88 幕間 闇に堕ちる千年帝国①
神聖バロニア帝国は並ぶ国無しとその名を大陸中に轟かせる大国であった。
大陸の西側半分を領有し、ひしめきあう国家の中でも最大の面積と人口を要する。
肥沃な土地にも恵まれ、作物はよく実り、兵は精強。
他に比類なき国であった。
その建国は、遙か千年前にさかのぼる。
いにしえの勇者たちが魔王を倒して後、何もなかったこの地にやってきて、小さな国を作ったのが、その始まり。年を追ってその勢力を拡大させ、帝都バロンは、大陸各地から物や人が集まる花の都として栄えていた。
太古の時代に世界を脅かした魔族との戦いとその恐怖も人々記憶の彼方となり、繁栄を謳歌していた。
だが、太陽のごとく輝くその千年帝国に、再び不吉な影が忍び寄ってきていたことを、まだ誰も知る由もなかった。
帝都の皇城で開かれた御前会議は紛糾した。
きっかけは 宮廷女官長エンナより不在の皇帝からの御言葉が代読されたことによるものであった。
御前会議は、全ての大臣と将軍が出席し、皇帝の面前で国の方針を決定する帝国の最高会議である。
だが、肝心の皇帝はこのところ会議を欠席していた。
家臣を見下ろすもっとも高い場所にある玉座は、主不在のまま。
散りばめられた宝石がむなしく輝きを放っている。
「な、何!? 今年の建国記念式典は中止、だと!?」
会議室はにわかに騒然とする。
「皇宮の修復費や、皇族方に投じる宮廷費が増して窮乏のおりに、豪勢な式典など、無駄遣いの極み。故に中止する……」
胸元と肩の部分に白い模様が入った青地の女官服に身を包むエンナは、会議の席上の者を見渡す。議場の右側は将軍をはじめとする武官、左側には行政を司る大臣たち文官が着座している。
自身は皇帝が座るはずの中央の玉座の前に威を借るように直立している。
「以上が陛下の御意向です」
その素っ気ない物言いに、名将の誉れ高い帝都防衛軍司令官、ハインツ将軍が、やおら立ち上がった。
「ば、馬鹿なっ」
熱血将軍との異名を持ち祖国への忠誠心篤いハインツ将軍は、そのいかめしい顔を怒りで紅潮させる。
「陛下は本当にそのように仰られたのか!? 我が国が建国以来、一度も欠かしたことのない式典であるぞ。いにしえに人類が魔王に勝利し、国父たる勇者を湛えるのが三歳児でも知っているこの国の伝統行事ーー」
ハインツ将軍はさらにほえた。
帝都では、つい十日前にもいにしえの勇者が魔王を激闘の末に倒した史実を湛える記念碑が、何者かに破壊された。
さらにその一月前には勇者が葬られたとされる初代皇帝陵が、何者かに荒らされ、魔王の心臓を貫いたとされる聖剣や武具など夥しい埋葬品が奪われた。それら犯人は未だ捕まらず。そして未だに修復もされず放置されたまま。
さらに今また、伝統の式典を中止すると告げられ、不満は頂点に達していた。
ハインツ将軍は、我慢ならぬと憎き女の顔を睨みつける。
だが女官長エンナは涼しげな顔のままだった。
「しかし、確かに陛下はわたしにそう仰られております。大臣、将軍諸卿も、そう心得られよ」
絹の糸のような銀髪と碧眼ーー、遙か年下のエンナはまだ少女の面立ちにもかかわらず、歴戦の軍人の威圧に動じない。それどころか口元には薄笑いすら浮かべている。
ハインツ将軍の怒りは頂点に達した。
「小娘、ふざけるなっ。そもそもたかが宮廷付けの女官である貴様に何故、我々が指示されなければいかんのだ」
鋭い眼光をエンナに叩きつける。
宮廷女官は皇帝の身の回りを世話する謂わば雑用が仕事。
政治的な権限は本来無い。
この最高会議に出席すら許されないはずの地位の低い者である。それが今や、会議を取り仕切る権力者だった。
だがエンナは壮年の軍人の威圧に全く臆することなく、冷酷な声で返した。
「ハインツ将軍、貴公こそ控えよ。これは陛下のご意志である」
凍り付くような瞳と声に、周囲のものは身を冷やした。
逆にその声は薄笑いさえ含まれている。
「その証はーー陛下の御意志である確かな証拠をお持ちなのだろうな」
ハインツ将軍は、それでも怯まない。将軍を支持する出席者も何人かそうだ、とうなづく。
「ほほほ、それは当然のこと。これから諸卿にお見せいたしましょう」
エンナは一笑に付すと傍らから、一枚のくるまれた羊紙を取り出した。
「この通りーー」
五百年目に当たるバロニア帝国建国式典の中止を指示する命令書だった。
直筆の書類には、帝国皇帝の印が押されていた。
「この玉璽印をみても、将軍は従わぬと仰られるのか。」
「うっそれは」
ハインツ将軍は始めて声を飲み込んだ。
この国で皇帝の権力は絶対。それをかさに着る女官エンナはハインツにとっては奸族そのものであった。もし帯刀を許されていたならば今すぐ叩き切って国の憂いを取り除いているところだ。
「ぐぐぐ……」
だが正式な皇帝の文書を前には、今は押し黙り、頭を下げるしかなかった。
拝礼を強いられ、屈辱になおも体を振るわせるハインツ将軍を周囲の同僚たちが宥める。
「よろしいかな、諸卿もご納得いただけたことでしょう」
もはや反論する者もなかった。
筆頭大臣初め、皆黙ったまま。気の小さい官僚などは、エンナの冷たい瞳ににらまれると震え上がってしまう。
大勢は決した。
その後の会議はエンナの思うがままだった。
各種税の引き上げ、地方からの献上物をより高価なものに。重要な事項が次々に決定されていった。
心ある者は嘆いた。
せめて、陛下さえお見えになれば。
今は宮廷に閉じこもり姿を見せないが、かつて名君と言われた皇帝陛下が出席してくれればこんなことにはならなかったはず。
だが皇帝はめっきり最高会議に出てくることはなくなり、宮廷にこもりきり。
そしてそのかわりにあの女官エンナが帝国最高会議を取り仕切る。
あの若い風貌で、いまや帝国の最高権力者。
突如宮廷に現れた謎の女官の正体は誰も知ることはなかった。
※謎の登場人物は同一キャラです。




