妖怪と人間の間には
「由香里ちゃんっ」
「きゃああっ、化け物」
安倍 由香里が大声を上げて俺にしがみついてきた。その化け物とさっきまで良い感じだったことなんか、どこの妄想だと言いたいくらい、彼女の顔には恐怖と嫌悪感しか浮んでいない。
術が解けて彼女にもでかい猪の姿に見えるようになったんだろう。
だったら、これがまっとうな反応だとは思うのに、なんだか俺は猪が可哀そうで堪らない。
「由香里……」
「きゃああっ、来ないでよ。気色悪いっ。早くやっつけてよ、消してちょうだい」
安倍 由香里の言葉に猪はよろよろと後ろによろけた。
「あんた、自分の姿鏡で見たことあるの? よくもあたしを騙したわね、許さないからっ」
「もう、止めろよ。自分ばっかし被害者面すんな」
言い募る彼女に腹が立って仕方ない。そりゃ、猪はイケメンに成りすましたかもしれないけど。ていよく使って良い思いをしたのはおまえじゃないか。
もうモテない男連盟でも作って署名活動したいくらいだ。このまま見逃してやれよ。そう思った俺の横で猫又が肩をぐるりと回す。
「んじゃ、こいつは俺サマが消滅させてやる」
「な、何言ってるんだよ。悪いことしたかもしれないけど、あいつだって反省してるだろうし、何も殺すなんて……妖怪の仲間じゃないか」
「仲間だぁ?」
いきなり猫又が腹を押えて笑いだした。最後には涙まで流している。
「何がそんなに……」
「おかしいのかって?」
俺の言葉を勝手に引き取って猫又が胸倉を掴んだ。
「妖怪にお友達なんてのはいないんだよ。俺サマにだってそんなやつはいない。人間に害をなす妖怪を殺す。徳ってやつを積み立てて今度こそ成仏してやる。じゃまするなよ、悠斗」
猫又に突き放されて、俺は唖然と立ちすくむ。
結構楽しく暮らしていたと思っていたのは俺だけだったのか。
「何泣いてんだよ」
「泣いてなんかねえよ。おまえなんか、ばんばん同胞を殺しまくってさっさと成仏しちまえっ。友達だと思ってたのは俺だけだったんだからな」
「おい、悠斗」
「触んなっ、冷血妖怪」
掴まれた腕を振り払うと、猫又は唇を一文字にして俺を見る。その隙に猪妖怪は四つん這いで逃げて行く。驚くほどの早さだった。やっぱり二足歩行は無理があったのか。そりゃそうだろう、あいつは猪だ。
「殺さないのかよ、逃げてくぞ」
「うるさい」
猫又は一言言うと降りて来たご神木に再び飛び上がるとそのまま登って行く。
「女、終ったぞ」
「あ……うん。ありがとう」
猫又の声に安倍 由香里が思い出したように礼を言うと踵を返して駈け出して行く。彼女にとっても思い出したくない事件だろう。
「終った……んだ」
一件落着――そのはずなのに、この寂寥感はなんなのだろう。
「帰らないのか、猫又」
見上げても猫又の姿は見えない。もしかしてこのまま別れるつもりなんじゃないか。でも、そんなの嫌だ。このまま喧嘩別れはもっと嫌なんだ。
「おまえが俺のこと、なんとも思ってなくても極悪非道でもいい。いつだって、俺のとこに帰って来いよ、猫又」
首を伸ばして必死で木々の間を探すが、どこにも猫又は見えず、返事も返って来なかった。代わりにざわざわと冷たい風にあおられた木々が大きく音を立てる。
始まりも突然で、結局終わりも突然だった。
初めてあったのも真っ暗な夜で、結局さよならした今も夜。相手は妖怪だったんだと改めて思う。分かり合えない、そうなのか。
『人間と妖怪の恋愛なんてありえるわけが無い』猫又はそう言ったけど、妖怪と人間の友情はどうなんだ?
俺は、俺はあると今でも思ってるよ、猫又。
気づかれないように二階の窓から家に帰る。靴を先に窓から投げ込んで体を入れた。ため息をついてベッドを見る。
そうだよ、いつもこんな感じでベッドを占領してるんだ猫又は……って。
「猫又?」
「へっくしゅんっ。早く窓を閉めろっ、寒いだろ」
そこにいたのは黒猫でそいつには尻尾が二本あった。
「猫又っ」
「なんだよ、一回言えば分かるだろ。夜中なんだぜ。大きな声を出すな。それとな」
猫又がぺろりと前足を舐める。
「ここにいるのは居心地がいいからだ。それにおまえは『視えるやつ』だ。これからも役に立つ……まあ嫌いってわけでもないしな」
「視える?」
「端からおまえにはあのイケメンの正体が視えていたろうが。そういうことだ」
俺って視える人だったのか。すごいのかそれ? それが役に立つ場面が思いつかない。だけど猫又は俺のこと嫌いじゃ無いことが分っただけでもいい。
「ヘラヘラ笑うなっ、気味が悪い」
そう言って猫又は丸くなってしまったけど。
猫又が戻ってきた。それだけで俺は良しとした。
終わり