表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/101

見たくないもの

 街道沿いに聖火殿の分社がある村に着いた。


 小さな村だった。日干しレンガの家々が畑を囲むように寄り集まり、砂塵に曝された土壁の表面が午後の陽射しを受けて鈍い橙色に光っている。どの家も低く、屋根は平らで、乾いた泥と藁を混ぜた覆いが空に向かって無防備に広がっていた。家畜の糞と干し草の匂いが風に乗って鼻をつく。畑には灌漑用の細い水路が走り、水が痩せた土を辛うじて潤していたが、水量は乏しく、水路の縁に白い塩の結晶がこびりついている。村の中心に古びた石造りの分社が建っている。壁は苔と砂埃に覆われ、かつて白かったであろう石材が灰色に沈んでいたが、その頂に灯る聖火だけが鮮やかだった。石の祭壇に据えられた青銅の火皿。出身神殿のものよりずっと小さいが、同じ形をしている。同じ炎を──灯していたはずだった。


 だが、炎が揺らいでいた。三千年間揺らがなかったはずの炎が、風に煽られるように不安定に踊っている。出身神殿の聖火が消えた夜を思い出した。あの夜、炎は揺らがなかった。揺らぐことなく、ただ透明になって消えた。ここの聖火は違う。まだ消えてはいないが、消えかけている。炎の輪郭が滲み、白い芯が時折かすれる。風が吹いたわけでもないのに、炎が右に傾き、また左に戻り、一瞬だけ消えかけて、また灯る。揺らぎは死の前兆だ。キアンは目を細めた。真実視を通して視る聖火の炎は白く澄んでいるが、その白にも微かな翳りがあった。出身神殿の聖火は純粋な白だった。ここの白には灰色が混じっている。永遠であるはずのものが、有限に見える。分社の聖火の前で祈りを捧げている老人がいた。膝をつき、額を石畳に押しつけ、嗄れた声で祈祷の文言を唱えている。その祈りは白かった。純粋な信仰だ。信じている。聖火が永遠であることを。


 村人たちは不安を抱えながらも日常を保とうとしていた。畑を耕し、家畜の世話をし、子どもを学舎に送る。老婆が井戸端で洗い物をし、皺だらけの手を冷たい水に浸している。子どもたちが砂の道を走り回り、土埃を蹴り上げている。家の軒先で男が農具の刃を砥石に当て、金属の擦れる音が乾いた空気に響いていた。表面的な平和。穏やかな風景。だがキアンの真実視は、その表面の下にある歪みを残酷に映し出した。


 村長と分社の神官が結託していた。


 村長の言葉に纏わりつく赤い色彩が、村の広場を横切るたびに視界に飛び込んでくる。神官の祈祷の声が赤く灼けている。献金を呼びかける声が赤い。「聖火を守る特別な祈りの献金」として信徒から金を集めている。聖火の衰弱を隠蔽し、不安を煽り、金を搾り取る構造が、真実視の前に赤い色彩の網として浮かび上がった。献金は聖火の維持には使われていない。村長の新しい屋根と、神官の肥えた腹に変わっている。村長が広場で村人に語りかけるとき、その声の周囲に赤い霞が立ち昇る。言葉一つ一つが嘘の色を帯び、文節の切れ目ごとに赤が明滅する。聞いている村人たちの表情は穏やかだった。信じている。疑っていない。


 排斥の記憶がある。暴露はしない。あの集落で石を投げられた背中の痛みが、まだ肩甲骨のあたりに残っている。額の薄い瘡蓋に指が触れるたびに、群衆の怒声が蘇る。暴露すれば同じことが起きる。あるいはもっと酷いことが。わかっている。だから暴かない。修練で学んだ「保留」の技術を使う。視えた嘘を箱に入れ、蓋を閉じる。声にしない。


 だが知っていて黙ることの苦しさは、予想以上だった。


 村の井戸端で、老婆が若い嫁に話しかけていた。「献金をすれば聖火が守ってくれる」と。老婆の言葉は白かった──真実だと信じている。嘘ではない。騙されていることに気づいていない純朴な信仰。荒れた手で銅貨を数え、神殿の献金箱に入れる姿を、キアンは路地の角から見つめた。あの銅貨は食費を削った金だ。老婆の腰は曲がり、着物は擦り切れ、指の関節は太く歪んでいる。長い歳月を畑仕事に費やしてきた手。その手から渡される銅貨は、聖火の維持には一銭も使われない。神官の贅沢な食卓に消える。嘘をついている者と、嘘を信じている者が、同じ場所にいる。嘘を視る者だけが、その構造を知っている。知っていて、何もしない。


 キアンは拳を握った。爪が掌に食い込む痛みが、喉の灼熱感とは別の場所で意識を引き締めた。


 知ることと行動することの間に、深い溝がある。嘘を見つけて黙っている──修練で学んだ「保留」の技術。だがこれは保留ではなく、加担ではないのか。知っていて黙ることは、嘘への加担ではないのか。老婆の銅貨が神官の腹に消えることを知っていて、黙って見ている。嘘つきの技術として培った「知っていて黙る」力が、今は別の意味で自分を苛んでいた。かつては生存のための沈黙だった。今は誰かの犠牲の上に立つ沈黙だ。同じ「黙る」という行為が、こんなにも違う重さを持つのかと、キアンは唇を噛んだ。


 村の外れで、キアンはうずくまった。


 膝を抱え、額を腕に埋めた。砂の冷たさが膝の裏に染みる。夕刻の風が乾いた土の匂いを運び、遠くで犬が吠えている。空は赤紫色に染まり、日干しレンガの家並みの輪郭が闇に溶け始めていた。視界を閉じたくても閉じられない。真実視は常に発動している。目を閉じても色は消えない。認知そのものが色を纏っている。瞼の裏に赤い残像が揺れ、村長の嘘と神官の嘘と老婆の純朴な白が入り混じって、意識の中で渦を巻く。見たくないものを見ている。暴けば排斥される。黙っていれば嘘に加担する。どちらも耐え難い。板挟みの苦しさが、胸の奥で鉛のように沈み、呼吸を浅くしていた。


 アタルが近づいた。杖を突く音が規則正しく砂に響き、キアンの傍で止まった。老人の気配にはいつもの温もりがある。焚き火のそばにいるような、穏やかな熱。何も言わず、隣に立った。杖の先が砂に小さな穴を穿ち、風がそれを埋める。沈黙が二人の間に横たわった。夕暮れの風が老人の白い衣の裾を揺らし、煤けた布地が闇に溶けていく。やがてアタルが膝を折り、キアンの隣に腰を下ろした。老人の体温が──不思議に温かい。いつもそうだ。冬の荒野でも、この老人の傍にいると冷えない。


「辛いか」


「……辛いなんて、嘘だ」


 喉が灼けた。声が嗄れ、最後の一音が喉の奥で砕けた。灼熱感が舌の根元から気管の入口まで走り抜け、涙が滲んだ。思わず喉を押さえた。手のひらの下で、皮膚が微かに熱を持っている気がした。


 辛いのは、嘘ではなかった。


 アタルは何も言わなかった。叱りもしない。慰めもしない。ただ隣に座り、夕闇に沈んでいく村を見つめていた。分社の聖火が揺れている。あの炎も、いつか消えるのだろうか。消えた後に残るのは灰だけだ。そして灰の上に、この村の嘘は続くのだろう。キアンは顔を上げ、嗄れた息を吐いた。星が一つ、二つと空に灯り始めていた。白い光だった。嘘のない、ただの光。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ