宗教学校〜万民識字〜
「教育は魂を救う。」リュカはルーサク教の大司教・アンブロシウスと対峙する。
「いいえ。」とリュカは力強く答える。「教育は人を騙されなくする。」
一瞬空気が止まる。「宰相は、教義より読み書きの方が大切だと?」
「どちらも必要です。」
リュカは一歩踏み出した。
「私は、その人たちを見てきました。字が読めなかっただけで人生を奪われた人を。」「飢えた者は祈りだけでは生きられません。字を読めない者は善意さえ悪意に変えられます。」
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ふと、アンブロシウスは目を細めた。「面白い宰相だ。」
「全国に寺院はいくつありますか。」
「約一万。」
「教師候補の僧侶は?」
「三千。」
寺院は都市にも農村にも存在し、多くの僧侶はすでに子どもへ教義や祈りを教える経験を持っている。
「学校を建てるより早い。」とヘレナ。
リュカは帝国大学の一角に、ルサーク教の支援を受ける教育機関を設立する構想を打ち出した。
その名は「寺院学校初等科」。
「読み書きだけ教えるのですか?」とリル。
「いや、計算も。帝国法も。生活の知識も。さまざまに教えるんだ。」
「教師はどうするの?」とマリー。
「大学で育て、僧侶と一緒に教えてもらう。」
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もちろん、ルサーク教にとっても見返りは用意された。
「教団には何の利益がある。」
「帝国中の子供が教義を学びます。その代わり学校を貸してください。」
授業ではルサーク教の教義や道徳を正規科目として扱い、他宗派よりも優先的な教育機会を保障する。その代わり、教団は各寺院の維持費だけでなく、初等教育の運営資金の相当部分を負担することを義務づけた。
宗教的な影響力を広げたい教団と、教育制度を全国へ普及させたい国家。
両者の利害は一致したのである。
「わかった。ただし条件がある。我々が僧侶を教師として派遣する以上、彼らが地方官僚や貴族から勝手に扱われない保証が欲しい。」
「もちろん。そのつもりです。」
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勿論、それでも反対する者もいた。「教育を宗教に委ねれば、教団が強くなりすぎる」と危惧する官僚も少なくなかった。しかしリュカは、財政難の中で理想だけを掲げて何もしないことこそ最大の失政だと考えた。
「まず民に文字を教える。その先の制度は、国が豊かになってから改めればいい。」
彼にとって寺院学校初等科は完成形ではない。国家主導の教育制度が整うまでの過渡的な仕組みにすぎなかった。
だが、その小さな一歩は、文字を知らずに生きるしかなかった子どもたちへ、未来を切り開く最初の扉となるのである。
「今回、寺院は単に学校を貸すだけではありません。帝国の未来を担う子供たちを預かるのです。」法案の成立後、リュカは大司教にこう言った。
「分かっています。」と大司教の厳粛な面持ちでうなづいた。
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目の前で、小さな少女がぎこちない手つきで羊皮紙にペンを走らせていた。歪つではあるが、それは確かに彼女自身の名前だった。
「上手ですよ。」
傍らに立つ教師が優しく微笑むと、少女はぱっと顔を輝かせた。
「初めて、自分の名前を書けました。」
その紙を見つめるリュカ。
昔の奴隷を思い出す。
「剣を持つ者より、字を書ける者の方が人を支配していた。」
少し間が空く。
そして
「だから私は──」
リュカは少女の真っ直ぐな瞳を見つめる。
「誰もが、自分の名前を書ける国を作りたい。」




