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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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氷の軍勢

 ヴォログダの門が開いた。


 朝の灰白色の光が門の外に広がっている。吹雪は止んでいたが、空は変わらず曇り、風は冷たかった。門の前にミロシュが立っていた。昨夜の酒の名残で目元が少し赤い。それでも背筋を伸ばし、片手を上げた。


「気をつけろよ」


「ああ」


 ラスラフは感覚のない右手を振り返した。手が上がっているかどうかも、正しく振れているかどうかもわからない。だが振った。ミロシュが笑顔で応じたのが見えたから、形にはなっていたのだろう。


 門を出た。


 三歩、五歩、十歩。振り返ると、ミロシュの姿が門の前に小さくなっていた。手を振り続けている。その背後にヴォログダの防壁があり、煙が立ち上り、焚き火の残り香がかすかに漂っている。人間の生活の温もりが、歩くたびに遠ざかっていく。


 二十歩。もうミロシュの表情は見えない。影になった。五十歩。門が灰白色の雪に溶け込み始める。百歩。ヴォログダの輪郭が吹き溜まりの向こうに沈んだ。


 ラスラフは前を向いた。


 北の氷原が広がっている。昨日までいた場所とは空気が違う。集落の温もりが肌から剥がれ、永冬の冷気が服の繊維を貫いてくる。左半身が震えた。右半身は何も感じない。


 そのとき、それは起きた。


 別れの感傷が胸の底に溜まっていた。ミロシュの笑顔。焚き火の温もり。約束。子供の歓声。ヴォログダで過ごした日々の記憶が、名前のつかない感情として胸に澱んでいた。


 ラスラフの周囲の空気が震えた。


 微弱な帯電だった。ピリピリとした刺激が肌の上を走る。右腕の紋章が淡く光り、指先から蒼白い火花が弾けた。感情に連動した放電。力の制御が乱れている。


 ズラータの金色の髪が逆立った。


 一瞬で制御を取り戻した。力を内側に引き込み、放電を止める。だがズラータの逆立った髪が戻るのに数秒かかった。帯電した空気が散るまでの数秒。その数秒間、ズラータは足を止めてラスラフを見つめていた。


「すまない」


「……平気だ。驚いただけだ」


 ズラータの声は落ち着いていた。だが一瞬、手が自分の髪に伸びた。逆立った髪を押さえようとする仕草。それが──帯電の影響を受けた証拠だった。


 ミロシュが同行しなくて良かった。


 心の底からそう思った。あの快活な戦士がラスラフの隣にいたら、今の放電で傷を負っていたかもしれない。普通の人間は、帯電した空気に弱い。ズラータは巫女の身体を持っているからこの程度で済んだが、ミロシュなら──


「人を遠ざける」。


 その言葉が頭に浮かんだ。忌み子だった頃と同じだ。人の輪の外に立つ。近づけば害をなす。だから距離を取る。力の質は変わったが、構造は同じだった。嵐の痣が人を遠ざけるのではなく、嵐の力そのものが人を遠ざける。


 白狼が前方に立っていた。いつの間にか先行していたヴェレスが、振り返ってラスラフを見ている。琥珀色の目は何も言わなかった。放電を見ていたはずだが、指摘しなかった。


「ここから先はマルジャンナの勢力圏に近い。冬がさらに深くなる」


 事務的な声だった。ラスラフは頷いた。


 ドモヴォイが革袋を担ぎ直し、小さな足で雪を踏む。もじゃもじゃの髭が風に揺れていた。


「温かい飯が食えたのはよかったがのう。あの集落の炉は立派じゃった。ああ、もう少しおりたかったわい」


 誰も応じなかった。


 ラスラフは右手を握った。感覚はないが、力は確かにある。力を握るたび、何かを失っている。今は──近くにいることの安全を。


 一行は北に向かった。永冬の氷原を、寒さを右半身では感じない少年が先頭に立って歩く。寒さを感じないことが便利だと、また思ってしまう自分がいた。代償に慣れること。それがいちばん恐ろしいのかもしれなかった。


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