表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌えない魔法使いは追放された ~才能ゼロの烙印を押された歌は、世界を創り変える禁呪だと誰も知らない~  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

95/102

遠い歌

 ラウカ渓谷を後にした。

 巨石群の歌が背後で遠ざかっていく。振り返ると、木々の間に苔むした石の頂がまだ見える。あそこで世界の始まりの歌を聴いた。あそこでカレの力は変わった。

 名づけの歌の余韻で、感覚が研ぎ澄まされていた。

 風の中に微かなルーノの気配を感じる。木々の呼吸が聞こえる。足元の土に宿る古い旋律の痕跡が、かすかに振動している。世界は歌で満ちていた。以前は感じ取れなかったものが、名づけの歌を得た今は聞こえる。

「カレ、顔色が変わったわね」

 アイノが隣を歩きながら言った。

「目が違う。何かに耳を澄ませているような目をしているわ」

「……聞こえるんだ。色んなものが。前より多く」

「名づけの歌の影響?」

「たぶん。世界の声が——」

 カレは言葉を探した。上手く説明できない。

「大きくなった。いや、前からこの大きさだったのかもしれない。俺の耳が開いただけで」

 レンミンカイネンが先頭を歩いている。渓谷から下流に向かう道は、来たときよりも歩きやすく感じた。

「お前さ、遺跡に入ってから雰囲気変わったよな」

「そうか?」

「ああ。前は歌うとき、いつも力んでた。肩に力が入ってたんだよ。今はそれがない」

 レンミンカイネンの観察は鋭かった。歌えない男だからこそ、歌い手の身体の変化に目が行くのかもしれない。

 渓谷の出口が見えた。

 狭まっていた崖の壁が両側に開き、空が広がる。午後の日差しが降り注ぎ、目が眩んだ。渓谷の薄暗さに慣れた目には、陽光が痛い。

 その瞬間だった。

 カレが足を止めた。

「……聞こえる」

 低い声で言った。

 遠くから、歌が聞こえている。渓谷の巨石の歌ではない。もっと遠い。もっと深い。世界の根底を流れるような、低く重い旋律。

 北のほうから。

「アイノ、聞こえるか?」

 アイノが立ち止まった。目を閉じ、耳を澄ませる。カンテレの弦に指を添えて、共振を探る。

 しばらくして、首を横に振った。

「聞こえないわ。何が聞こえているの?」

「歌だ。遠い歌。北のほうから——低くて、深くて、世界の底を流れているような」

 アイノの表情が変わった。

「あなたの力が強くなって、感じ取れるものが増えたのかもしれない」

「感じ取れるもの?」

「原初歌と同質の力を持っているなら——サンポもまた原初歌から生まれたものだとしたら。あなたの耳が、サンポの歌を拾っている可能性があるわ」

 カレは北を見た。渓谷を出た先に広がる森の向こう。山並みの先。さらに遠く、ポヒョラの方角。

「北のほうから……聞こえた気がする」

 歌はもう止んでいた。一瞬の幻聴のように短かった。だが確かに聞こえた。旋律の一端が、カレの耳に届いた。

 レンミンカイネンが腕を組んだ。

「聞こえようが聞こえまいが、北に行くんだろ? なら関係ない。行く先が合っているなら、むしろ好都合じゃないか」

 実利的な意見だった。レンミンカイネンらしい。

 だがカレの耳には、あの旋律がまだ残響として残っている。低く、深く、途方もなく遠い歌。巨石で体験した原初歌と同質の響き。だがあの歌は石に刻まれた過去の残響だった。今聞こえたものは——今この瞬間に、どこかで歌われている生きた歌だった。

 サンポの歌なのか。

 それとも、自分の力が見せる幻なのか。

 まだわからない。

 だが確かに、北の方角から聞こえた。

 三人は渓谷を後にして、タルヴァス河の下流へ向かった。日が傾き始め、木々の影が長く伸びている。

 カレは歩きながら、何度か北を振り返った。

 歌は聞こえなかった。だがあの旋律の記憶は、胸の奥に刻まれている。世界の底を流れる歌。いつか、あの歌の主のもとにたどり着く。

 渓谷を離れても、カレの耳に微かな歌が残っていた。それがサンポの歌なのか、自分の力が生んだ幻なのか——まだわからない。

 だが確かに、北の方角から聞こえていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ