを進めていた。

 レッスン後はルナに再度、身支度も兼ねて自室に戻ってもらう予定であったが、ヨルダが【瑠璃宮】で使う部屋の様子を見に行く途中で王妃の侍女に呼び止められ、部屋の変更を提案されたとのことだった。

 経緯を聞きながらルナはあることに気付く。


(もしかして、『身支度』って新しいドレスに着替えるってことなのかな)


 だとしたら、今から始まるダンスレッスンはどれほど体育会系なんだろう。

 汗だくでエルヒ王妃の前に出るのも失礼な気がする。

 だが、また新しいドレスを出されてもルナの心臓に悪い。もはや新しいドレスはルナにとって借金と同じように見えるのだから被害妄想も甚だしい。マイナス思考だと分かっているが、着た後のドレスがクローゼットの中にないことを知ってしまった時から罪悪感に苛まれつつあるのは致し方ないことだった。


「到着いたしました、ルナ様」


「さぁ、どうぞ中へ」


 開けられた部屋を見てルナは感嘆の声を上げる。

 見事なシャンデリア、その明かりを反射するように部屋全体が輝いて見えた。床は大理石のようになっていて、表面が光の床にも見える。壁にはある一画には鏡を取り付けられているところ、その他には白い壁紙に高そうな絵画が飾られており、落ち着きがあるものの、華やかな大広間であった。


「ここで、レッスンしてもいいの?」


「はい、王妃様直々に口添えがございます」


 絶対にレッスンするていで入ってはいけない光沢が部屋に満ち満ちていることを感じ取り、気が引ける庶民は双子の侍女に押されて情けない入室を果たすのだった。



*******


「やはり、ルナ様は筋がよろしゅうございます」


「少しリズムに遅れがちですが、その調子でいけば最初の課題はクリアできましょう」


 最初はガチガチに緊張していたルナだが、次第に開き直ることが出来、今に至る。

 ヒルダとヨルダにしきりに『呼吸を!!』と言われたことしか正直記憶にないが、ポイントのひとつひとつは抑えられつつあるようなので今後も精進するだけだ。

 身体をリズムよく動かしたことよりも、大理石が広がる床に傷をつけないかで結構な冷や汗をかいたが、それも一瞬で引き、今では程よい体温になっている。


「この調子で、間に合うかな?」


「はい、ルナ様。心配は必要ありません」


「礼儀作法の時も言いましたが、ルナ様が思っておられるほど、出来が悪いことはございません」


「そ、そう…」


 およそ社交辞令とは思えないほど冷静に評価され、照れくさいやら恐縮やらで複雑な表情になってしまう。


「エルヒ王妃様とのお茶会まで、まだ時間はある?」


「はい。お茶会自体は12時ですから、今からだと一時間ほどお時間が空いております」


「休憩になさいますか?」


「うーん。…二人が休憩を取ってくれる?」


「え?」


 一斉に振り向いた二人にやや圧されながらも、ルナは続ける。


「朝からずっと一緒にレッスンしてくれてるから、二人も疲れてるでしょう? 私はさっきのステップとか、足の動きをもうちょっと練習しとくから、二人はその間息抜きしてて」


 何食わぬ顔で提案すると、当然、ヒルダとヨルダは首を横に振った。これにはさすがに苦笑する。

 ヒルダとヨルダの気持ちもよくわかる。自分のような特殊な客人を一人にしてなにかあったら大変なことになることも。“一人”にしないことが、二人の役目であることも全部ルナは感じ取っている。


(―――でも、これは譲れない)


 責任感が強い二人だからこそ、息抜きも大切だとルナは思う。レッスンをしている間、彼女たちの方が緊張の糸を張っている感じがするのだ。

 ルナ自身の緊張もきっと伝わっているのだろうが、彼女たちも緊張していないわけではないのだ。


「それに、練習しているところをあんまり見られたくないの。ここから出ないから、ヒルダとヨルダもお茶を飲んでゆっくりして、ね?」


「ですが…」


「もう! 咎められないように私がもの凄く頼み込んだって言っておくから! 練習時間がなくなっちゃう、早く出てーー!!」


 やけくそ気味に二人をなんとか扉の外に追い出した。

 締め出せたことに驚きながらも、未だドンドンと扉を控えめに叩かれ、「ルナ様!?」と呼びかけられることに罪悪感を抱きながらも、声を張り上げる。


「ついでに私のお茶も持ってきてくれたら良い言い訳になるから、ちょっと急いでね!」


 少しの沈黙の後、了承の意が返され、二人分の靴音が遠ざかる。


「いけた…かな?」


 少しの間、二人の気配がないことを確認し、ルナはようやくひとつ息をつく。

 やってみるものである。

 ふと、大広間にポツンと一人になったことを意識する。


「なんか、“ひとり”って久しぶり…」


 アリシアの家にいた頃は、彼女が出かける関係で家に一人でいることが多かった。

 しかし、この王宮に来てからは常に侍女たちはついていたし、昼夜問わずに夢の中でカグラと邂逅を果たし、晩餐会などにも参加して、傍に誰かがいないという感覚は妙に新鮮な気分だった。


 ――――さみしいような、ホッとしたような…。


 曖昧な気持ちを振り払うようにルナは前を向き、靴を脱いで、ドレスを揺らして大広間の中央に立つ。


「……、――――」


 深呼吸をし、音を口ずさむ。

 メロディーに合わせてステップを踏み、軽やかに大広間を渡り踊る。

 三拍子の、日本で覚えた歌。この世界では、誰も知らない唄。

 日本でも、知っている人は実はそんなに多くはないのかもしれない。

 ワルツを題にしているから、ヒルダとヨルダに教わった基礎を使うとすんなりと踊れた。


 誰にも邪魔されない静かな部屋で、ルナは一人で舞い続けた。


 軸が振れないように。顔は水平で、上がりすぎず、下げすぎず。

 ヒールではない素足だから、ターンも難なく出来た。

 長い髪とドレスが同じように揺れ、教わったことを意識しながらも、踊ることに夢中になった。


 ―――だから、気付かなかった。


「―――ルナ様?」


「ッ!?」


 意識の隙間に入り込んで来た男性の声に驚き、急いで扉を見やる。

 いつの間にか戻ってきていたヒルダとヨルダを背後に控えた状態で、声を発した人物―――アロルド皇子が呆然とこちらを見つめていた。

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