プロローグ
「時間がありません!私は先に行きます!あなたも決断してください!」
看護師が叫んだ。
核攻撃の警報が鳴り響く中、俺、田中哲也はがらんとした病院に取り残されていた。
ベッドで人工呼吸器に繋がれた妻、由美子。三日前に交通事故にあい意識不明のままだった。
「パパ、ママを置いて行けないよ」
8歳の娘、明日香が俺の袖を引っ張って泣いていた。
避難指示は明確だった。30分以内に指定避難場所の核シェルターへ。 それを過ぎれば、入り口は締め切られる。
俺は妻の手を握り、娘の肩を抱いた。どちらも手放したくない。
だが、俺の頭に冷たい計算が浮かんだ。
今から走ってもぎりぎりだ。
妻を人工呼吸器をつけたまま運ぶには移動に時間がかかりすぎる。間に合わなければ三人とも死ぬ。
娘だけ連れて行けば、娘は助けられる。でも妻を見捨てることになる。
迷っている時間が無い、ここに残れば三人とも死ぬ。
もう選択肢はない。
「明日香...行こう」
俺は娘の手を取った。
「ママは?」
「ママは...ママは後から来るから」
嘘だった。妻は動かせない。ここに残せば死ぬ。でも娘は救える。
「やだ!ママを置いていけない!ここに残る!」
娘は泣いていた。
それでも願いを叶えるわけにはいかない。
俺は意識のない妻を抱きしめた。
「すまない...由美子...すまない...」
泣き叫ぶ娘を抱きかかえて病院を出た時、妻の人工呼吸器の音がまだ聞こえる気がした。
あれが妻の最後だった。
俺はまだ生きている妻を殺したのだ。娘を救うために。