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歌えない魔法使いは追放された ~才能ゼロの烙印を押された歌は、世界を創り変える禁呪だと誰も知らない~  作者: 蒼月よる


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心が見えた日

 共鳴がさらに深まった。

 カレの中にアイノの感情が流れ込み、アイノの中にカレの感情が流れ込んでいる。心が裸になる感覚。鎧を剥がされ、隠していた全てが相手に見えてしまう恐怖。だが歌は止まらなかった。止められなかった。止めたら——みんなが凍える。

 カレの言葉がアイノの旋律に乗り、廃村の周辺一帯の冬の空気が緩み始めた。

 凍った大地に温もりが戻る。霜が溶け、氷が川のように流れ出す。廃村の中心から外に向かって、春の波紋が広がっていく。凍りついた家の壁から氷が滑り落ち、窓に張った霜が消え、囲炉裏の火が力を取り戻して橙色に燃え上がる。

「暖かい……!」

 家の中からヴェイッコの声が聞こえた。小さな声に喜びが弾けている。マルヤの安堵のため息が続く。

 カレは歌い続けた。言葉を紡ぎ続けた。

「大地よ、お前は凍土ではない。お前は母だ。全てを育む母だ」

 アイノのカンテレがその言葉を受け取り、旋律に変換する。音が大地に染み込み、凍った土が柔らかさを取り戻す。枯れた草の根が水を吸い、地面に微かな緑が滲み始める。

 季節が——変わろうとしていた。

 霜の歌い手が歌で対抗した。古い冬の旋律が力を増し、再び氷を生もうとする。だが共鳴の力の前に、氷は生まれた端から春に還っていく。カレの言葉が氷の本質を「眠り」と定義し、アイノの旋律がその定義に力を与え続ける限り、氷は氷のままでいられない。眠りは——やがて覚める。冬は——やがて春になる。

 霜の歌い手の顔に、二度目の表情が浮かんだ。

 動揺ではなかった。畏怖だった。

「……ありえない」

 凍えた声に、初めて感情が宿った。

「これは——ロウヒ様に報告しなければ」

 霜の歌い手が歌を止め、背を向けた。白い外套が翻り、氷の残滓が外套の裾に舞う。一歩ごとに周囲の温度が下がるが、その冷気も共鳴の余波に押し返されて薄れていく。

 北へ。霜の歌い手が森の中へ消えていく。追手は撤退した。

 廃村に、春の気配が満ちた。

 嘘のような光景だった。秋の終わりの廃村に、春の匂いが漂っている。溶けた氷が川になって流れ、大地が濡れて黒く光り、空気が柔らかく温かい。結界の向こうに残る氷の森との境界線が、まるで季節の境界線のように鮮明だ。

 ロヴィアタルが結界を解いた。力を使い果たした老魔女が、ゆっくりと地面に崩れるように座り込む。

 そして——共鳴が解けた。


 解けた瞬間、カレの膝が折れた。

 同時にアイノも膝をついた。二人が広場の地面に崩れ落ちる。

 体の疲労ではなかった。もちろん疲れてはいる。だがそれ以上に——共鳴の中で流れ込んだ互いの感情が、心の中で渦を巻いていた。

 カレはアイノの記憶を見た。

 暗い部屋。石造りの冷たい壁に囲まれた、窓のない部屋。カンテレの弦を血が出るまで弾かされた指。「お前の音は道具だ。そう思え」と言い放つ冷たい声。逃げ出した夜、振り返らなかった背中。凍った道を裸足で走った足の痛み。

 アイノはカレの記憶を見た。

 測定器の前に立つ少年。「該当なし」と表示される数値。周囲のざわめき。「才能ゼロだ」と宣告する声。村を出る朝、見送りのない道。振り返っても誰もいなかった背中。一人で歩き続けた日々。

 二人が気まずく目を逸らした。

 肩で息をしながら、地面を見つめている。互いの顔を見る勇気がない。

「……見えた?」

 カレが訊いた。声が掠れている。

「……見えた」

 アイノが答えた。声が震えている。

 それ以上は何も言えなかった。

 相手の心の傷を見てしまった。隠していたもの、触れてほしくなかったもの、自分でも目を背けていたものが——全て見えてしまった。気まずさが二人の間に横たわっている。

 だがカレは——アイノの傷に触れなかった。

 見えたことには触れなかった。何も言わなかった。ポヒョラでの辛い日々について、訊かなかった。

 アイノもカレの傷に触れなかった。才能ゼロの苦しみについて、何も言わなかった。

 それが——二人の間に、最初の信頼を生んだ。

 見てしまった。知ってしまった。でも踏み込まなかった。相手の痛みに敬意を払った。それは——距離の取り方としては、正しかった。

 住人たちが家から出てきた。ヴェイッコがカレに飛びつき、マルヤが涙を拭い、セッポが「一体何が起きたんだ」と呆然としている。春の空気の中で、廃村の人々が生き延びた安堵に包まれている。

 ロヴィアタルが二人のそばに歩いてきた。杖にすがり、足を引きずりながら。顔色は最悪だ。だが——微笑んでいた。枯れた唇が動き、小さく呟く。

「お前たちなら、あるいは……」

 言葉の続きは飲み込まれた。何を言おうとしたのか、老魔女は明かさなかった。ただ灰色の瞳が、遠くを——北の空を見つめていた。

 カレはその呟きが気になった。だが今は訊けなかった。体が動かない。心が疲れている。

 アイノが立ち上がった。カンテレを抱え直し、背を向ける。

「……今日のことは」

「うん」

「忘れなさい」

「……どっちのことだ。戦いのほうか、それとも——」

「全部」

 アイノが歩き去った。だがその足取りは——軽かった。去り際に、ほんの一瞬だけ振り返った。目が合った。すぐに逸らされた。

 気まずさの中に——嫌悪はなかった。

 カレは広場に座ったまま、空を見上げた。共鳴の余波で春めいた空気が頬を撫でる。秋の空に、季節外れの温もりが残っている。

 心が見えた。互いの傷が、痛みが、孤独が。気まずい。それは間違いない。でも——嫌ではなかった。

 それは、初めて本当の意味で、誰かに知ってもらえたということだから。

 北へ消えた霜の歌い手は、この力をロウヒに伝えるだろう。ポヒョラの女主人が、カレとアイノの共鳴を知った時——何が起きるのか。

 嵐は、まだ始まったばかりだ。


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