表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌えない魔法使いは追放された ~才能ゼロの烙印を押された歌は、世界を創り変える禁呪だと誰も知らない~  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/101

逃げてきた人の場所

 数日が過ぎた。

 女は相変わらずカレを避けていた。廊下ですれ違えば目を逸らし、話しかければ「用がないなら」と突き放す。だが変化はあった。

 共同食卓に現れるようになったのだ。

 最初は端の席に座り、誰とも話さず食べて去るだけだった。三日目に、マルヤが「パンの焼き加減はどう?」と声をかけた。女は一瞬黙り、それから「……悪くない」とぶっきらぼうに答えた。マルヤがにっこり笑った。五日目には、ヴェイッコが女のカンテレを指差して「それ何?」と訊き、「楽器。触るな」と返された。ヴェイッコは怒るどころか目を輝かせた。

 壁が薄くなっている。ほんの少しずつ。

 カレはそれを遠くから見ていた。自分が近づくと壁が厚くなるのだ。だからマルヤやヴェイッコに任せて、カレは修行に打ち込んだ。


 その日の夕方、ロヴィアタルの表情が曇った。

 いつものように結界の状態を確認していた老魔女が、杖を握る手に力を込めた。目を細め、北の方角を見つめる。

「北から、嫌な気配がする」

 カレが修行の手を止めた。

「ポヒョラの匂いだよ」

 嫌な予感が背筋を走った。歌術師団の件からまだ半月も経っていない。次は何が来るのか。

「歌術師団の残りですか」

「いいや。あれとは格が違う」

 ロヴィアタルの声に、初めて聞く緊張があった。あの歌術師団の戦いでさえ余裕を見せていた老魔女が——怯えてはいないが、明確に警戒している。

「もっと厄介なのが来るよ」

「……またか」

 カレは拳を握った。この廃村は平穏でいられないのか。守るべきものがある場所には、脅威が引き寄せられるとでもいうのか。

 ロヴィアタルがカレを見た。

「あの子のことだろうね。ポヒョラの追手だ」

 あの女。ポヒョラから逃げてきた、カンテレを抱えた女。追手が来る——ということは、女がここにいることが知られたのか。あるいは、元から追われていたのか。

「結界は持ちますか」

「わからんよ。相手による」

 ロヴィアタルは正直だった。からからと笑いもしない。それが、事態の深刻さを物語っている。


 夜になった。

 カレが広場を横切ろうとした時、あの女の姿が目に入った。

 小屋の前で、荷物をまとめている。

 ボロボロの外套を肩にかけ、カンテレを背に負い、わずかな食糧を袋に詰めている。出発の準備だ。

 カレは駆け寄った。

「どこへ行くんだ」

 女が振り返った。月明かりの下で、その表情は決意と恐怖が入り混じっている。

「私のせいで皆が危険になる。ここから離れたほうがいい」

「追手はあんたを追ってるんだろう。一人で逃げてどうする」

「一人のほうが身軽よ。今までもそうしてきた」

「それで倒れて死にかけてたじゃないか」

 女が言葉を詰まらせた。カレの指摘は正確だった。一人で逃げ続けた結果が、あの日の行き倒れだ。

「……あんたには関係ない」

「関係あるよ。俺がここに連れてきたんだ」

「勝手に連れてきたのはあんたでしょ。頼んでない」

「じゃあ倒れたまま死ねばよかったのか」

 女が睨みつけた。カレも引かなかった。普段の口下手が嘘のように、言葉が出てくる。

「ここはそういう人が集まる場所だ」

 カレは言った。

「追放された人も、逃げてきた人も。俺もそうだった」

 女の手が止まった。荷物を詰める手が、中途半端な位置で凍りついている。

「才能ゼロで村を追い出された。行くところなんかなかった。ここに流れ着いて、ばあさんに拾ってもらった。だから——」

 カレは言葉を探した。気の利いたことは言えない。いつもそうだ。

「……逃げたって追ってくる。ばあさんにそう教わった。逃げるのをやめて、ここで一緒に——」

「一緒に何」

 女が遮った。声が鋭い。だが——さっきまでの拒絶とは、少し違う。何かを確かめようとしている声だった。

 カレは答えに詰まった。一緒に戦う? 一緒に暮らす? どれも大げさすぎる。まだ名前すら知らない相手に。

「……わからない。でも、一人よりはましだと思う」

 不格好な言葉だった。自分でも呆れるくらい。

 女がカレを見つめた。長い時間が流れた。

「……アイノ」

「え?」

「名前。アイノ」

 カレは瞬きした。

「……カレだ。俺の名前」

「知ってる。あの老婆が呼んでたから」

 アイノは荷物を下ろした。袋の口を結び直し、小屋の中に戻っていく。振り返らなかった。

 だが——出発の荷物を解いていた。


 アイノは荷物を下ろした。まだ信じてはいない。でも今夜は——逃げないことを選んだ。

 北からの気配が、確実に近づいている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ