表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/16

最終話

「ん……」


 バラの香りで目が覚めた。


 どうやら病室の隅に置かれた加湿器の水を、看護師が交換したらしい。噴出孔から湯気とともに溢れ出るバラの香りは、水と一緒にバラのエキスを入れた証だ。

 消毒薬の匂いを消し、患者の心を落ち着かせる効果もあるため、最近ではこういう病院も多い。


 僕の目の前には、ベッドに横たわる30歳のめぐるがいる。

 5年前に結婚した、僕の最愛の妻。

 けれども今は呼吸器を口につけ、目を瞑ったまま穏やかに眠っている。


 3週間前に交通事故に合い、今なお昏睡状態だ。

 医者が言うには、いつ死んでもおかしくない状態だという。

 こうして面会を許されているのも、助かる見込みがないからという病院側の特別な配慮らしい。


「めぐる」


 僕は、彼女のきれいな頬を撫で、その額に手を置いた。


「さっき、不思議な夢を見てたよ。大学生の頃の僕が、今の君と出会う不思議な夢。君は相変わらず、可愛かった」


 ベッドの中の彼女は、微動だにしない。

 僕の声を聞いているのか、いないのか。

 もしかしたら、夢を見ているのかもしれない。


 僕は、続ける。


「夢の中でね、君は言ったんだ。私も、一目惚れでしたって。今の会社に君が入社してきた時、僕と全然目を合わせてくれなかったけど、あれは恥ずかしがってたんだね?」


 しゃべっていくうちに、夢の中の出来事が鮮明に思い出されてくる。

 まるで過去に実際にあったかのような、とてもリアルで不思議な夢だった。


「それでね、君はこうも言った。私が死んだら、素敵な人を見つけて幸せになってくださいって。あれは、キツかったなあ。だってそうだろ? 僕は君以上に素敵な人なんて知らないし、見つけられる気がしない。僕は、君じゃなきゃ幸せになんてなれないよ……」


 気が付けば、僕は夢の中の出来事を滔々(とうとう)と語っていた。

 その額からは、確かに今生きているという温かさが伝わってくる。


 夢の中の彼女は言った。

 自分はもうすぐ、死ぬと。

 それがどうしても信じられなかった。信じたくなかった。


 そして、彼女の額に手を置きながら、僕は泣いていた。

 泣きながら語りかけていた。


「ねえ、めぐる。君は本当に死んでしまうのかい? 消えてしまうのかい? お願いだ、生きてくれよ、頼むよ」


 僕には、現実を受け止める自信はなかった。

 勇気もなかった。

 死んでほしくない、それだけが僕の望みだった。


 どうして今になってあんな夢を見たのか、不思議でならなかった。

 彼女が死ぬからなのか?

 彼女がいなくなるからなのか?

 わからなかった。


 僕は何かにすがるように必死に祈った。

 どうか、どうか死にませんようにと。

 心から祈った。


 夢の中で天に召される彼女が想い起こされる。

 彼女は泣きながら「また会おうね」と手を振っていた。

 あの時の情景がまざまざとよみがえる。



 と、次の瞬間、白い光が彼女の身体を包み込んだ。

 ほんわかした、温かな光だった。


 夢の中で見た……



 あの光だった。



「……?」


 光は彼女の身体の中に吸い込まれ、消えていった。

 不思議に思って眺めていると。


「ん……」


 めぐるが、目を覚ました。


「め、めぐる……!?」


 思わず声をかける。

 彼女は、うっすらと目を開き、うつろな目を僕に向けてきた。


「めぐる!? めぐる!!」


 なんてことだろう。

 昏睡状態で、いつ死んでもおかしくないと言われていた彼女が、目を覚ました。


 夢の中で10年後には死んでしまうと言って消えて行っためぐるが……



 目を覚ました。



「めぐる!」


 僕はもう一度、名前を呼んだ。

 彼女は僕の存在に気づき、口を開いた。


「す……ぐる……?」

「めぐる!」

「すぐる」

「ああ、よかった! 目を覚ましたんだね!」


 身を乗り出して声をかける僕に、彼女は静かな声で言った。


「ごめんね、すぐる……。心配かけたね」

「謝らなくていいよ! すぐに誰か呼んでくるから待ってて!」


 病室を飛び出そうとする僕に、彼女は「待って」と声をかけた。


「あのね、私不思議な体験をしてきたの。10年前の過去に戻って、昔のあなたとデートをするっていう不思議な体験……」

「え?」


 僕は病室から飛び出そうとする姿勢で振り向いたまま、かたまった。

 トクン、と胸が高鳴る。


「それって……」


 言いかけて口をつぐむ。


 どういうことだ?

 10年前の過去に戻って僕とデートをする?

 それって、僕がさっきまで見ていた夢の内容と同じじゃないか。

 もしかして、彼女も同じ夢を見ていたのか?


 いや、あれは夢じゃなかった……のか?


 呆然としていると彼女は続けて言った。


「それでね、もう死んじゃうって時に、神様が言ったの。もしも……、もしもね。すぐるが消されたはずの過去の記憶を呼び戻したら、それは歴史が変わった瞬間だから、私が死ぬことはないって」

「僕の記憶が?」

「10年前に私と会った記憶、思い出したんでしょう?」


 言われて気づく。

 そうだ。

 そういえば、夢の中で彼女が消えたらその記憶は一切消えると言われていた。

 でも、今はこうしてその内容を鮮明に覚えている。


 そうか。

 やっぱりあれは……夢じゃなかったんだ!


「きっと、想いが強かったんだね。ありがとう、すぐる……。あなたに助けられちゃった」

「めぐる!」


 僕は思わずベッドに横たわる彼女に覆いかぶさると、その華奢な身体をギュッと抱きしめた。


 温かい。

 確かに、生きている彼女がここにいる。

 めぐるは、そんな僕の頭に手を置いて、優しくつぶやいた。


「ただいま、すぐる。また、会えたね」


 きっと、今の僕は泣き虫の彼女よりも大号泣しているだろう。

 ベッドが涙で濡れてしまうけれど、構うものか。


 僕は泣き声でかすれているであろう声で彼女の耳元でささやいた。



「おかえり、めぐる。また、会えたね」と。




拙いお話でしたが、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

未熟な私が最後まで書き切れたのは、他ならぬ皆様のおかげでございます。

本当に心から感謝いたします。


なお、このお話は「一目で恋に落ちる春」企画参加作品として書かせていただきました。

素敵な作品ばかりですので、ぜひ、タグで検索してみてくださいませ。

ここまで読んでくださった方々に、幸せな春が訪れますように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 今更で恐縮です。 とても素敵なお話でした。 優しい世界が大好きです。 ひとことお伝えしたくて。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ