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夢夜行  作者: 砂原樹
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 視線を下ろせば己の膝の上で規則正しい寝息をたてる彼女の顔がある。その表情は穏やかで、小さな笑みすら浮かべている。そのことに、少しだけ安心した。

 俺と同時期に眠らなければ、彼女が悪夢を見ることは無いらしい。

 まさか彼女が同じ夢を見ているとは思わなかった。

 目の下にうっすらと浮かんだ隈を見つけて、眉を寄せる。何故同じ夢を見てしまっているのだろう。いつから。もしかして最初からだろうか。だとすれば、随分と俺は酷いことをしでかしている。

 あの日再会してから幾度となく訪れる夢の中で、俺はその度彼女を殺してきた。彼女の中では、もう何度俺に殺されているのだろう。


 彼女はおそらく、俺を覚えてはいない。

 戸叶沙耶。

 昔近所に住んでいた、俺の幼なじみ。

 あの頃はことある事に遊んでいた。ずっと続くかと思っていた日々は、ある日を境に突然途絶えた。

 彼女の額にかかる前髪をそっと払うと、寝ているのをいいことにその顔をまじまじと見る。

 面影はある。だが、随分と変わった。

 変わったというか、成長した。

 当たり前か。最後に姿を見たあの頃からは、もう何年も経っているのだから。

 あの日、虚ろな瞳に絶望を宿していた彼女の面影はもうない。あるのはそれより前の、無邪気で自由な頃の面影だけ。


 沙耶。


 声に出さずに、口の中だけでその名を呟く。彼女は俺を初対面と認識している割に、妙に馴れ馴れしい。身体が覚えてしまっているのだろうか。頭の片隅にでも、残滓が残っているのだろうか。

 彼女が再び絶望を宿してしまうくらいなら、俺の事など思い出さないままでいい。

 あの日再会した時に、関わらなければ良かった。知らぬ振りで突き放すべきだった。

 なのにどうして、俺は今彼女に膝を貸して居るのだろう。



 *



 俺の血筋は呪われている。

 遡れば数代前から続くこの呪いは、一体何が発端なのか詳しくは分からない。 でもそれは効力の大小はあれど、確実に子孫へと受け継がれていた。

 生まれつき色素が薄いもの。身体が弱いもの。そういった特徴を持って生まれ落ちた子供は、特に強い呪いを宿す傾向にあるという。

 そして残念ながら、俺は生まれつき色素が薄かった。

 物心着いた頃に初めに両親から教わったことは、『一人でいることに慣れなさい』というものだった。

 初めは訳が分からなかった。どうして一人いなければならないのか。人と関わってはいけないのか。もっと遊びたい。俺だって友達が欲しい。一人では寂しい。

 親に隠れて外に行き、道端の猫を構ったり、公園で子供が遊んでいるところに混ぜてもらったり。数度そんなことを繰り返したものの、自らに流れる血の影響を色濃く感じてしまい、ついにはやめた。

 この呪いは周囲を巻き込んで不幸を撒き散らす。そういった類のものだった。

 でも、俺が誰かに、何かに関わらなければ相手が害されることは無い。そう気づいたのはあの秘密の外出のおかげでもある。


 この呪いは執拗だ。

 俺が関わる家族以外の生き物を、執念深くつけまわす。

 誰かに止むおえず関わった日の夜は、必ずその人の出てくる夢を見た。

 そしてその夢の中で、呪いが俺に指令を下すのだ。

 その人を後ろから突き飛ばせ。頭から水を被せろ。鞄をひったくれ。全身を蹴り上げろ。毎回内容は違うものの、その根本は共通している。

 悪意を持ってその人を害せと。

 心の中にふと浮かび上がる命令として俺を揺さぶるそれらの言葉に、さしたる強制力はない。

 身体が勝手に動く訳でもないし、そうしたくてたまらなくなるよう、精神を操作される訳でもない。

 ただ、そう命令を下される。

 だから、俺は初めそれを無視していた。

 たとえ夢の中であろうと、他人を傷つけたくなどなかった。

 だけど、そうして夢をやり過ごした次の日には必ず、夢で俺が拒否したあの指令の内容が、その人に降り掛かっているのだ。

 対象の偶然、故意、意識、無意識問わず、事故だろうが事件だろうが関係なく、その人に不幸が訪れる。

 夢で全身を蹴りあげろという指令を無視した次の日、その人は階段から足を踏み外して全身打撲を負っていた。




『ねえ』


 小学三年生の頃だっただろうか。昼休みでクラスメイトが出払った教室の中、窓側の隅を陣取って、俺は本を読んでいた。

 人よりも色素の薄い髪と目に、誰とも関わりたがらない暗い性格。虐められてはいなかったものの、俺はクラスでは完全に孤立していた。

 だから、この日俺に話しかけてくる奇特な奴が居るなんて、思いもしなかった。


『なんで湊くんは、いつも一人なの?』


 顔をあげればそこに居たのは、肩まで髪を伸ばした黒髪の少女。新学期早々風邪を出して寝込み、少し前まで病欠していたクラスメイトだった。


『……』

『ひま? さやと一緒に遊ぼうよ』


 一瞥だけして視線を本に戻す。関わる気はなかった。関わりたくも、なかった。

 幼い頃に持っていた人に対する無邪気な興味は、この時にはとうに失せていた。厄介なことになることがわかっているのに、好き好んで人と話したくはない。

 ああ、でも、きっと今日の夢に出てくるのはこの子だ。たったこれだけの関わりでも、見逃されたことは無い。


『湊くーん、無視?』


 声に反応せず手元の文字を追う。その後も数言話しかけられたものの、顔も上げずに全て無視を決め込んだ。そうしてようやく声が止んだ時に、やっと諦めてくれたのかと思ったのだけれど。

 隣りに腰を下ろす気配がして、怪訝に思って視線をずらすと、にこりと笑うクラスメイトと目が合った。

 咄嗟に口を開きかけて躊躇する。声を出せば負けな気がして、そのまま口を噤んだ。結局その日は、一言も発しないまま、隣にクラスメイトの視線を受けながら本を読んで、昼休みは終わった。




『後ろから突き飛ばして転ばせろ』

 固いアスファルトの上を歩く少女の姿に、下された指令はそんなものだった。

 膝がむき出しのスカートを穿いている少女は、転べばきっと膝を擦りむいてしまうだろう。

 そう思いながらも、やることはもう決まっていた。

 足音を極力たてないように背後に近づき、思いっきりその背を突き飛ばす。体勢を崩して盛大に転んだ彼女は、膝から血を流しながら呆然を俺を見上げた。

 ついで自らの膝に視線を落とし、痛みを認識したのか猛然と泣いた。俺はその様子を、他人事のように眺めていた。

 指令を無視すれば、現実にその不幸が訪れる。

 だったら、何故指令などがあるのだろうか。ある日罪悪感に苛まれながら、試しにそれを実行した時、夢の内容が現実に起こらない事を知った。

 この夢は現実の身代わりだ。

 ここで俺が事を起こせば、現実の不幸は免れる。

 夢を見たならば、呪いの悪意に従えばいい。

 そうすれば、現実で誰かが傷つくことは無くなる。


 でも、出来るなら夢など見たくはない。

 夢で誰かを傷つける度、心が擦り減っていくような気がするから。




『湊くん、おはよう』


 あれからクラスメイトの沙耶は、毎日俺に話しかけてくる。いくら無視しても、邪険にしても、拒絶の言葉を吐いても変わらずに。

 何故そこまで俺に拘るのか、その気持ちが分からなかった。


『さやは湊くんと仲良くしたい』

『俺はしたくない』

『そう、でもさやはしたいんだ』


 羨ましくなるくらい自由に、俺にはない爛漫さで、沙耶はいつも笑いかける。


『遊ぼうよ』


 いつからか、俺はそれに絆されていた。


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