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QUEEN BEE  作者: 鰐淵 荒鷹
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第53話:ブラフ

 ――30分経過!


 リングアナ田辺の張りのある声がスピーカーを通して会場中に響き渡る。


 観客席から大きなどよめきが起こり、「まだやるのか!」「すごい!」といった歓声が渦を巻く。


 アリーナ全体の熱気はさらに膨れ上がり、空調の風さえかき消すほどの熱狂が場内を支配していた。


 解説席の古田が、喉を震わせるように低く唸り、言葉を落とす。


「これは長い戦いになりましたね」


 汗をぬぐいながら、すかさず山北が声を重ねる。


「近年まれに見る好勝負ですよ。両者ともに一歩も譲らない!」


 場内のざわめきが、かき消されそうになりながらも、その言葉はしっかりとマイクを通して響き渡る。


 赤コーナーで体勢を立て直す正美は、荒い息を吐きながら如月を睨みつけていた。


 そこに宿るのは怒りではない。――その狡猾さへの警戒だった。


 試合の流れが、わずかに如月へと傾き始めている――そんな空気を、肌でひりつくように感じ取っていた。


 如月は低い体勢を維持したまま、リングを這うようにジリジリと間合いを測る。


 その姿は虎が地を這い、獲物に飛びかかる直前の緊張に満ちていた。


 ――そして。


 わずかに前傾姿勢へと重心が傾いた刹那、如月の身体が爆発するように動き出す。瞬間的に距離を潰し、一直線に放たれた低空ドロップキック。


 虚を突かれた楓の腹部めがけて、鋭い蹴りが突き上げるように炸裂した。


「がはっ!」


 衝撃が鈍い響きを伴って場内に広がる。楓の身体が前屈みになり、苦悶の表情を浮かべながら腹部を押さえて大きく後退した。


 観客席からは悲鳴と歓声が入り混じり、一斉に爆発する。


 アリーナの熱気はさらに膨れ上がり、叫び声とどよめきが地鳴りのようにリングを包み込んだ。


 実況が声を張り上げる。


「ここで如月選手得意の低空ドロップキック!楓選手の腹部を真正面からえぐったぁ!」


 マイクを通して響く声に、観客の悲鳴がさらに重なった。


 解説の山北も興奮気味に言葉を畳みかける。


「これは後々効いてきますよ!腹部への衝撃はスタミナを確実に削ります!勝敗を左右するカギになりますよ!」


 リング上では楓が苦悶の息を吐きながらロープに手を伸ばし、必死に体勢を立て直そうとしていた。


 その姿を如月は低く構えたまま、猛獣のような眼光で追い詰めていく――。


 赤コーナ側にいる正美の表情がみるみる変わっていく。額に汗を浮かべ、正美はわずかに唇を開いた。


「神眼で先読み……それに、ナンバーシステムでの連携……厄介……」


 途切れ途切れの言葉の中で、思考が一つに結びついていく。


 正美は、ひとつの結論に辿り着いていた。


 ――如月は、神眼を使ってカナレとの連携を成立させている。


 楓のギフト能力を事前に読み取り、発動の隙を潰す。同時に、こちらの動きと能力をすべて見切るための布石。


  あの一連の行動は、すべてそのために組み上げられていた。


 ――だが。


 リング上の楓は、不敵に笑っていた。


(だけどね……そんなことはお見通しだよ)


 脳裏に蘇る、如月の言葉。


『楓さん……あんたたちのギフト、見切らせてもらったよ』


 ――あれは、真実じゃない。正美は、はっきりとそう確信していた。そして気づく。その結論に至っているのは、自分だけではない。


 視線を交わすまでもなく、楓もまた同じところに辿り着いている。まるで思考が重なるように。無言のまま、二人の認識は一致していた。


 そんな中、青コーナー側のカナレが唐突にマイクを通さず、それでいてよく通る声で棒読みのように数字を並べ始めた。


「3、7、3、5、9、6、3!」


 カナレの声色に、どこか芝居がかった響きが混じる。


 無機質に響くその声、会場全体が一瞬ざわめく。何の意味か分からず、観客は顔を見合わせ、奇妙な沈黙が広がった。


 楓は腹部の痛みに顔を歪めながらも、その言葉に耳を傾けざるを得なかった。呼吸を整えつつも、視線だけは鋭くカナレへと注がれる。


(……またナンバーシステム?)


 脳裏に浮かぶ疑念。


 ――何故カナレが指示を?


 そもそもナンバーシステムの戦略が成立するのは、カナレがリングに立ち、さらに如月が《神眼》を発動したときに限られる――正美の見立てはそうだった。


 リングの上で如月と向き合う楓も、また同じ思いを抱えていた。


 思考の壁に突き当たった二人が動きを止めた刹那、如月はカナレを見据え、吐き捨てるように言った。


「何だよ、その訳の分からん数字は」


 その瞬間、楓と正美は思わず目を見開き、あっけにとられる。何が起きているのか分からず、ほんの一瞬、時間が止まったかのようだった。


 次いでカナレが大げさに胸を張り、両手を腰に当てながら高らかに叫ぶ。


「皆さん、ご苦労さんだよ!ハッ! ハッ! ハッ!」


 豪快な笑い声がアリーナに響く。


 だがその場にいる誰ひとりとして笑えず、会場全体が困惑のざわめきに包まれた。観客たちは互いに顔を見合わせ、「どういう意味だ?」と首をかしげる。


 解説席でも古田と山北が顔を見合わせ、怪訝な声を上げる。


「3(ミ)、7(ナ)、3(サン)、5(ゴ)、9(ク)、6(ロウ)、3(サン)……?」


 不可解な数字の羅列を繰り返し口にしながら、思案するように唸る二人。


 そのとき――。


 正美ははっと息を呑み、心の中で叫んだ。


(……まさか!?)


 血の気が引くような感覚に襲われ、正美の表情がみるみる蒼白に変わっていく。胸の奥で冷たいものがざわめき、背筋を這い上がるような戦慄が走った。


 正美は気づいた。――あのナンバーシステムは、完全なるブラフ。自分たちのギフトを見極めるための仕掛けではないと。


 本当の目的、それは――。


 自分たちのギフトの能力を引き出すための“ブラフづくり”だった。


 そして、正美はお泊り会の時に如月が言った言葉を思い出した。


『昔からなんとなく、相手の体に触れただけで“力の流れ”がわかるんだよ。力がどこに流れて、どこに溜まってるか……直感みたいなもんだな』


 思考戦、頭脳戦を視野においてあらゆる角度から攻める如月のギフトと能力を想定していた楓と正美。


 あらゆることを想定したことで一部のスキができてしまった。ナンバーシステム、カナレの妙な技、如月の不必要な受け。


 おそらく、そこに一分の真実さえ含まれていない。


 ただ惑わせるためだけの虚構。


 そして正美の脳裏に、稲妻のような理解が走った。


 ゴングが鳴る前からすでに――如月は楓と正美、それぞれのギフトを見極め、すべてを計算に入れていた。


 体を触れられた瞬間から――。


(……恐らく、あのカナレの行動も)


 冷や汗が背筋を伝う中、正美の耳に冒頭の記憶が甦る。


『如月っち!私から行く!』


 ――あの時のカナレの叫びさえも。


 仲間を鼓舞するための言葉ではなかった。すべては布石。仕組まれた筋書きの一部だったのだ。


 正美は考える。


 何故そこまで手の込んだことをして――カナレをわざわざ先行させる必要があったのかと。


 その答えに辿り着いた瞬間、胸が締め付けられるようになり、息を呑んだ。


(……如月は……最初から私たちのギフトの能力を理解していた)


 試合全てを掌握しながら一人でこの場を作り上げていた。それを隠すために。


(……あのスパーの時。すでに目星をつけてたってこと!?)


 心の中で驚愕しながら如月を睨みつける楓。


 カナレを先行させることで、自分を揺さぶり、隙を探り続ける。


 その裏で如月はコーナーの外から、《神眼》を使用して、ナンバーシステムでカナレを動かしながら対戦相手の行動を把握。


 そして、試合まで一度も対峙しなかったことで正美に知られることなく淡々と本番ですべてを組み立てた。


 試合中だけではない。開始のゴングが鳴る前から――未来を幾度も視て、推測が正しいかどうかの道筋を立てていた。


 ――“行動と思考の分離”


 楓と向かい合うカナレが動、その背後で如月は静かに思考を巡らせていた。


 ――あのスパーの時点ですべては始まっていた。


 如月は幾重もの罠を張り巡らせ、未来視を繰り返して状況を精査していた。


 如月の真意を理解した瞬間、正美の心臓が大きく跳ねた。鳥肌が立つほどの恐怖と焦燥が、全身を駆け抜ける。


 正美は堪えていた息を一気に吐き出すように、大声で楓へ叫んだ。


「楓!もういい!全力で行って!」


 その声は観客の喧騒を切り裂き、アリーナ全体に響き渡る。


 唐突な指示に観客席から「えっ!?」「全力!?」と驚きの声が広がり、場内の空気が大きくざわめいた。


 その言葉に如月の表情がかすかに動く。わずかに目を見開き、ほんの一瞬だけ反応を示す。


 楓はためらわなかった。正美の言葉を信じ、即座に自身のギフト《以心伝心》を発動させるべく如月の腕をガシッと掴む。


 掌に伝わる相手の熱。汗の湿り気と鼓動が、異様な緊張感を増幅させた。


 その行動を見た如月の唇がゆっくりと歪む。


 そして低い声で確信を吐き捨てる。


「……やっぱりそうか。ギフトを奪うのは――両方か!」


 図星を突かれた楓は顔をしかめるが、お構いなしに次の行動へ移った。


 四文字ギフト――以心伝心いしんでんしん


 その能力は接触奪取。触れた相手のギフトを読み取り、その一部を引き抜き、自身の内へと取り込むことができる。奪われた側の能力は著しく低下し、出力・精度ともに鈍化する。


 それは“完全な簒奪”ではなく、“分割と共有”。 奪った力は自身のものとして扱えるが、その再現はあくまで廉価版に留まり、本来の使い手ほどの精度や威力には及ばない。


 また、相手のダメージも同時に吸収してしまうため、長期戦での運用は相性が悪く、速攻で使用する必要がある。


 取り込んだ力は、自身を媒介として他者へと“移す”ことも可能。 戦況に応じて能力の流れを組み替えることで、戦力の再配分すら行える。


 ただし、一度能力の移動・入れ替えを行った場合、同一対象から再び力を奪うには数時間の間隔を要する。


 また、能力によっては適応に時間を要し、扱いを誤れば自壊的な反動を招く危険すらある。発動条件は「接触」。相手に触れなければ奪うことはできず、戦闘においては間合いの管理が重要となる。


 この能力は“弱化”に近い性質を持つため、相手を削ぐ“デバフ”としての運用に真価を発揮する。奪い、分け合い、巡らせる――完全ではない力をどう扱うか。その選択こそが、「以心伝心」の本質である。


 掴みの動作は、本来なら必要のないフェイント。


 だが、如月を自由に動かすわけにはいかない――それが、正美の判断だった。


 発動範囲内で如月の力を奪い取り、楓の内に如月の《神眼》が灯る。


 その瞬間、視界がぐらりと揺れ、現実の映像に幾重もの断片が重なり始めた。


 ――未来。


 数秒先の攻防、異なるパターンの分岐。勝利と敗北、反撃と被弾。


 目の前の如月が幾通りにも姿を変え、連続写真のように襲い掛かってくる。ひとつの世界が砕け散り、次の世界が重なり合う――それは洪水のような情報だった。


(……あのスパーの時。ほんの短い間だったけど、ちゃんとわからないよう練習させてもらったよ……!)


 脳裏に蘇る記憶。


 如月とのスパーリングで、ほんの一瞬だけギフトを奪い、能力を展開した。わずかな使用時間の中で必死に感覚を刻み込み、神眼の仕組みを掴もうとした。


(……私が他人から奪い使用できるギフトは廉価版。けれど――時間をかければ、断片が繋がって“いくつもの未来”が見える!)


 瞳の奥に強烈な光が宿り、楓の脳裏を無数の映像が波のように押し寄せる。その光景は、力を得た昂揚と同時に、制御不能へ転じる予兆を孕んでいた。


 強い光が瞳に宿り、楓の視界には幾重にも折り重なる“可能性”が押し寄せていた。


 まるで幾枚もの幕が重ねて引き裂かれるように、無数の未来が錯綜し、頭の奥を締め上げていく。


 それでも楓は集中を切らさず、如月の次の攻撃を警戒し続けた。


 自分の格闘経験値とスキルがあればたとえ廉価版のギフトでさえ使いこなせるという自負があった。


 ――その刹那。


 腹部に鋭い痛みが突き刺さった。


「ぐ……っ!」


 不意の衝撃に、未来視の映像が一瞬ぶれ、世界がぐらりと傾ぐ。


 それは予期せぬ痛み。楓の内臓をえぐるような鈍痛は、実際には如月が受けた一撃。以心伝心による不必要な痛み。


 正美の膝が突き刺さった腹部の痛覚が、時差を伴って楓の体に押し寄せてきた。


 観客には見えない内なる苦悶。だが額に滲む脂汗が、それを雄弁に物語っていた。


 しかし、楓は歯を食いしばり、必死に耐えた。


 だが次の瞬間――。


 未来の断片が制御を失った波のように押し寄せ、視界を覆い尽くす。幾重もの如月の姿が重なり、襲い掛かり、消え、また現れる。


 その洪水は楓の脳を焼き尽くす錯覚となり、現実と未来の境界が一瞬で崩壊していった。


「え……なにこれ!止まんないっ!」


 焦りとともに、楓は思わず掴んでいた如月の手を放してしまう。


 ――その刹那。


 如月の反応は迷いがなかった。解放された腕を一瞬で差し込み、楓の両脇をがっちりとホールド。腰を深く落とし、全身のバネを炸裂させて後方へブリッジ――!


 フロントスープレックス!


 楓の身体が宙を舞い、キャンバスへ叩きつけられる。


「がっ……!」


 重い衝撃がマットを震わせ、観客席からどよめきと悲鳴が爆ぜる。


 だが如月は間髪入れなかった。


 倒れ伏す楓の両脚を瞬時に掴み取り、そのまま自らの足を絡めてひねり込む。


 ――足四の字固め。


 リング中央で技が極まった瞬間、アリーナ全体が爆発するようなどよめきに包まれた。


 歓声、悲鳴、名前を呼ぶ声が渦を巻き、まるで地鳴りのように場内を震わせる。


 実況席から田辺が絶叫する!


「如月選手!あっという間に足四の字ッ!まさかの電光石火の極め方だ!」


 すかさず山北も声を張り上げる。


「あんなに速い足四の字は見たことがないですよ!通常なら体をひねって回転するところを、省略して一気に絡め取りましたね!」


 楓の顔は苦悶に歪み、脂汗が額から滴り落ちる。


 必死に上半身を起こそうとするが、脚に絡みつく如月の圧力がそれを許さない。膝と関節に鋭い痛みが走り、歯ぎしりする音が漏れる。


 如月は力強く関節を極めたまま、低く呟くように言葉を投げかける。


「……だめだよ、人のギフトを安易に使っちゃ。痛みに意識が行けば――暴走するんだよ、俺のギフトは」


 冷ややかに告げられるその声音は、まるで捕らえた獲物へ突きつけられる処刑宣告だった。


 楓の額から脂汗が幾筋も流れ落ち、苦悶に歪んだ顔がスポットライトに照らされる。


 歯を食いしばりながらも声にならない呻きが漏れ、膝関節からは悲鳴のような軋みが響いた。


 如月は関節をさらに絞り込み、静かながらも残酷に言い放つ。


「……ギフトの能力を一番把握してるのは、その持ち主のギフター自身なんだよ。使うなら――もっと練習しなきゃ」


 冷酷な真理を突きつける言葉に、楓は顔をしかめる。


 楓の体が小刻みに震え、今にもタップアウトしそうな危機感がアリーナ全体を支配したその時――。


 バンッ!


 突如としてリングを揺らす重い音。赤コーナーから正美が飛び込んできていた。


 ――カット。


 如月の胸めがけて、怒りを叩きつけるかのような強烈なストンピングが炸裂する!


「ぐっ……!」


 鈍い衝撃音が響き、如月の顔がわずかに歪む。


 極めていた足四の字を解かざるを得なくなり、観客席からは大歓声が巻き起こった。


 正美の介入で極悪の足四の字が解かれ、楓は呻きながらもなんとか立ち上がった。


 すぐさま正美は赤コーナーへと戻り、楓とタッチ。今度は正美がリングへと上がる。


 だが、休む間もなく青コーナーからカナレが飛び込んでくる。


「行くぞぉぉっ!」


 全身をバネのように弾き、矢のごとき加速で突進。


 炸裂したのは必殺の――マイティータックル!


 ドガァッ!


 轟音とともにコーナーへ戻ろうとした楓の身体が吹き飛び、背中からロープに叩きつけられる。衝撃を受けきれず、そのままロープの間をすり抜け、場外へ転げ落ちた。


 観客席から悲鳴混じりの歓声が爆発する。正美も思わず顔を歪め、目の前の如月と対峙する。


 そのとき――。


 リングアナ田辺の声がスピーカーを通して会場に響き渡った。


「――40分経過!残りは20分!」


 会場全体がざわめき、観客の誰もが時計を意識する。時間切れまで、あとわずか。アリーナには緊張と焦燥の入り混じった熱気が広がっていた。


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