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92 幕間 闇に堕ちる千年帝国⑤

「我が妻と娘だけは、どうあってもをその身の安全を保障すると約束したはず」


 時に政敵を追いやり、罠にはめるなど権謀術数の世界で腹黒く生きてきた大臣だが、かけがえのない大事なものがあった。

 家族。

 長年連れ添った妻のリンダ。

 名も無き市民だった頃から、苦楽を共にし、腹黒大臣と世間から蔑まれ、時に政敵に追い落とされ、また這い上がった。

 そんな毀誉褒貶激しい世界の夫を妻は忠告していた。

「あなたとわたしと娘が幸せなら、それだけでいい」

 それが口癖の妻は、立身出世を追い求める夫に不安を感じ、諫めていた。

 若い頃から病弱で床に伏せることの多い妻だったが、夫に尽くし、仲むつまじいオシドリ夫婦であった。

 そしてもう一つ。

 何よりの宝は、今年十五になる美しい娘、セレナ。

 自分と妻に生まれ、大事に育てた一人娘だ。

 幼い頃から可愛がり、数年前からは修道院に預け、俗世から切り離し、大事に育てた。

 美しさは母に似て、その逞しい成長ぶりは、父に似た。

 清楚で純粋な娘は何よりの宝。

 行く末は、立派な御仁あるいは皇太子の妃にもなれると。

 だがそれまでは大切に育ててゆく。

 リザール大臣の全てだった。


「ああ、そのことでしたかーーふふ、そうでしたね、もちろん忘れてませんよ。大事な奥さんのリンダさんと娘のセレナさん」


 再び薄笑いを浮かべた。

 エンナは、リザールの弱点を見逃さなかった。

 エンナが宮廷に登用されると、すぐに正体を表し、あっという間に宮廷に浸透し、王侯貴族たちを堕落させた。

 そしてリザールも魔族への協力を迫られ、脅かされるようになった。

 協力の見返りに、いつかこの地上が魔族の支配する世になっても。自分たち家族の身の安全を保証する。逆らえば保証しない。

 人質を取られたリザールは受け入れざるを得なかった。


「たとえこの世界が魔族のものになってもーーあなたの大事な家族は生きながらえさせる、確かにそう約束しました」


 約束は必ず守る、という言葉に惑わされ、この半年もの間を悪魔に頭を垂れ、膝を屈する耐え難い日々を大臣は過ごした。

 だがその恐怖と屈辱も限界だった。


「その保証はどこにあるっ行く末いつまでも守られる保証をよこせ」


 一刻も早く家族に会いたい。それだけが今の大臣の心を支配していた。


「保証? ……ふふ……大臣は疑り深いのですね」

「笑いごとではない、二人は、リンダとセレナはわしの全てなのだ」


 もはや世界は救われないだろうが、自分がどんなに汚れても二人は守ると心に決意していた。

 今魔族に囚われた妻と娘がどうしているかと思うと、その胸が狂わんばかりだった。

 世を知らない娘が恐ろしい悪魔に身を震わせ、病弱な妻が、その過酷な状況にどう耐えられるのか。


「大臣、ご安心を。我々魔族は、交わした契約は口約束でも必ず守ります。約束も誓いもすぐに忘れるあなたたち人間とは違うのですよ」


 だが信用などできない。ましてや悪魔相手、保証が必要だ。


「なら、早くその保証をみせてくれ。わしと妻と娘三人、一緒に暮らせる日々を再び……」

「ふふふ」


 薄笑いのエンナの口元がさらに大きくにやけた。口元の牙が笑みから覗きみえた。


「慌てずともーー。誰がみてもわかるように、その証を二人に与えてあげましたよ。なんなら今すぐにでも、会って確かめていただくこともできますよ」

「な、なんだと? どういうことだ。ど、どこにいる妻と娘は……」


 かえって動揺した。突然の母と娘との再会を示唆されてーー。


「ほほ、ふふふ」


 口に手をあてて、笑った。まるで無知な子供を哀れむような目でーー。


「な、何を笑っているんだ」

「二人はここにさっきからずっといます、気づかなかったのですか?」


 エンナはすっと細い右腕をあげて、ベッドで皇帝と戯れる黒い娘たちの群れを指さした。


「確かに約束を守りましたよ、大臣。その身の安全を永遠に、未来永劫ーーわたしたちの眷属としてね」


 そしてエンナは皇帝が横たわる天蓋ベッドに歩み寄り、カーテンを開けた。


「ま、まさか……」


 皇帝のベッドの上で戯れる二匹の快楽を司る魔の娘が顔をあげた。


「二人とも、ご挨拶なさい、父上にーー」


 その一体と眼があった。

 皇帝の身体を弄んでいていたのはーー。

 少し幼げな顔立ち、ただし体は立派な女の肢体になっている娘の顔をしたそれはーー。

 恍惚とした表情を父に向けた。


「あ、パパ、こんなところにいたんだあ」

「せ、セレナ!」

 

 悲鳴をあげた。間違いない。まさしく娘のセレナだった。

 だが、父の知っている娘ではなかった。

 修道院に預け、信心深く純潔を守ってきた娘がーー。

 今は皇帝の身体に纏わりついている。

 顔も手もーー。


「パパぁ、とっても楽しいよぉ、こっちにおいでよ」


 その娘の顔をした淫らな魔の娘は誘うような腰つきと表情を父へ向けた。

 母譲りのブロンドの長い髪はますます金色に怪しく輝き、碧眼は、今はぎらぎらした赤い瞳が闇の中で光る。


「おまえが、おまえが何故……」


 そして背中の黒い翼を嬉しそうにバサバサと羽ばたかせる。頭には二本の角ーー。


「あ、ああ……そ、そんな……」


 そしてもう一体。


「あら、あなたぁそこにいたのねぇ」


 すっかり緩んだ表情は、以前の堅実な妻とはまるで違うが、すぐに気づいた。


「り、リンダ……なのか?」


 お互いに五十は過ぎている。

 既に妻も若いとはいえない。

 白髪交じり、衰えいたはずの肌は、すっかりさらさらと髪になびき、艶のある肌。時を遡り、若返ったその姿は、まるで少女だった。

 やはあり黒い尻尾を揺らし、背中の黒い翼をはばたかせた。

 

 もともと病弱で細身だった妻が、今は豊満な身体を揺らし、やはり娘と同じく皇帝の傍らに侍っていた。

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