興学
宰相リュカの政務は終わりがない。今日は、書類のチェックを、みんなでしている。リュカはとある陳情に目を止めた。「うん?これって…」「なにかありましたか?」とヘレナ。「いや、陳情書の一つにファルーク姐さんというサインがあるんだけど、気のせいかな?」「ファルーク姐さん?どなたですか?」と、クシイナダ姫。その言葉を聞いて、リルがポンっと手を打つ。「ああ、リュカ君が奴隷商の元にいた時に何かと世話を焼いてくれた人ね。」「リルは知っているのね。」とマリー。「そりゃ、リュカ君を連れてきた時に、リュカ君にベッタリだった人だもん。忘れないわ。」とリルは不満げに言う。
「なになに?御政道に対し、御意見申し上げたいので、久々にお越しをお待ちしております?」とリュカが読み上げる。
「リュカ君…行っちゃダメ。」とヘレナ。「なんで?」「なんだか、やばい気がする。」リュカは不満そうに尋ねる。「根拠は?」「女の勘。」「ええ…」とリュカは得心行かぬ様子だ。
「まあ、みんなで行ったら問題ないでしょう?リュカ、いいですね?」とリゼ皇女。
「それでみんながいいなら。」とのリュカの声に、皆首を縦に振る。
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「おお、リュカ久しいな。」「ファルーク姐さんも元気そうですね。」と奴隷商・ヒーヌの館に着いた。ここは、かつてリュカが保護された奴隷商だった。
「ああ、今やこいつは私の尻に敷かれている。たっく、もう少し気概を持てばいいものを。」ファルークは、リュカがいた頃からヒーヌに恋慕されていたらしく、その妻に迎えられていた。
「といっても、君の美貌や器量は世界一だからねえ。」とヒーヌは奴隷商の肩書に似合わず、柔和な人物なのだ。
「して、リュカ。いや、今は宰相でしたな。宰相閣下、何の御用で?」
「ファルーク姐さんから、陳情書を受けてね。姐さん、どうしたのさ。何か悩みでもあるの?」
「まあ、リュカ歩きながら話さないか?」とファルークは市場へリュカ一行を連れ出し、酒場へと入る。
酒場で注文を済ませたファルークは、話を切り出した。
「最近、景気が不調でさ。」「じゃあ、ヒーヌ商館も?」「まあ、そこも悪いんだが。」ファルークは運ばれてきたビールを流し込んで、二の句を告げた。
「いや、うちらの売り上げが悪いのは、問題ない。問題は、新規の奴隷の待遇がますます悪化しているらしいのさ。」
「じゃあ、奴隷商への監督の強化を強めるべきだと?」
「それもあるが、根本的解決にはならないだろうな。不景気になって悪徳商人が増え、文字の読めない奴隷を騙す契約が横行している。なんにせよ、字が読めない奴隷ばかり売られてくるもんだから、売却先で揉める。このままでは、ヒーヌのような善良な商人が、悪徳商人と同じに見られて駆逐されてしまう。」
「なるほど、庶民への教育を充実させるべきであると。」「そういうこった。できるか?たとえば、現今スラムの子は学校に行けるか?」「行けませんね。私塾に入るには、銀貨五枚を納める必要がありますから。」
幼いリュカは、文字が読めずに契約書で騙されて奴隷にされた人を見てきた。「『判子を押したら自由になれる』と言ったじゃないか!」という言葉は聞き飽きたほどだ。少年は泣き崩れ、母親は契約書を抱えて絶望する。
幸いにも奴隷としてある程度の教育を受けてきたリュカは文字が読めたものの、奴隷の多くは読み書きどころか、自分の名前すら書けないのだ。
たしかに、カトゥル帝国にも教育システムがないわけではない。しかし、身分ごとに学校が違い、教育格差が激しい。たとえば、帝国大学は貴族の子弟しか入れないし、奴隷は宮中や貴族の家ごとに扱いが違う。庶民の学校は、読み書きを教えるわずかな私塾しかないのである。しかも、その私塾も有償で通わせるとあって、裕福な商人や農民ならいざ知らず、まして貧民やスラムの孤児は眼中にすらない。
「できます。いや…」リュカは一瞬逡巡するも、決意を決めた。「やってみせます。」リュカは昔読んだ本の一節を引用した。「国を強くするとは、城を築くことではない。人を育てることなのだ。」「国の財産は、黄金でも土地でもない、学んだ人そのものだ。」




