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エトワール・エスポワール  作者: TAKEさん
第五話『きらめきのあと』

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『きらめきのあと』④

 うねうねと蠢く黒いモヤの塊から、虚空に赤く光る線が伸びた。

 線が走り、瞳ほどの大きさの丸が滑らかに描かれて──いく。

 その中央にひとまわり小さな円が描き終わると同時に、それが不思議な色合いの漆黒となって、虹彩が灯った。

 線だけだった瞳も、虹色がかった蒼に染められた。

 

「……眼?」

 吐息混じりの悠霞の呟きに応えるように、瞳の上を走る線がすっと伸びて流れ、今度は下側にも線が走る。

 流麗な弧を描いた上と下がつながると、アイラインとして太さを増し、ふわりと睫毛が目頭と目尻に伸びた。

 すぐ隣に同じように瞳とアイラインと睫毛が描かれて、二つの眼が宙に現れた。

 上の線──アイラインがすっと降りて重なる。一瞬瞳が消えた。

 すぐにそれが開くと、瞳の周囲が白に満たされて、双眸となった。

(描いている──!?)

 悠霞は、隣の臣吾が息を呑んで土を踏み締める音を聞いた。

 赤く光る線の動きが加速した。みるみるうちに両眉が描かれ、それを目印にしたように、滑らかな鼻筋が伸びて小ぶりな鼻と、ぷっくりとした唇が引き結ばれた。こめかみから頬骨、頬を描いて顎へ走り、そして──。

 顎先からすっと喉の線が伸びた。

 おでこの中央から、前髪がふわっと現れ、徐々に増えながら左右に流れていく。さらに加速した線が走り、そのまま無数の髪の線が、緩やかなウェーブで後ろへ長く流れてそよいだ。

 続いて身体を高速の描線が走り、胴からすっと伸びた脚、そして腕から指先。ミニワンピースに包まれた少女の身体を一息に描きあげていく。

 悠霞と臣吾は、身じろぎもせずに目の前の光景に目を奪われていた。

(なんだ──これ!)

 瞬間、赤くきらめく描線が黒く染まり、宙に浮いて見える『少女の絵』がそっと目を閉じると、その身体が胎児のように手足を縮め、抱きしめるように丸まっていく。

(……動いた?)


 どこかで鳥が飛び立ち、羽音がざわめきに混じった。

 

 刹那。

 丸まっていた身体が解き放たれた。腕や縮めていた膝が伸び、ぐっと力が込められた。足先がすっと下へ落ちる。

 その身体が地上に降りた瞬間、閉じていた瞳が開き、赤く輝く。

 何かが共鳴するような甲高い音とともに、広がったまばゆい光に少女の全身が包まれていく。まるでオーラを纏ったようなその輪郭は、西洋のドラゴンのシルエットに見えた。

 呼応して咆哮に似た音が響く。

「うっ……!」

(何が……起きているの? これは?!)


 臣吾も悠霞も目を刺す光に顔を顰め、かすかに視線を逸らした。

 視線を戻した悠霞の目に映ったのは、描線だけだった少女の身体に色が満ちて、まるで絵から抜け出たように立体となった姿だった。

(……!)

 その瞬間、閃光のように記憶が脳裏をよぎった。

 ──真悠から見せてもらったスケッチブック。

 美麗で不思議な髪の色は、あの真悠のイラストと同じだった。

「……アナベル?」

「えっ」

 その囁きに思わず臣吾は悠霞を見た。

 俯いていた少女が顔を上げた直後。

 地を蹴る音と共に、少女は瞬時に間合いを詰めて眼前に迫る。

「なにっ!」

 反射的に臣吾も悠霞も後ずさって間合いを取った。

「お前──なぜわたしの名前を知っている?」

「!?」

 悠霞は息を呑んだ。

「しゃべった……?」

 臣吾の言葉に、少女──アナベルは嘲るような笑みを浮かべた。

 悠霞はちらりと臣吾に視線を向けて呟いた。

「堀内さんのスケッチブックの絵にあった。だから名前を知っているの」

「何言ってんだ、これも堀内が描いたってのか──?!」

 ふたりの言葉にアナベルが眉を顰める。

「馬鹿なことを──。絵に描かれたものが現世《うつしよ》に抜け出すはずもない。

 大体わたしは絵ではない! そうか……。お前たち、魔道の手妻でわたしを絵に写して呼び寄せたか!」

 その瞳が赤く煌めいた──刹那。

 アナベルの左腕が斜め下から、眼前を振り払うように跳ね上がる。

 腕が鞭のようにしなって見え、その指先から、鋭く爪が伸びた。

「なっ!」

「──!!」

 臣吾も悠霞も左右に跳ねて避けた。

「ふぅん?」

 アナベルは悠霞を追うように身を翻した。地を踏み締める足が変わる。

 下段から右腕が振り上げられた。やはり鞭のようにしなって見える。ボクシングのフリッカージャブにも似た、しなる軌道の裏拳。

(速い!)

 胸元に迫るアナベルの右の手首がくるりと返り、指先から、爪が伸びた。

(裏拳じゃない──!)

 仰け反った胸元を掠めて、何かが、舞う。

 それは、襟元のリボン。なびいたリボンの先端が裂かれて、オレンジの切れ端が舞った。

(最後の瞬間に、手首をスナップさせた?)

 悠霞は脚を踏み換えて、仰け反った身体を立て直す。その動きに乗せた右の裏拳の軌道が、アナベルの頬ギリギリをかすめる。

「ぬ!?」

 目を見開いたアナベルに構わず、左の掌底をアナベルの胸元に放つ。

 打撃でダメージが与えられないのはコボルトで分かっている。

 突き飛ばされたようにアナベルが脚をもつれさせた時、悠霞がすとんと腰を降ろした。

 屈伸運動のような動き。ぐっと曲げられた右脚を軸にして、まっすぐ伸びた左脚が円弧を描き、地面スレスレを一旋した。

 狙いは、アナベルの脚。

 無論、おとなしく脚を払われるアナベルではなかった。

 寸前でアナベルの身体が、宙に──舞った。それまで足のあった空間を、悠霞の左踵が薙ぐ。

(避けられた!)

 悠霞は構わず、振り切った左脚を踏みしめると右脚で地を蹴り、腰を浮かせた。

(背を向けたか、娘!)

 軽く宙を舞ったまま、瞳を赤く煌めかせたアナベルは、両腕を交差させる。

 狙うは──背。

 だが、それは隙ではない。

 足払いの勢いをそのまま、悠霞の右脚が螺旋を描くように跳ね上がった。

 背を向けたわけではなかったのだ。充分に回転の乗った、後ろ回し蹴り。

 アナベルの視界に踵が迫る。

「なっ?!」

 交差した両腕を開く斬撃が使えない──!

 向きを変えた少女──悠霞の視線がアナベルを刺すように見えた。

(ええい! 間に合わぬ)

 交差した腕を固め、衝撃に備える。鈍い音が走った。


──屋上。

 眼下の光景に雄宇は小さく息を呑んだ。

(まさか、ああも動けるのか? もしぼくの想像通りなら──彼女は)

「凄いな、あの二人。まるでカンフー・ムービーじゃないか」

 呆れたように笑ったカールセンは無言のままの雄宇を見た。

「何をしてるんだい?」

 雄宇はいつの間にか携帯を構えて、地上にカメラを向けていた。

「盗撮ですよ」

 そう囁いた雄宇の視線の先。

 悠霞の後ろ回し蹴りに、交差した腕のガードで耐えたドラゴンの少女が着地するなり、真っ直ぐ高く脚を跳ね上げるのが見えた。テコンドーの脳天踵落とし《ネリョチャギ》にも似た技は速く、尋常のものではない。

「速いな」

 雄宇が呟いたとき。

(速え!)

 地上の臣吾は、感嘆しつつもアナベルの隙を突こうとその後ろへ回り込んだ。

 振り下ろされたアナベルの踵を、悠霞はギリギリのところで躱して、ポニーテールが揺れた。

「なるほど。この間合いでその手数。お前が、ウィルの言っていた暗器手《アンクシャ》の娘か!」

 アナベルは昂然と顎を逸らしてそう言った。

 咄嗟に悠霞はステップバックして間合いを取った。

「また──。その言葉!」

 ──暗器手《アンクシャ》。

 あの騎士、ウィルも自分にそう呟いた。やはり意味は分からない。

 だが、その言葉にはどこか禍々しい匂いがあった。

 ──どういう意味なのか。

 思考の坩堝に囚われた瞬間、自身の動きが止まっていたことに悠霞は気づいていなかった。

「紀澄! そいつの言葉に耳を貸すな! お前を惑わしてるだけだ!」


 耳を刺す臣吾の言葉。

 すぐ目の前まで、アナベルが迫っていた。爛々と煌めく赤い瞳と、呼応するように陽の光が指先の爪を輝かせるのが見えた。

「……!」

 臣吾の声は、悠霞の身体を無意識のうちに動かしていた。

 横っ飛びに地を蹴り、回る。スレスレを薙ぐアナベルの爪を見てから、しゃがむように着地した悠霞に、アナベルは悔しそうに口元を歪めた。

「避けたか、娘! 煩わしいぞ、孺子《こぞう》!」

 そう言い放ったアナベルの身体を、出現の際と似た光が包み込んだ。

 立ち上がった悠霞の目に、アナベルの背後でリュックを盾にした臣吾が見えた。

 次の瞬間。

 アナベルの腰のあたりから、何かが伸びた。

「なにっ?!」

 臣吾の目が見開かれた。

 空を切り、鞭のようにしなったそれが、臣吾の脚にからみつく。

「えっ!?」

 悠霞は息を呑んだ。

(しっぽ──?!)

 強く引かれ、足を取られた臣吾は転倒するより他になかった。

「ぬおわっ!」

「火田くん!」

 アナベルは、

「齢《よわい》二百を超える龍種たるこのわたしを、舐めてもらっては困る!」

 と胸を反らした。

 なす術もなく、引きずられる臣吾は顔を歪めた。

(なんだこれ! こんなんありかよ──。ていうか、あいつ二百歳超えてんのか!)

 流石に唖然とした顔の悠霞がアナベル越しに見えた。

(そうか、これなら──!)

 臣吾はリュックを投げ捨てると、もう一度呼吸を整えた。

 呼吸が変わり、臣吾の身体を氣が──巡る。

 臣吾は引きずられながらも上半身を起こした。

 それこそが、臣吾にとって最大の機会だったのだ。

 『爪』の間合いから離れ、氣道を打ち込める、好機。

「こなくそ!」

 脚に絡みついた『尾』に乾坤一擲の掌打が放たれる──刹那。

 眩い輝きが掌に宿った。

 アナベルの『尾』に、バァン! という響きとともに叩き込まれた光は、『尾』を昇るような煌めきとなって駆け上がっていく。

「うぬ?!」

 振り返ったアナベルの表情が変わった。

「ぐむぅ……! 何をした、孺子!?」

 言いながらも、爪が一閃して『尾』を切断する。

「おのれ! 龍種七眷属の一尾たる、わたしに、このような魔道の手妻を使うとは!」

 忌々しげに睨め付けたアナベルは、完全に、その気配を見逃していた。

「──!?」

 視線を悠霞に戻したときには、肉薄する悠霞の掌底が、アナベルの脇腹に吸い込まれていた。

 全身のバネと腰の回転を込めた、渾身の掌底を喰らい、アナベルは足をもつれさせた。

「よくも! アンクシャの娘ェ!」

 よたよたとたたらを踏んで、かろうじて転倒せずに済んだ。


 一方、臣吾の脚に絡みついていたアナベルの『尾』が徐々に白い粒子となって、消失していく。

「おわっ」

 そこまではよかったものの、臣吾は引きずられていた勢いのまま、地面を転がってから立ち上がった。

(ダセぇ──)

 そして──。

 アナベルは膨れっ面で悠霞と臣吾を睥睨すると、

「ええい! ここは分が悪いわ!」

 と言う言葉と共に、その身体が徐々に黒いモヤに変化していき、全身が包まれた瞬間、浮いた。

(逃げる──?)


その⑤へつづく

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