第七章 三か月
八月の最後の週に、財布の奥から、拾得物件預り書を出した。
折り目がついて、四つに割れかけていた。拾得日時の欄に、五月の最後の木曜の日付があった。そこから三か月。カレンダーで数えると、その週の水曜で三か月になった。
小池さんは、三か月たったら自分で問い合わせるように、と言っていた。
わたしは、預り書に書かれた警察署の電話番号にかけた。会計課の人が出て、番号を読み上げると、少し待たされた。
「はい、こちらの物件ですね。遺失者の方からの届け出はありませんでした。公告の期間が満了していますので、所有権は拾得者の方に移っています」
「移っている」
「はい。お受け取りに来られますか。所有権を取得された日から二か月以内にお引き取りがない場合は、権利がなくなりますので、ご注意ください」
「二か月たつと、どうなるんですか」
「県に帰属します」
電話の人は、いつもの言い方で答えた。窓口の若い社員が、転送は一年です、と答えるときと、同じ調子だった。
わたしは、はい、と言って電話を切った。
受話器を置いたあと、預り書を、しばらく眺めていた。物件の欄に、小池さんの字で書いてあった。腕時計、銀色、丸型、革バンド茶色、手巻き、動作停止。
持ち主の欄は、空いていた。
三か月のあいだ、この欄を埋める人は来なかった。落とした人が、落としたことを知らなければ、届けは出ない。知っていても、交番に行けなければ、届けは出ない。坂の下まで行けない人にとって、交番は遠い。
わたしは、預り書をたたんで、財布に戻した。
*
九月の最初の土曜に、警察署に行った。
前の晩、財布から預り書を出して、鞄の内ポケットに移しておいた。免許証も一緒に入れた。持ち物は、警察署に電話したときに言われたとおりだった。
局は土曜も速達や書留を配達するが、わたしはその日、休みだった。バスで駅前まで出て、そこから歩いた。
警察署の会計課の窓口で、預り書と免許証を出した。係の人が奥へ行って、透明な袋を持ってきた。番号のタグが、五月と同じようについていた。
「こちらでお間違いないですか」
窓口の横の長椅子に、年配の男の人が座っていた。傘を三本、膝の上に抱えていた。どれも、自分が拾って、三か月たったものらしかった。係の人と、傘の柄の色の話をしていた。
隣の窓口では、若い女の人が、スマートフォンを受け取っていた。落とした本人のようだった。ありがとうございます、と何度も頭を下げていた。係の人は、拾った方にお礼を、と言って、書類を一枚渡していた。報労金の書類だった。
わたしの時計には、その書類はなかった。落とした人が、来なかったからだ。
袋の中に、銀色の腕時計があった。茶色い革のバンド。ひびの入った留め金。針は、十時五分を指していた。
「はい」
書類に名前を書いて、受領の欄に判を押した。書留を受け取るときと、同じ手つきだった。係の人は袋を開けて、時計をわたしの手のひらに載せた。
「お疲れさまでした」
警察署を出て、バス停まで歩くあいだ、時計は、ハンカチに包んで鞄の内ポケットに入れていた。
*
家に帰って、台所のテーブルに時計を置いた。
テーブルの天板に、銀色の縁が当たって、小さな音がした。その音は、トシ子さんの台所のテーブルでも、何度も鳴ったのだろうと思った。毎朝、巻くために手提げから出して、テーブルに置いて。それは、わたしの想像だった。想像は、推測よりもさらに記録から遠い。
竜頭をつまんで、少し回した。軽い手ごたえがあって、しばらく回すと、秒針が動き出した。十時五分から、動き出した。
時刻を合わせようとして、やめた。合わせる理由がなかった。わたしは、この時計をするつもりはなかった。
裏返して、裏蓋を見た。
細い傷が一本、斜めに走っていた。五月に見たときと同じ傷だった。それ以外には、何もなかった。名前も、日付も。誰の時計か、時計は何も言わない。
言わない物だから、わたしのところに来た。
わたしは、時計を手のひらに載せたまま、しばらくそうしていた。
テーブルの上には、郵便局の制服の予備のボタンと、読みかけの文庫本と、スーパーのちらしがあった。そのあいだに、銀色の時計があった。わたしの部屋のものではない物が、わたしの部屋に一つだけあった。
けれども、法律の上では、わたしの物だった。
名前が刻まれていたら、警察は持ち主を探しただろう。免許証や手紙が一緒に落ちていたら、それはわたしの物にはならない。法律でそう決まっている。この時計には、何もなかった。だから、公告という手続きがあって、三か月がたって、わたしの物になった。
誰も嘘をついていない。
小池さんも、会計課の人も、わたしも。
*
九月の訪問は、第二木曜にした。
坂を上る前に、手首を見ようとして、何もないことに気づいた。自分の時計は、まだ動いていた。家のテーブルの上の銀色の時計は、家に置いてきた。
時計を二つ持っている人は、多いのだろうか。わたしは、はじめてだった。一つは自分で買った物で、一つは法律でわたしの物になった物だった。
トシ子さんは、電話で二回、どちらさま、と聞いた。二回目は、わたしが名乗ったあとだった。
三〇五号室のテーブルに、湯のみは一つしか出ていなかった。トシ子さんは、あら、と言って、食器棚からもう一つ出した。お茶は、ぬるかった。
十の質問をした。
体調、いい。食事、三回。何を食べたか、と聞くと、トシ子さんは、何だったかしら、と言った。わたしは、三回、を選んで、備考は空けておいた。本人が答えなかったことは、書かない。
物忘れが気になることはありますか。
「少しね。この歳だから」
少しある、を選んだ。
心配事はありますか。
「ないわね」
なし、を選んだ。
仏壇の写真の前に、手提げが置いてあった。口が開いていて、中に、財布と、診察券と、飴の袋が見えた。
時計は、見えなかった。
見えないのは、ないからなのか、奥に入っているからなのか、わたしにはわからない。わからないことは、入力しない。
帰り際、玄関で、トシ子さんは封筒を差し出した。赤い印が一つ押されたものと、二つ押されたもの。新しい切手は、貼っていなかった。
「これ、また戻ってきたの。なんでかしら」
「宛先に届かなかったものは、差出人さんに戻ります」
わたしは、七月の電話と同じことを言った。トシ子さんは、封筒を見て、それから、わたしを見た。
「そう。じゃあ、しまっておくわ」
トシ子さんは、封筒を持って、台所へ戻っていった。
*
その夜、家で、テーブルの上の時計を手に取った。
秒針は、動きつづけていた。朝に巻いてから、一度も止まっていなかった。ねじを巻く時計は、毎日巻かないと止まる。トシ子さんは、毎朝巻いているのよ、と言っていた。
わたしは、竜頭を回した。
回しながら、九月の訪問のことを思い返した。
トシ子さんは、手提げの中を、一度も探らなかった。仏壇の写真を見ることもなかった。時計の話は、しなかった。五月に、毎朝巻いているのよ、と言った人が、九月には、時計という言葉を口にしなかった。
忘れたのか。それとも、なくしたことに、まだ気づいていないのか。気づいていて、言わないのか。
わたしには、わからなかった。わからないことを、わたしは、わからないままにしておいた。それが、訪問員のやり方だった。わからないことを、推測で埋めてはいけない。研修の冊子に、そう書いてあった。
竜頭が、重くなった。いっぱいに巻けた手ごたえだった。
時計の裏蓋に、傷が一つあった。




