第九章:乗り物酔いする聖剣
重厚な冒険者ギルドの扉を押し開け、再び陽光降り注ぐはじまりの村の通りに出た時。俺のリュックには、カチカチの黒パンと、いまだに小刻みに震えている鉄剣がねじ込まれていた。
「よし、リリア」
俺はリュックをポンと叩いた。
「東の森へ行くぞ。あのジャイアント・スライムを倒して銀貨10枚の報酬をもらえば、次の街へ行く路銀ができる」
(……行かなくてもいいですか?)
リリアの声は弱々しかった。
(私、まだ出荷時の検品シールすら剥がしきれてないボロい鉄剣なんですよ!?あんな3階建てのビルみたいなバケモノを殴りに行ったら、絶対に折れちゃいますぅ!)
「安心しろ、俺がついている」
俺は自信満々に胸を張り、ベテランオタクの魂を燃やした。
「『神級チートステータス』はなくても、俺はこれでも何百冊とラノベを読んできた男だ。序盤の中ボスくらい、百通りの方法でオモチャにしてやる!」
泥道に沿って歩き、俺たちはすぐに東の森の入り口に到着した。
果たして、森の境界線。
そこには3階建ての一軒家ほどもある、半透明の緑色の光を放つゼリー状の巨大な物体が、街道のど真ん中をふさいでゆっくりと蠢いていた。
「これがジャイアント・スライムか……」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。その圧迫感は想像以上だった。
(佐藤さん!逃げましょう!これ絶対初心者が戦うヤツじゃないですよ!)
リリアが脳内で狂ったように叫ぶ。
(私より一万倍くらいデカいじゃないですかぁぁ!)
「落ち着け!たかがスライムだ!物理攻撃が効かないなら、魔法属性で弱点を突けばいい!」俺は震える両足を必死に踏ん張り、自分史上最高にカッコいい魔法詠唱のポーズを決めた。
「くらえっ!俺の必殺――『指先から火(プレミアム版)』!」
俺は雄叫びを上げ、右手の人差し指をあの巨大な緑色のゼリー山にビシッと突き付けた。
「ボッ。」
かすかな空気の音が鳴った。
俺の右手の人差し指の先に、高さ約2センチほどの、風に揺れて今にも消えそうな、ちっぽけなオレンジ色の火の粉がポッと灯った。
そよ風が吹き抜けた。スライムは、蠢くスピードすら全く変えなかった。
(……)リリアは沈黙した。
「……」俺も沈黙した。
あまりにも悲惨な光景だった。まるで一匹の蚊が、花火のロウソクで高層ビルを焼き尽くそうとしているかのようだった。
(……佐藤さん)
再び響いたリリアの声には、もはや恐怖はなく、深い呆れとツッコミの感情だけが残っていた。
(さっき何か、すごくカッコいい必殺技の名前を叫んでませんでした?結果がコレですか!?この火、マシュマロを焼くのすら火力不足ですよ!その5秒で消えるターボライターで、3階建てのスライムを1滴ずつ蒸発させるおつもりですか!?焼き終わる頃には、魔王様が寿命で玉座で老衰死してますよ!)
「う、うるせえ!魔法耐性をテストしただけだ!」
俺は逆ギレしながら指を引っ込めた。その哀れな小さな炎も、ちょうど5秒の制限時間を迎えてプシュッと消えた。
どうやら魔法攻撃のルートは塞がれたらしい。物理でいくしかない。
俺はリュックからリリアをひったくり、両手で剣の柄を固く握りしめた。
「リリア、準備はいいか?行くぞ!」
(いやあああ!折れる!絶対に折れますぅぅ!)
リリアが悲鳴を上げる。
俺は彼女の抗議を無視して気合いを入れ、スライムの弾力たっぷりな表面に向かって、渾身の力で剣を振り下ろした!
「ドスッ!」
鈍い音とともに、強烈な反作用が剣身から伝わってきた。俺の手のひらは一瞬でビリビリと痺れた。鉄剣は1ミリも食い込むことなく、まるで超特大の消しゴムを叩いたかのように、バンッと激しく弾き返された。
「すげえ弾力だ!」
俺は数歩後ずさりし、酸っぱくなった手首を揉んだ。
(ほら見なさい!スライムに物理攻撃は効かないって言ったじゃないですか!うぇぇぇん、私の剣身が0.1ミリ曲がっちゃいましたよぉ……)
リリアが涙声で文句を言う。
俺はふと閃いた。
無数のSFアニメやゲームに登場する、装甲や高弾性物質に対する究極の武器――『高周波振動ブレード』。その原理は、超高周波の振動で物体の分子結合を破壊し、鉄をも豆腐のように切り裂くというものだ!
この【超高周波バイブレーション】のスキルには、用途の制限なんて書かれていなかった。なら、これを異世界版の超振動ブレードとして使って何が悪い!
「リリア!第2ガチャのスキル起動!『超高周波バイブレーション』!最大出力だ!」
(えっ?今ですか?でもあのスキルは、肩や首のコリをほぐすための……ひゃあああぁぁぁっ!)
リリアが言い終わる前に、鉄剣の剣身から耳をつんざくような「ヴヴヴヴヴッ!!」という爆音が鳴り響いた。
1分間に1万回という超高周波振動により、鉄剣の輪郭が空気の歪みで見えなくなるほどの残像を生み出している。俺は今、剣を握っているのではなく、フル稼働している工業用電動ドリルを握っているような感覚だった!
「おおおっ!この手応え!これぞ男のロマンだぜ!」俺は目を輝かせ、摩擦熱で熱くなったリリアを再び高く掲げ、ジャイアント・スライムに向かって突進した。
「くらえっ――超高周波チェーンソー斬り!!」
「ギュイイイィィィンッ――!!」
今度は、弾き返される鈍い音はしなかった。
毎分1万回という恐るべき振動切断により、スライムの強固な弾力表皮は、熱したナイフでバターを切るように、一瞬にして巨大な裂け目を生み出した!
緑色の粘液が噴水のように四方八方に飛び散る。
「効いてるぞ!ハハハハ!これが科学の力だ!」俺は興奮して大笑いし、高周波バイブ剣を振り回しながら、狂った木こりのようにゼリー山に怒涛の連続切断を浴びせた。
しかし、俺が草刈りのような爽快感を味わっているその時。俺の脳内では別の惨劇が繰り広げられていた。
(うわあああぁぁぁ!目が回る!目が回りますぅぅぅっ!)
リリアの声は完全に裏返り、まるでジェットコースターに乗りながら洗濯機の脱水槽に放り込まれたような状態だった。
(佐藤さん!止めて!1分間に1万回は速すぎます!私の魂が遠心力で振り飛ばされちゃう!あああ、世界がぐるぐる回ってます!オエェェェ……)
「おいおい、少し我慢しろよ!お前の専用スキルだろ!」
俺は狂ったように斬り刻みながらツッコミを入れた。
「それに今のお前は鉄の剣だぞ!剣がどうやって吐くんだよ!吐くための胃酸すらねえだろ!」
(そんなの関係ないです!吐きそうです!私の鞘の中が、すでに魂のゲロで満たされてる気がします!オエェ……佐藤のバカヤロウ!私をなんだと思ってるんですか!ミキサーですか!オエェェ……)
リリアの断続的なえずき声と、スライムが次々と解体されていく「ブシャアッ」という音が響き渡る。
本来なら九死に一生を得るような格上狩りが、SF的バイオレンスと乗り物酔いの悲鳴が交差する、カオスなドタバタ劇へと成り下がっていた。
10分後。
ジャイアント・スライムはついに耐えきれず、巨大な緑色の水たまりへと姿を変え、その場に拳ほどの大きさの、キラキラと輝く魔晶石を残した。
「ふぅ……一件落着、と」
俺は額の汗をぬぐい、かがんで魔晶石を拾い上げた。
(オエェ……)
俺の腰の鉄剣はいまだに小刻みに震え、弱々しい音を立てていた。
(誓います……私、一生このスキルは使いません……オエェ……佐藤さん、恨みます……)
俺は剣の柄をポンと叩き、彼女の抗議を無視した。
魔晶石を持ってギルドに戻ると、俺たちが無事に帰還し、しかも討伐任務のアイテムまで持ち帰ってきたのを見て、受付嬢は顎が外れそうなほど驚いていた。
「ホントに倒しちゃったの……?」
彼女は信じられないという顔で魔晶石を受け取り、銀貨10枚を数えて俺に渡した。
「おっちゃん、もしかして隠れた凄腕の冒険者だったりする?」
「フッ、ちょっとした科学の応用さ」
俺は存在しないメガネをクイッと押し上げるフリをして、銀貨をリュックにしまった。
ギルドを出て、賑やかな通りを眺めながら、俺は上機嫌だった。
「銀貨10枚。これで北の王国へ行く普通の馬車の手配ができるな」俺はリュックの中のリリアを軽く叩いた。「行くぞ、乗り物酔い女神。次の街へ行って、宿に落ち着いたら、残りの3つのガチャを開けようぜ」
(……)
リリアからの返事はない。どうやら深刻な振動酔いの後遺症に苦しんでいるようだ。
俺はニヤリと笑い、異世界の夕陽に向かって、このツッコミどころ満載の未知なる旅路へと歩み出した。
読まなくても全く問題ない裏設定
「超高周波バイブレーション」による振動とはいえ、戦闘中に剣としてブンブン振り回されるリリアの体感としては……。
『空中分解する寸前のボロいジェットコースターに乗せられ、ガタガタと激しく揺さぶられながら猛スピードで突進している』ようなものである。
そりゃあ、ゲロも吐きたくなるし、乗り物酔いして当然なのだ。
そもそもこの世界のスライムは、非常に大人しい魔物である。
HPも低く、攻撃力も防御力も最弱クラス。普段は農村の倉庫で異常繁殖し、農作物を食い荒らす「害獣」として困らせている程度の存在だ。
突然変異で巨大化したスライムは、外皮が特別に分厚くなり、初級魔法を弾くほどの弾力を持つようになる。
しかし、今は3階建てのサイズまで成長しているが、実はそのまま放置しておいても、夏になれば暑さで活性を失い、勝手に普通サイズに分裂してしまう。
つまり、そこまで危険で困難な討伐対象ではないのだ。
にもかかわらず、討伐完了の報告を聞いた受付嬢があんなにアゴが外れるほど驚愕していたのだから……。
彼女が佐藤のおっさんのことを、「農村の害獣にすら勝てない最底辺の雑魚」として、いかに深く見下していたかがよくわかるというものである。




