表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/102

不死の火

 荒野を抜けた先の小さな集落で、衝撃的な報せを聞いた。


 集落は巡礼路の支線沿いにある二十戸ほどの寄り合い所帯で、日干し煉瓦の家屋が砂塵に晒されて灰白色に退色していた。井戸が一つ、市場と呼ぶには粗末すぎる露店が数軒。それでも荒野を何日も歩いた三人にとっては、人の気配がある場所というだけで救いだった。


 集落の広場に人だかりができていた。


 旅の行商人が、南から持ち込んだ報せを語っている。集まった人々の顔に、恐怖の色が浮かんでいた。キアンの真実視がその恐怖を読む。赤ではない。白い恐怖──本物の恐怖だった。嘘をついて恐怖を隠す余裕すらない、剥き出しの感情。


 第二の聖火──不死の火──が消えた。


 三千年燃え続けたもう一つの聖火が、キアンの出身神殿と同じように、音もなく消滅した。行商人の言葉がキアンの耳に届いたとき、世界が一瞬だけ静止したように感じた。足元の砂が動きを止め、風が止み、集落の喧噪が遠のいた。


 善思の火に続いて、不死の火。七つの聖火のうち、二つが消えた。


 キアンが出身神殿で体験した消滅は、孤立した事件ではなかった。あの夜──聖火が透明になって消えた、あの静かな死は、この世界のどこかで繰り返されていた。連鎖している。一つ目が消え、二つ目が消えた。三つ目が消える日が来ないと、誰が言えるだろう。


 アタルが行商人から離れた場所にキアンとアナヒドを呼び、静かに語った。焚き火ではなく、集落の井戸端で。老人の声は低く、周囲に聞こえないよう配慮されていた。


「善思の火は善なる思考の象徴じゃ。不死の火は生命の永続の象徴。聖火はそれぞれが世界の一側面を支えておる。七つの聖火が七つの側面を照らし、その光の総体が──この世界の善悪の境界を形作っている」


 キアンは乾いた唇を舐めた。言葉が喉の奥に詰まっている。聞きたいことがある。聞きたくないことでもある。


「不死の火が消えたら……人が死ぬってことか」


「直接的にはそうではない」


 アタルの声に色はない。いつもの透明な空白。だが──その空白の質が、いつもと微かに違っていた。空白の中に、重みがある。言葉を選んでいる重み。


「だが──不死の火が消えた地域では、老いなかった者が急に老い始めたという噂がある」


 噂。アタルが「噂」という言葉を使ったことに、キアンは引っかかった。真実視をアタルに向ける。だが──いつものように色がない。嘘でも真実でもない透明な空白。「噂」が本当に噂なのか、アタルが直接知っている事実なのか、真実視では判別できなかった。


 集落の人々の中に、南からの避難民が混じっていた。キアンは広場に戻り、その一人に近づいた。五十がらみの女。顔に深い皺が刻まれ、目の下の隈が暗い。旅の疲れだけでは説明できない憔悴。


「あの……不死の火のことを聞いたんだが」


 女はキアンを見上げた。目が潤んでいる。


「私の村は不死の火の聖域に近かったのです。村の長老は百二十歳を超えていましたが、背筋はまっすぐで、畑仕事もこなしていました。聖火の恵みだと皆が信じていました」


 白──真実。


「聖火が消えた翌朝、長老は立てなくなりました。一晩で……一晩で三十年分の老いが襲いかかったように」


 白──真実。


 キアンの真実視が、この女の証言を白と判定した。嘘ではない。誇張でもない。聖火の消滅は比喩ではなく、物理的に世界を変えている。聖火が支えていたものは、象徴ではなかった。実体だった。不死の火が灯っている限り、その光の届く範囲で生命の永続が──ある程度は──保証されていた。光が消えれば、保証は消える。


 キアンは女に礼を言い、広場の端に戻った。足が重かった。頭の中で、出身神殿の聖火が消えた夜の記憶が蘇っている。あの夜、善思の火が消えた。善なる思考の象徴が消えた。あの後──出身神殿の周辺で、何かが変わったのだろうか。善なる思考が失われ始めたのだろうか。キアンにはわからなかった。自分自身が聖火の消滅直後に逃避行を始めたから、その影響を観察する余裕がなかった。


 だが今、不死の火の消滅の影響を目の前で見ている。これが二つ目の消滅だ。三つ目が起きたらどうなる。四つ目が起きたら。五つ目が。六つ目が。


「……全部消えたらどうなるんだ」


 キアンの嗄れた声が、アタルに問うた。集落の井戸端で、三人だけの空間。アナヒドが銀壺を胸に抱き、唇を薄く結んでいる。


 アタルは答えなかった。


 老人は井戸の石縁に手を置き、遠い南の空を見つめていた。その横顔に、キアンは──初めて「疲弊」に似た何かを読み取った。真実視では色が視えない。だが表情が語っている。この老人は、何かを知っている。何かを知っていて、答えないことを選んでいる。答えられないのではなく──答えない。


 答えないことが──答えだった。


 全部消えたらどうなるか。アタルが答えないということは、答えが希望ではないということだ。あるいは──答えが、言葉にできるほど単純ではないということだ。


 夜が来た。集落の外れに設けられた旅人用の小屋で、三人は焚き火を囲んだ。アタルの焚き火はいつものように温かく、小さな炎が闇を照らしている。だがキアンの目は焚き火ではなく、窓の外の夜空を見ていた。


 南の空。第二の聖火があった方角。


 数日前まで、そこに赤い光が揺らいでいた。荒野の夜空に、微かだが確かな輝き。衰弱する聖火の残照だとアタルが言った光。


 今──そこには何もなかった。


 暗闇だけが残っている。星はある。だが聖火の光があった場所は、星の光では埋まらない空白として、夜空にぽっかりと穴を開けていた。昨日まであったものが、ない。当たり前にそこにあると思っていた光が、消えている。


 キアンは窓枠に肘をつき、その暗闇を見つめた。出身神殿の聖火が消えた夜も、こんな暗闇が広がったのだろうか。あの夜、キアンは神殿の中にいた。外の空を見る余裕はなかった。だが今──遠くから、聖火の消えた空を見ている。この暗闇は二つ目だ。三つ目の暗闇が、いつ来るのか。


 暗闇だけが残っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ