95 遥かな山を越えてきたもの
「おーい、エレーナ。遠くまで行くなよ」
「はーい、勇者様」
旅の合間の休憩タイム。
ようやく荒野地帯を抜けました。
魔物の襲撃もなかったけれど、ずっと変化もなく、ごつごつした岩場や砂礫の連続でうんざりしたところですが、ここいらでようやく緑も増えてきました。
傍らには綺麗な雪解け水をたたえた川が静かに流れています。
「いやー、いい気持ちだねえ」
「ほんとですねえ」
ルビーさんとシルヴァさんは水縁の岩に腰を下ろして早くも一杯……。
もう二人はこの旅を通じていい飲み仲間。
まあいいでしょう。
ここ何日かはお酒どころか水も節制していましたから。
次の町も近づいてきているので、貯めてたものをちょっと放出。馬車を軽くします。
「さて……と」
といってもわたしは相変わらずやることは変わらないんですけどね。
雑用係。道具管理。財政担当。
多彩な能力を持つ勇者様や魔法使いさんとは全然違います。
でもやるからには手を抜かずにやりますよ。
今も次の町で購入するものの予定と、宿の準備に考えを巡らせています。
「エレーナさん、お祈りのための聖水が足りなくなって……」
「はいはい」
「おい、エレーナ。ぼろぼろになったから新しい靴がほしいんだけどなあ」
「次の町でいいものがあったら買い換えましょう」
みなさんのおねだりも始まりますので上手に躱さないと。
やけにみなさん気合いの入っているのは帝国が近づいているからでもあります。
遙か遠くに望む剣のように高い山々。その向こうは帝国領なのです。
大陸の東の果ての辺境国グラスタニアから、西へ西へと帝国を目指して続けてきたこの旅。その帝国の片隅が望めるまでに至って、わたしたちの旅も一つの節目が来ようとしています。
勇者様も、みなさんもテンションが高まってきています。
なんたって古の伝説の勇者がつくった国ですから、これまでみてきた国とは格が違います。
なんやかんやで、下級スキルのわたしがリストラされることもなく勇者メンバーの一員として、ここまできてしまったのが幸か不幸か。
「ちょっと失礼します」
でも出発の前に、お花摘みにーー。
気合いを入れたら催してしまいましたので。
ちょっと離れた草むらを探す。
あんまり遠く行きすぎると何かあった時に、助けを呼べないですからね。
コボルトにお尻をやられた以前の失態の反省もあります。
「えーっと、この辺りでいいかな」
さっと済ませましょう。
意外に場所にうるさいのは、決して十四歳のうら若き乙女だからではありません。
……わたしの前世がちょっとデリケートなおっさんだからです。
……
……
……
「ふうっ、と……」
すっきりして立ち上がろうとしたら、なんかがさっと草木が揺れるような音が後ろからしました。
とっさに振り向くと、目に飛び込んできたものはーー。
「う……あああ」
うめき声。鎧ーー。ぼろぼろの剣。
血達磨、泥だらけ、そしてよたよたと歩きつつ、こっちへ手を伸ばしてくるのです。
リビングデッド。
「うぎゃあああああ」
もちろん、叫び声をあげました。
そして、しりもちついて、自分でつくったばかりの水たまりにはまってしまいましたよ。
「ひえええ。洗濯したばっかりなのに」
といっても、今はそれどころではありません。
目の前に血だらけの鎧をきた人間がわたしに向かってよたよた。
「ひいっ」
がしゃああ。
でもそのリビングデッド、わたしの2、3歩先手前でばったり倒れていました。
「うう……」
微かにうめき声。
「陛下……」
なんか言葉を呟きました。
なんか様子が違う。
「あのーもしもし」
よくよく見ると、息をしています。
死体ではなく瀕死の兵士でした。
「どうした!?」
「大丈夫?」
わたしのあげた悲鳴に、幸い勇者様やシルヴァさんたちがすぐに駆けつけてくれました。
「な、なんか死にかけの兵士さんが……」
「うわ、これは……」
「酷い」
あまりの怪我に絶句です。
「おい、しっかりしろ!」
勇者様が、重たい甲冑をつけた大きな兵士さんの体を起こします。
その顔をみると結構老齢です。
「大丈夫ですか!?」
早速駆けつけてきたマリーさんがすぐに治癒に入ります。
その手際の良さは流石に本職です。
「い、息はまだあります」
「この瀕死の騎士さん、制服や縫いつけられている国章からすると、帝国の兵士のようですね」
学究肌の我が魔法使いさんが豊富な知識をもって分析します。
おそらくこの帝国兵さんは川沿いを下って必死に逃げてきた、とのことです。
「信じられないですよ……あそこを超えてきたとは」
シルヴァさんが目線を移した先は川の上流の険しい峡谷。
高い滝と断崖に阻まれて進もうにも道はありません。
わたしたちもこの後はこの山を大きく迂回する予定でした。
「下手すれば命を落としかねなかったのに……よっぽど何かから逃れようとしたのでしょう」
そしてその険しい山の先はもう帝国領。
確か、帝国の一番はじっこの辺境州と呼ばれる地域ですが、なにがあったのでしょう。
「身なりからすると……ただの兵士ではなく、れっきとしたどこぞの騎士団に所属しているようにもみえますが……」
帝国の騎士であれば、相当な名誉と実力があるはずですが、旗も甲もマントもどっかへ、脱ぎ捨てたのか、見あたりませんので確たることはわかりません。
「他の騎士はどうしたんだろうねえ。騎士団なら、ほかに仲間がいるはずなのに」
辺りを見回しても仲間の騎士はいなさそうです。
「マリー大丈夫か?」
「なんとかいけそうです……」
このグループの回復役、マリーさんは既に傍らに付き添って法術の治癒をしています。
おお、みるみる傷口がふさがっていく。
しかし予断は許しません。
傷はそれなりに回復できますが血は取り戻せません。
血を失い、体力を消耗していたら間に合わない場合もあります。
わたしは何もできませんので、じっと見守ります。
「そうだ……」
今のうちに汚れてしまった衣服を洗いに川べりへこっそり。
この緊迫した状態の時に脱力してしまう情けない有様。
事態が事態なので、笑う人もいなかったのが幸いです。
戻ってくると少し血色が良くなってきました。
「う……」
あ、老騎士さんが息を吹き返しました。
「おい、おっさん、大丈夫か?」
事情を聞かないといけません。
なにをしゃべることやら。




