終話「千年童女と機甲兵」
すべてが凍りつくように冷えきった白い部屋で、その身は無数の管につながれて硝子の棺におさめられている。
肌は透き通るように青白く、もう永遠に癒えることのない右目と左腕の裂傷には白い布が巻かれている。
そして全身に、特殊な魔法が発動していることを示す紋様があわく浮き上がるように輝いている。
齢は、八。
その数奇な生涯において『満月議会』の所有物となり、英雄と讃えられ、しかし最後には大罪人と罵られて同族に討たれた『越境者』の魔女。
ごく短い期間の名声と畏怖を得るに至る七歳の日、炎の世界を招く因果律の魔法を手にするまでは、ただの一つも魔法が使えなかった落ちこぼれ。
名は、ジギタリス2631。
人が絶え、植物は枯れ、獣も虫も姿を消した滅びゆく灰色の世界で、老いることなく眠り続けるその童女を一体の機甲兵が見守っている。
◆×◆×◆×◆
「いつまでそうしてるつもりなんだ、DD……」
「きっと砂時計の砂がすべて落ちるまであのままだよ。賭けは僕の勝ちだろうね」
燃える翼で顔をおおってうめくわたしに、砂時計の上に座した真宵さまが当たり前のように言った。
すべてが生まれては還る混沌の海の上、無数の星にいろどられた不思議な空間で今、わたし達は賭けの行く末を見守っている。
わたしは「DDがジギタリス2631の願いを叶えて殺し、魂の欠片を得る」ことに賭け、真宵さまは「DDはジギタリス2631を守って殺さず、千年が過ぎれば世界の終焉とともに消える」ことに賭けた。
今のところDDは動かず、砂時計の砂ばかりが落ちて時が流れていく。
あの世界のわたしにはもう目覚める力などなく、ただDDに生かされてそこに在りながら、じわりじわりと世界の魔力を搾取してそのすべてを滅びへと向かわせている。
もう生きる力など無いのに死ぬことを許されず、宙ぶらりんの状態で魂が目覚めて星の海に漂うわたしにできるのは、真宵さまとともにその結末を見守ることだけで。
まったくもって、性に合わない。
「見ているだけ、というのも、案外と疲れるものだろう。雛鳥ちゃん」
思わぬところから声がかかるのに、驚きながらもうなずいた。
本当に。ただ見守ることしかできないということが、これほど身にこたえるものだとは思わなかった。
「はい。……あなたも、そうなんですか? 真宵さま」
「その質問の答えは“はい”であり“いいえ”でもある。君に近い次元の僕が類似した思考から同意するのと同時に、本体の僕はそれを否定するから」
「……ええと。理解が追いつかないのですが、真宵さま」
「今の君が理解できる次元にいる僕は、僕であって僕ではない、ということだよ、雛鳥ちゃん。ここにあるものは末端の末端にすぎず、それゆえに本体と繋がりながら乖離している。僕たちが本当の意味での話というものをするためには、君が僕のところへ来なければならないんだ。
まぁ、これが終わったら君は輪廻へ戻れるだろうから。また幾千億の輪を巡り、無事フェニックスとして孵化できたら今度は自分の力で僕のもとへおいで。君がその時へ至るのを楽しみに待っているよ」
気が遠くなるような時の向こうの話を、真宵さまはさらりと語る。
わたしには理解できない。いつか理解できるようになれるとも思えない。
へたに問うこともためらわれ、わたしはDDのことへと話を戻す。
「真宵さまは、神ではない者が造りだした物には魂など宿らない、という結論をお望みですか」
「いや、どちらでもかまわない」
「それなら魂が宿る方に賭けてもいいのではありませんか」
「あいにくと、僕は金属の歯車と螺旋のばねに魂が宿るところを見たことがなくてね」
「じゃあ、これが初めてになりますよ」
広大な星の海で、いまだ孵化に至らない無力な火の鳥と、少女の形をした人ではない何かは、壊れかけの世界を見ている。
「きっと、初めてになります」
自分へ言い聞かせるように繰り返しつぶやくわたしに、真宵さまは静かな声で言った。
「それもまた楽しそうだけれど。期待はしないでおくよ、雛鳥ちゃん」
◆×◆×◆×◆
滅びゆく世界で、機甲兵はいつまでもいつまでも眠る魔女を守り続けた。
五百年が過ぎ、六百年が過ぎ、七百年が過ぎて八百年が過ぎた。
魔力を搾取され続ける灰色の大地に緑が芽吹くことは無く、すでに絶えた獣たちがよみがえることもまた無く。
時折吹く風だけが、乾いた岩を削りながらすすり泣くような音を立てた。
九百年が過ぎ、九百五十年が過ぎ、九百八十年が過ぎ、九百九十九年が過ぎる。
棺に眠る魔女は幼い姿のまま時を越え、傍らの機甲兵はその存在を維持することにのみ集中している。
「そろそろだね」
「……そうですね」
砂時計の砂の残りはもう、ほんの数粒。
叶うことなら手をのばし、永遠にそれが落ちないよう止めてしまいたかったが、わたしに時を止められるほどの力があるのなら、はじめからこんな状況に陥りはしなかった。
どこか納得しながらどうしようもなく落胆し、もはや何を言う気力もなく、ただ白く凍る部屋で硝子の棺に寄り添う機甲兵の姿を見つめる。
DD。
真宵さまの言う通り、お前はただの金属の歯車と螺旋のばねだったのか。
致命的なバグを不運にも“人間に近い知性”と誤認されてしまった、ただのプログラムにすぎないのか。
ほんのわずかでも、わたしの最後の願いに目を向けてはくれないのか。
なあ、DD。
「雛鳥ちゃん、やっぱりこの賭けは僕の―――、……おや?」
それは砂時計の砂の最後の一粒が落ちるのと、ほとんど同時だった。
《ジギタリス2631。私は、》
金属の体の中で、それがどれほどの思考を繰り返していたのかはわからない。
ただ、すべてが終わる時に出した、その結論は。
《あなたの望みを、叶えます》
驚きのあまり息を止め、何ひとつ見逃すまいと目をこらした。
その視線の先で、最上位の命令権を持つ機甲兵の指示によって、八歳で時を止めた童女を機能的に生かしていたシステムが停止する。
滅びゆく世界にただ一つ残されていた生命の心臓は、システムの援けを失ってゆるやかにその鼓動を止めた。
砂時計の砂がすべて落ち、千年の時が過ぎる。
アマリリス議長の剣となって魔女を滅ぼそうとして果たせず。
予想外に強大だった『機械の民』の総攻撃で自分以外の魔女を殲滅され。
それを成したのは自分が気まぐれにひろって玩具にしていた機甲兵だと知り。
ならば自分を殺して後は好きにしろというのにそれはできないと断られ。
硝子越しに金属製の五本指と手を合わせながら、お願いだから死なせてくれ、と懇願して世界から切り離されて千年。
その時の想いは、言葉にできない。
「……賭けは、わたしの勝ちのようです。真宵さま」
「ふぅむ。どうやらそのようだ」
絞り出すような声でようやくそれだけを言ったわたしに、穏やかで、どこか満足げな微笑みを浮かべた少女が負けを認め、何か望みはあるかと問うた。
もしも叶うことならば、DDの元へ戻りたいです、とわたしは答えた。
真宵さまはすこし驚かれ、止めようとした。
「それはやめておいた方がいい。世界の崩壊に飲み込まれてしまったら、まだフェニックスとして完全には孵化していない君など、もろともに消滅させられてしまうだろう。あの金属の歯車と螺旋のばねに、神獣の雛を殺す大罪を着せるというの?」
わたしの望みでわたしが消えるなら、きっとDDの咎にはならない。
それに、もとよりわたし達はひとつの世界を滅ぼすのに加担した大罪人である。
罪ならば背負おう。
けれど今、どうかこれだけは――――――
「お願いです、真宵さま。わたしは行かなければ。いえ、わたしが、行かなければ」
自分では動けないわたしは、どうか、どうかお願いしますと、繰り返し真宵さまに頼んだ。その必死の懇願を聞いて、真宵さまはしばらく迷った後、いいだろうと答えた。
「勝者には報酬があってしかるべきだ。あの世界が混沌へ還るまで、あとほんのわずかしかないけれど。……行くがいい、もう孵らない雛鳥。君と、君を求めて最期に魂の欠片を宿した金属の歯車と螺旋のばねに、祝福を」
優しいやさしい声が響いて、体がふわりと浮きあがり、次いでどこかへぐんと沈んだ。
落ちていく。墜ちていく。堕ちていく。
この感覚をジギタリス2631として生まれる前にも感じたことがあったような気がしたけれど、それを思い出している暇など無かった。
――――――DD。
空には亀裂が走り、大地の割れ目から混沌の海がのぞき、大河の水が滝のようにその深淵へと流れて消える。
そんな、壊れゆく世界で。
硝子の棺が割れた。
《……ジギ、タリス、26、31》
わたしの死とともに機能を停止しようとしていた機甲兵の、アイレンズの赤い光がまたたき、死の直後に炎の翼をまとって目覚めた魔女の名を呼んだ。
体につながれていた無数のチューブが接続部を焼き切られて花開くように弾け飛び、硝子の欠片が炎の輝きを乱反射して虹色にきらめきながら散っていく、その中で。ゆるりと腕をひろげた魔女の名を。
《ジギタリス2631》
ああ、間に合った。
「DD。お前はどこまで律儀なんだ。まさかあんな言葉できっちり千年を越えてくれるなんて、思いもしなかったのに」
たかが玩具の分際で持ち主を守ろうなんて千年早い、とわたしが言ったから、お前はこの千年を耐えたんだろう?
知らず口元がほころび、どうしようもなく笑みくずれながら言えば、DDが両の手をのばして炎の翼をまとったわたしの体を抱き寄せた。
千年を超えた童女をつぶさないよう、慎重に。
けれど、ほんのわずかも離しはしないようぴったりと。
《ジギタリス2631》
「ああ、わたしはここにいる。ここにいる、DD」
炎の翼をまとうわたしに触れた機甲兵は、またたく間にフェニックスの灼熱に熔かされて形を失っていくが、どちらもそんなことはかまわない。
だって今は、世界崩壊の間際だ。
部屋の一部が崩落し、割れた空から混沌の渦が見えた。
その下で、繰り返しわたしの名を呼んでいたDDが問う。
《私は千年を越えました。これで許されますか》
答えるまでもないだろうと思ったけれど、応えるためにここへ来た。
「お前の望みのすべてを許そう、DD03/XRGF734125。
それとこれからは、わたしの存在理由にお前を入れておくことにする」
炎に熔かされながらDDはわたしをかき抱き、わたしはその手の中で満ち足りて微笑む。
そばにいよう。
ともに滅ぼう。
DD。
わたしはきっと、今、この時へ至るために墜ちたんだ。
――――――そして世界は崩壊し、すべては混沌の海へと還る。
◆×◆×◆×◆
とぷん、と何かが揺れ、細い指がそこから小さなものをすくい上げた。
「やれやれ。欠片もかけら、塵のようなひとかけらしか見つからないとは」
小さな手に拾われたのは白い金属片と、それに熔けこんでいる炎の羽根ひとつ。
未完成でいて完成している美術品のようなそれは、どんな力でも引きはがせそうにないくらいしっくりと互いになじんでいる。
「まったく、仲の良いことだ……。さて、ここからどれだけのものが再生できるのかは僕にもわからないが。やれるだけのことはやってみよう」
勝者には報酬があってしかるべきだからね、としかめつらしくつぶやいて、ふと微笑む。
「塵と化した君はフェニックスになりうる霊格を失ったが、元より自分で自分の格を落としていたような魂には、それが似合いかもしれないな。
もう会うことはないだろうけれど、次は幸福に」
手のひらに乗せられていた金属片へ、ふぅ、と息が吹きかけられる。
やわらかに吹き飛ばされたそれはくるくると螺旋を描きながら星の海を渡り、どこかの世界へ吸いこまれるようにして消えた。
◆×◆×◆×◆
風が吹いて庭の木々を揺らし、一点の曇りもなく磨き上げられた窓硝子から差し込む朝陽が優雅に踊る。
天気は良好、爽やかな朝だ。
けれどわたしの気分は、どうしようもなく憂鬱だった。
履き慣れないぴかぴかの赤い靴も、体にぴったりフィットするオーダーメイドの服も、薫り高い紅茶も、そばに控えるメイドも。何もかもが別世界のようで、場違いに感じられて居心地が悪い。
まるで美しい鳥かごに入れられた野良猫みたいだ。
生まれも育ちも完全なる庶民だと信じていたのに、大人達はそういった重要な基盤をいきなりひっくり返してくれるから、振りまわされる子どもの側としてはいい迷惑である。
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよぉ、お嬢さま~」
こちらの緊張があまりにもひどいせいか、痩身のメイドが無邪気に笑って声をかけてきた。
「行儀作法やお家のことは、これからゆっくり覚えていけばいいんですし~。大旦那さまがお嬢さまのために、特殊モデルの戦闘型ロボットをボディガードとして造らせたくらいですから、安全面もばっちりですぅ」
軽い口調で告げられたその言葉に、全身から血の気が引いた。
なにそれ聞いてないんですが。
「ボディガードに戦闘型のロボットが用意されている時点で、ぜんぜんばっちりじゃない気がします。ここのお家はどれだけ危険地帯なんですか?」
青ざめたわたしがカタカタ震えながら言うのに、メイドは明るい声で返す。
「いえいえ、あくまで備えですからぁ。そんなに気にすることありませんって~。お作法の先生がいらっしゃる前に、もうじき挨拶に来ると思います。会うの、楽しみにしててくださいねぇ。お嬢さまも会って話せば、きっと気に入ります。とっても有能な子なんですよぉ」
「有能な、子? 話せばって、えっと、ロボットなんですよね? 人工知能とかがすごいってことですか?」
「えぇ、それはもう、普通の人間みたいなんですよぉ。ちょっと堅物っぽいですけどねぇ」
「それ一機でいくらするの……」
「んん~。お値段はあんまり、気になさらない方がよろしいかと思いますよぉ。大旦那さま、ようやく見つけたお嬢さまのためなら、いくらでも使う気満々ですからねぇ。そのへんはお早めに諦めてくださいまし~」
他人事だと思って軽く言ってくれるメイドにため息をつき、近いうちに“大旦那さま”の考えを何とかして改めさせなければと考えながら、わたしの好みに合わせて甘めに淹れてもらった紅茶を飲む。
そうして間もなく、部屋の扉がノックされた。
「あ、来たみたいですねぇ。まぁまぁ、緊張なさらずに。お嬢さまのために造られたものなんですから、可愛がってあげてくださいなぁ」
にこにこと楽しげな笑顔で、メイドが扉を開けに行く。
その時、ふと。
扉の向こうにあるものに、奇妙な懐かしさを感じて胸が騒いだ。
これはいったいなんだろうと、わたしは心の奥深くへ手をのばし。
けれどあと少しというところで何も掴めず、その感覚は幻のように消えてしまった。
ただ不思議とあたたかな余韻を、体の奥に残して。
《失礼いたします》
低い声がして、ヴン、と独特の駆動音が空気を震わせ肌に響いた。
ほんのつかの間、内奥を漂っていた意識が現実へ戻り、わたしは窓辺の椅子から立ちあがる。
高度な人工知能が搭載された戦闘型のロボットなんて、話をするどころか実際に見ることさえ初めてだ。
当然、うまく付き合う自信などまったく無いけれど、それでもわたしのために造られたというのなら、せめて大事にしてあげたい。
どきどきと心臓が高鳴り、ひどく落ち着かない気持ちになるのをなんとか抑えて、くちびるを開いた。
「はじめまして―――」
2014年8月17日、完結。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。