侍女たちの作戦
「……」
「……」
重いほどの沈黙が場に落ちる。
―――ヤバイ。
一番最初に頭に浮かんだのは焦り。次に、誤魔化しきれない事実に羞恥で頬が火照るのを感じる。
完全に踊っているところを見られた。
一体いつからそこにいるのか。
ヒルダとヨルダはわかるが、何故アロルド皇子がその場にいるのか。
そう。よりにもよって、【アロルド皇子】の方である。
シエルだったらまだ誤魔化しが効く…とは言わないが、なんだか絶対にさっきの状況を秘密にしてくれそうだ。
その点、アロルド皇子とは接待の場でしか関わったことがないぶん、考えが読めない。
シエルの方が考えが読めるのか、と言われたらそれも違うけれども。
なんとなく、カグラの木の下で皆には秘密で会っていたことを考えると目の前の彼より信頼感がある。
だが、現実はアロルド皇子だ。どうしようもない。
ヒルダとヨルダに至っては既に手遅れだというのはわかっている。後でそれなりに叱られよう。
二人のすまし顔が何を意味しているのかわからなくてちょっと怖い。
だが、一番反応が怖いのは目の前の彼だ。
ひたすら混乱するしかない頭で、ただただアロルド皇子を凝視するしかできなかった。
「……」
「……」
信じられない。まだ誰も喋れない空気が漂っている。
ここは私が口を開くしかないのか。
だが、なんと言えばいい?
相手も結構驚いているが、私だって驚いている。
よくよく見れば、皇子たちの後ろの扉は閉まったまま。
―――もしや、すり抜けてきた?
そんなバカな考えが浮かんだほど、互いの沈黙は守られていた。
「あの…、アロルド皇子?」
ついに口火を切ったのはルナの方だった。
声を掛けたと同時に、彼はパチパチと瞬きをし、次にぶわぁっ、と傍目からでもわかるほど顔を真っ赤にした。
―――え?
さらに、予想外な事態は続く。
「いや、その…私は…! し、失礼する!!」
腕で顔を隠すようにしたと思ったら慌てふためきながら踵を返し、扉をすり抜けた。
―――すり抜けた!?
果たして今のは現実に起こったことなのか、と呆気に取られていると、皇子が立ち去ったのを見計らったかのようにヒルダとヨルダが動き出す。
「ルナ様、靴を」
「そのままでは冷えてしまいます」
「あ、うん…」
それに引き換え、何故彼女たちは通常運転で行くのか。
アロルド皇子の動揺した様子と、彼女たちの冷静沈着な様子の差がありすぎてルナは釈然としないものを胸に抱える。
完全に状況に置いてけぼりのルナだが、無難に彼女たちの言う通りにいそいそと靴を履きなおす。
「あの、アロルド皇子は…?」
「ルナ様」
「はい」
珍しくヒルダが硬い声を出したため、反射的に背筋が伸びる。
「この王宮では、容易に靴を脱いではいけません」
「足が疲れたのなら温かいお湯かタオルをご用意いたします。ですから、みだりに他者の目に素足を見せぬようご注意下さいませ」
「ごめんなさい…」
二人の言葉も尤もだ。
殊勝に頭を下げて謝ると、侍女たちは安堵したように息を吐いた。
それと同時に、ルナの中で少しの疑問が頭をもたげる。
靴を脱いではいけないのはわかる。外なのだからそれは当たり前のこと。
しかし、ヨルダの言った“みだりに素足を見せてはいけない”という言葉にはどこかひっかかりを覚える。
はて、と思考すること少し。この世界の決まりを思い出す。
(そうだ。この世界は足を見せるのは伴侶だけなんだった)
その事実に気付き、うわあぁ、と声にならない声が胸中で響く。
だからアロルド皇子は急いでこの部屋を出て行ったのか。
ヒルダとヨルダがわざわざそのように忠告したということはきっとそういう意味が含まれている。
正しく彼女たちの言いたいことを理解したルナは真っ青な顔になった。
(いきなり…いきなり醜態を晒してしまった…!)
まさかここで日本での裸足文化が仇になるとは。
ヒルダとヨルダをうまく閉め出せたことで久しぶりにひとりっきりになって自分の世界に浸っていたのは認めよう。
だが、そこに彼らが無断で入って来るなんて誰が想像できただろう。
しかも、アロルド皇子なんて扉をすり抜けてきたようだし…、とそこまで考えが行き着いた時に、ルナははた、とあることに気付く。
「なんでアロルド皇子はあんな入り方を…?」
よくよく考えてみれば、扉をすり抜けるということは魔法か何か使ったのだろう。魔術というのも普通にある世界だ。そこは疑問に思うところではない。
問題は、別のところにある。
最初の礼儀作法などの授業からして、この王宮での立ち居振る舞いは非常に厳格な面が強い。
【皇子】というからには入室する際のマナーは守りそうなものだが、と不思議に思っていると、答えはヒルダから返ってきた。
「申し訳ございません、ルナ様。アロルド王太子殿下には私たちから緊急の事態としてこちらに入らせてもらいました」
「え…?」
「国王陛下に謁見なさる方々がこの王宮に参内しておられます。ここを通られることはまずありませんが、何かないとも言い切れませんので、無礼を承知で通りがかったアロルド王太子殿下に協力を仰いだ次第です」
「えぇ…」
つまり、ルナが閉め出したこの場所付近は来賓の方々が通ることもあり、それを憂慮した彼女たちは急いでこの部屋に入るためにアロルド皇子を呼んだと言うことか。
それはやりすぎだ、と庶民派のルナは思った。
今、ここを通ることは“まず、ない”と言っていたのもルナは聞き逃さなかった。
そこにまさかの【皇子】を連れて来るのだから彼女たちの【侍女】としての本気を見せられた気がした。
(そうか、勝手なことをしたら偉大な人まで巻き込むことになるのか)
この精神攻撃はルナにとってもの凄い衝撃をもたらした。
ルナからしたら、ただ彼女たちに休憩をとってもらいたかっただけなのだが、それは彼女たちの意に反することだったようだ。
とてつもない意趣返しをされたような気がする。
神妙な顔をしながら淡々と事の次第を知らされているルナはもはや気が気ではなかった。
「あの、本当にごめんなさい。もう…しません」
桜の木を見つけた時に衝動的に動いた時もそんなことを言ったな、と言ってから自分で気付く。本当に、どうしようもない。
しかし、彼女たちはそれで十分だったのか…はたまたこの場はそれで収めようというのか、「はい、ルナ様」とにこやかに応じられただけだった。それがなんだか、空恐ろしかった。
「アロルド皇子にも謝らないと…」
「そうですね。扉の外で待っておられるはずです」
「では、お声掛けしてきますね。ルナ様は椅子に座られますか?」
「え? いえ、このまま行くけど」
「足は、大丈夫なのですか?」
「う、うん…踊りやすいように靴を脱いだだけだったから」
高いヒールで床を傷つけたくなかった、とまではさすがに言えなかったが、改めて振り返ってみると実に小さなことで靴を脱いだな、と思えた。
心配そうに足元を見られると切実に申し訳ない気持ちが募ってくる。
それにしても、今から謝罪に行くのに、奇妙な展開になりそうだった。
もしや、声掛けってアロルド皇子にこちらに来てもらうことだったのだろうか。そうだとしたら危なかった。それは完全なる立場の逆転である。
このままでは私はきっといつか不敬罪で刑に処されると思う。
「―――よし」
深呼吸をひとつして、扉の手前まで歩を進める。
ヨルダが先に一声掛けて、そこから扉が大きく開けられる。
日に反射する鮮やかな金色の髪と、水晶のように透き通る青の瞳が視界に入る。
傍にこれまた見慣れない男性が控えているが、彼の護衛だろうか。
「あぁ、ルナ様―――」
「申し訳ありませんでした、アロルド皇子…!」
彼の声を遮るほどの勢いでルナは謝罪の言葉を繰り出した。
その様子に面食らったようにアロルド皇子は目を見開いたのをルナは認めた。
「きっとお忙しかったのに、私のわがままでとんでもないことを…本当に、申し訳ないです」
「あぁ、いえ、そんなに固くなられなくても大丈夫ですよ、ルナ様」
「ですが…」
「―――少し歩きましょうか。丁度、私も時間が空いたのです。聞けば、ルナ様はこれから母上とのお茶会だとか。そこまで私もご同行致しましょう。よろしいでしょうか?」
この世界はどこまでレディファーストを貫くのだろう。
遠慮がちに、それでも礼儀正しく手を差し伸べてくれるのだから、ルナは脱帽するしかなかった。
「はい、ご迷惑でなければ…」
恐る恐る差し伸べられた手に手を重ねると、アロルド皇子はまだほんのりと染まった頬をはにかませて空いた手を自身の胸に置いて一礼した。
「王妃陛下のもとまでの僅かな時間、このアロルド・シン・オルキスがルナ様の御身を守りし騎士となりましょう。どうぞ、よろしく」
ゆっくりと落ち着いて述べられた口上に、ルナは既視感を感じずにはいられなかったのだった。




