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触るなと声を荒げるのを無視して戸棚に手を掛けた。トキと男の暮らす家で唯一物をしまっておけそうな場所だ(食器棚やクローゼットは除いて)。

理由あって家族と別れて暮らすトキは、あろうことかその居場所を覚えていないのだという。正確には知らない、か。会いたくても会えないとはそういう意味。

お前も記憶喪失なのかよ、揶揄った男の頭をトキは思い切り殴り付けた。一緒にするな、と捨て台詞まで吐いてくれる。冗談が通じない。

「昔はお母さんも一緒にこの家に住んでたんだ。……しばらく、連絡が取れなかったことがあって。その間にお母さん、住む場所を変えちゃったから」

「あぁ? ンだそりゃ。……親父は?」

「僕が小さい頃に離婚してる。顔も覚えてない」

なんつー親だ。男は唸って頭を掻いた。今まで深くは考えたことが無かったが、これではまるでトキは。

(捨てられたみたいじゃねーか)

口に出しそうになってぞっとする。

とにかく、その母親を見つけないことには話にならなかった。名前だけでは心許ない、どうにか顔写真でも見つけられないかと手当たり次第に棚の中身をひっぱり出して行く。彼の行動を止めようとしていたトキも諦めたのだろう、最終的には黙って成り行きを見守っていた。

トキの私物になら触れられる、一見無茶苦茶なこのルールをはじめて男は便利だと感じる。少なくともこの家の中の、大半の物は彼一人で扱うことができるのだから。

それでも時々、指を幻のように通過してゆく物があった。実体が無いのは男の方なので、実際は指が物を素通りするのだが。それは指輪であったりやや洒落たハンカチであったり、おそらくはトキの母親の物なのだろう。

「……おい、これ開けていいか」

戸棚の奧から発見された、やや大きめのスチール缶を片手に男は問い掛ける。煎餅などが詰められていることの多いアレだ。

トキは暫しそれを凝視した後、ああ、と驚いたような声を洩らす。そんなところに、あったんだね。

「それ、僕の宝物なんだ」

「へぇ?」

駄目だと言われなかったのを許可と受け取り、蓋の隙間に指を掛けた。力を込めればぱこん、とやや間抜けな音と共に缶が開く。

中に詰まっていたのは色とりどりの、

「……千羽鶴?」

「そう」

僕が貰ったんだ。言いながら柔らかく微笑む、トキはひどく幸せそうだった。小さな子供が折った物のように、不器用に形づくられた折り鶴は形がひしゃげていたりする。内側の白が表に出ていたり、腹の部分が切れていたり。そんな鶴たちがおそらくはぴったり千羽、糸に通されていた。

「何お前、病気でもしたの」

折り鶴を千羽揃える、それの意図するところは一つだ。願掛け、それも病の回復を願う為の。

それに思い至って男は僅かに眉を寄せた。

「確かにお前って細いし色白いし……なんか病弱そうだなァ」

「入院、したんだ。だから学校に行けなくなった」

「……おいおいおい、」

トキの答えを聞いてさっと血の気が引く。次の瞬間それが頭まで逆流したのを感じた。

「お前の親は病気の子を一人にすんのか!?」

そんな子供を一人暮らしになんて?

ぶん殴ってやりたい、と思った。思って出来ないことに気が付く(しまった触れないんだった)。

ふつふつと沸き上がる怒りを顕にする男の腕に、小さな手が触れる。

「違うよ、」

「トキ?」

「違うんだ、僕が……僕が勝手に、お母さんの前から消えてしまったの」

何があったのか、問いただせるような空気ではなかった。俯いてしまった子供にそれ以上は何も言えなくて男は唇を噛む。

「……これは?」

話を逸らしてしまおうと持ち上げた、鶴束の下からは大量の写真が現れた。これもきっとトキの大切な物なのだろう。一番上に乗っていた写真に写る建物に、何だか見覚えがある気がする。

「それ、学校の写真だよ」

「中学?」

「うん」

やはり何処かで見たな、と男は思いながら次の写真に目をやった。学校の外観などどれも良く似ているのだから、気のせいかもしれない。

二枚目は花壇の、三枚目は広いグランドの写真だった。どれもその中学校の中の様子だろう。中学校をどこか外の、別の建物らしい場所から撮影した写真もある。緑に囲まれた、美しい学校だった。

教室の中、黒板、薄明かりの廊下。ピアノがあるのはおそらく音楽室だ。無人の写真が何枚か続いた後、ふと賑やかな一枚が現れる。

「……お、」

思わず声に出したのは、そこに写るトキの笑顔を見たからだ。紺色の制服を着て、同じ年頃の子供に囲まれている。

「これ、ダチか」

「そーだよ。左からケイタ、みっちゃん、これが僕ね。で、こっちがナツ……」

「こいつは?」

一番右に写る男子生徒の名を、何故なのかトキはなかなか言おうとしなかった。問いただせば渋々といった様子で口を開く。

「……ぷー太」

答えたそれは、明らかにあだ名。

ははーん。言ってニヤリと笑った男をトキは胡乱げに見つめる。

「何トキ。気になんの、そのガキのこと」

「……ちっ、がうよ!!」

「若いなァ」

「うっさい! 黙れ! ポチのくせに!!」

言いながら写真をひったくる、珍しく狼狽えた子供を男はくつくつと笑った。良いねぇ青春。

そこまで考えてふと思う。トキは学校に、行きたいのだろうに。行けない理由はその病気なのだろうか。完治していないのならば病院にいるはずだ。母親は、何をしている?

……わからないことだらけだ。

「ほら次の写真解説しろよ」

「ポチの記憶なんて一生戻らなければ良い」

「すんませんでしたご主人様」

呪いの言葉を吐き出しはじめたトキにあっさり降伏して、男は次の写真を引っ張りだす。光沢のある面を、覗き込んで。


一人の女が、写っていた。

微笑みを浮かべる彼女の目元は目の前の子供に良く似ている。誰かなんて一目瞭然だ。男の目的はこれで一応達成されたことになるのだろうか。

「おかーさん……」

呟かれたトキの言葉に確信を得る。けれど男にはなぜか、写真の背景のほうが気になった。


その場所を、彼は。



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