第1章 選択の刻
あれから三年。
地下避難所「シェルター07」で俺は評議員として活動していた。
明日香は11歳になり、避難所の子供たちと元気に過ごしている。だが時折、由美子のことを思い出したように、どこか遠い目をする明日香を見ていると胸が締め付けられる
俺の心は、あの日から止まったままだった。
「あの時の判断は正しかったのか?」
娘は救えた。だがあの時の妻の人工呼吸器の音が耳から離れない。
妻を見殺しにした罪悪感は消えない。
もし妻を運んでいたら?
三人で残っていたら?
結果は全員死んでいたかもしれない。
正解があったのかすらわからない。でも俺は選択した。
その結果、一人を救い、一人を殺した。
だからこそ決めていた。どんな状況になろうと娘は守り抜くと。
それが由美子への償いだとも思っていた。
そして...
「緊急事態です」
議長の佐藤が震え声で報告した。会議室には俺を含めて5人の評議員が集まっている。
「食料庫の在庫を三回確認しました。現在の住民127人、現在の配給を維持した場合...残り半年ほどで底をつきます」
その報告に、まだ誰一人助かっていなかったという事実を突きつけられた。
放射線技師でもある評議員の松本が資料を広げた。
「ただし、地上の放射線レベルは徐々に低下しています。計算では一年後には居住可能レベルに下がる見込みです」
一年。あと一年耐えればみんなが助かる。しかし食料は半年分しかない。
沈黙が会議室を支配した。外部からの補給は絶望的。
このまま全員で食料を分ければ、半年後には127人が餓死する。
「何か方法はないのか?」
評議員の鈴木が必死に問いかけた。
「地上に探索隊を送って食料を探すとか...」
松本が首を振った。
「現在の放射線レベルでは、防護服を着ても30分が限界です。食料を探している余裕はありません」
「他の避難所との連絡は?」
「3ヶ月前から応答がありません。おそらく...」
佐藤が言葉を濁した。
吉田が拳を握りしめた。
「なら配給を大幅に削ろう。みんなで耐え切るしかない」
俺は冷静に計算を示した。
「今ですら少ないのに50パーセントも削るんですか? 栄養失調が続出して餓死者が出ますよ。結果的に全滅する可能性の方が高いです」
会議室の空気が重くなった。
時計の秒針だけが、残酷に時を刻んでいる。
地下深くの密閉された空間で、127人の命を左右する決断を迫られている現実の重さが、会議室を圧迫していた。
「つまり、配給を減らしたうえで…」
佐藤の声が掠れ、黙り込んでしまう。
少しの沈黙のあとに、変わりに俺が続けた。
「人数を減らすしかありません。30人程度削減すれば、残った97人で365日を乗り切れます」
30人。四分の一弱の命を奪う計算だった。妻一人を犠牲にしたあの日とは桁違いの選択。
でも俺は迷わなかった。迷えなかった。
妻を犠牲にしたことで俺と娘は生き残った。
その事実を否定する事は俺にはできない。
「30人を削減って...」
鈴木が震え声で聞いた。
「追放するということですか?」
「そうです」
俺は頷いた。心を鉄のように硬くして。
「97人を救うためには...」
「待ってください!」
吉田が立ち上がった。
「30人も追放なんてできるわけがない!」
「では代案はありますか?」
俺の声は冷静だった。あの日の病院で身に着けた、感情を殺すスキル。
誰もが口を閉ざしていた。
「代案がないなら、現実的な選択をするしかありません」
佐藤が重い口を開いた。
「仮に...仮にその方法を取るとして、誰を選ぶんですか?」
最も重い質問だった。
「くじ引きが一番公平でしょう」
鈴木が提案した。
俺は首を振った。運命に明日香をゆだねることはできない。
「それは本当に公平でしょうか?医師の田所さんと、寝たきりの患者さん。同じ確率で選ばれるべきでしょうか?」
「何を言ってるんですか!」
吉田が憤慨して机を両手で叩きつける。
「人の命に優劣はありません!」
正論だ。だが万が一にでも明日香が選ばれるようなことだけはあってはならない。
「綺麗事です」
俺の声が少し震えた。由美子を犠牲にしたあの日の記憶が蘇る。
「田所医師が追放されれば、残った人たちの医療はどうなりますか?結果的により多くの死者が出るかもしれません」
松本が困惑した表情で呟いた。
「確かに...医師や技術者は生き残るために不可欠です」
「だからといって他の人たちを犠牲にするなんて!」
吉田が反発した。
「ここには子供も居るし、お年寄りだっているんですよ? 死ねって言うんですか!?」
「子供は現在の労働力にはなりませんが、将来性は考慮すべきです。老人は経験がありますが、体力的に限界があります」
俺の言葉に会議室が静まり返った。
「田中さん...あなたは人間ですか?」
吉田が低い声で問いかけた。
その言葉が俺の胸を刺した。でも答えは決まっていた。
「俺は……」
俺は立ち上がった。ガタリと椅子が音を立てる。
「三年前、俺は妻を犠牲にして娘を救いました。感情に流されていれば、娘も失っていたでしょう」
評議員たちが息を呑んだ。
「俺だって...俺だって人間です!でもそうするしかなかったんです!今だって、誰かが冷静に判断しなければみんな死ぬんですよ!」
手が震えて止まらない。
喉の奥が詰まって息ができない。
それでも続けた。
「感情で判断すれば、127人全員が死にます。でも合理的に判断すれば、97人が生き残れます」
冷たい影が会議室をおおっていた。




