99[2-33].タイオーの天使長:フォールス・エル②
「惚けるなよ。そのカマセの事だよ。
ク・エル。君を、同族殺し、天使殺害の容疑で逮捕する。
その男達に見覚えは?」
フォールス・エルが、証拠写真を取り出して見せた。
紙束を開いた瞬間、通夜場の空気が一段冷えた。
そこには、天使が三人。
無残に裂かれた体。刃が走った痕。切断の角度。
そして、写真の余白に押された「検証済」の刻印。
ク・エルは、息を止めた。
見覚えがある。嫌な意味で、はっきりと。
「因みに、嘘をついても無駄だぞ? 看破の奇跡を今、唱えている」
フォールスは軽く顎を上げて言った。
脅しではなく、当然の手順みたいな口ぶり。
「逃げ道は最初から潰した」という宣言。
「……オトキミ君達に、無礼を働いた三人ですね。……見覚えはあります」
フォールスは、待っていましたと言わんばかりに肩をすくめる。
「つまり、君は仲間に無礼な事をしたカマセ達を、一時の感情に任せ許せなくて、殺害したという事かな?」
「……!? 違います。何故そうなるのですか?」
「そうなるも、なにも。君の天使武器、ベルゼブブの攻撃痕が証拠だよ」
フォールスは、調査書を乱暴に投げた。
紙は空を切り、ク・エルの足元へ落ちる。拾わなくても読めるように。
殺傷部位の形状と、天使武器の登録認証の照合結果が、露骨に分かりやすく記されている。
ク・エルの眉が、わずかに動いた。
怒りではない。
嫌な予感を感知した、静かな警戒だった。
「できれば、ザドキ・エル最天使長に真偽を問いたかったが……現在、今回の件で天使教皇様から呼び出されているそうだな?」
わざわざ口角を上げて言う。
助け舟は来ない、と告げるために。
「天使追放を免れたにも拘らず、事件犯人である悪魔人を逃した事。
最天使長会議で決定していた、そのジルという男が行うはずだった悪魔を消滅させる神秘術で、教会内のスパイを炙り出す予定を白紙にした責任など……
それで呼び出されたのだから、今度こそ追放かもな? ハッハッハッハ!!」
笑いは大きい。けれど、目は笑っていない。
その笑いが誰に向けられているか、空気が理解していた。
「無能な上司を持つと大変だな!
あ、無能な部下を持つザドキ・エルの方が可哀想……なのかな? ハッハッハッハ!!」
含み笑いが、通夜場の静けさを汚す。
ク・エルは、視線を逸らさずに返した。
「……人の不幸を笑う愚か者に、ザドキ・エル最天使長の素晴らしさはわかりませんよ」
フォールスの笑いが一瞬だけ止む。
そして、唇の端を歪めた。
「ふん。ほざいていろ。
君にもう言い逃れはできない。おい、さっさとそいつを逮捕しろ」
合図が落ちる。
フォールス陣営の信徒と天使が、ク・エルへ踏み出した。
手鎖が鳴る。金属の冷たい音が、祈りの残り香を切り裂いた。
その瞬間――
「いくらなんでも横暴だと思います。ク・エル天使長は、そんなことはしません」
ディアだった。
応急処置の手を止め、前へ出る。
恐怖を飲み込んで、言葉を立てた。
そして、その一歩が、場の温度を変えた。
ディアの周りで、創造神の秘力が淡く滲む。
本人は気づいていない。祈っているつもりもない。
ただ、必死に「止めたい」と思った心が、そのまま外へ漏れた。
淀んでいた空気が、薄くほどける。
さっきまで尖っていた殺気が、刃の角を失っていく。
タイオーの天使達の中にも、動きが鈍る者が出た。
手鎖を握ったまま、踏み出しかけて、止まる。
目が泳ぐ。呼吸が揃い、妙に冷静になる。
「……っ」
フォールス陣営の空気が、ほんの僅かに揺れた。
命令を聞くはずの者たちが、命令の意味を考えてしまう空気だった。
「そうだよ!! そのひとたち、マリアをたたこうとしたの!!
ク・エルおねえちゃんは、まもってくれたの!!」
マリアの声が、さらに場を鎮める。
幼い声だからこそ、嘘が混ざらない分だけ強い主張。
「本当かい? なら、パパも味方するしかないかな」
ユーサがマリアを抱えたまま、ク・エルを守る位置へ出る。
一歩だけ。それだけで十分だった。
圧が、場に染みる。
ク・エルの表情が、ほんの少し柔らかくなる。
「……ディア様、マリアちゃん、ユーサ・フォレスト」
その名を呼んだのは、礼だった。
守られている現実への、短い感謝だった。
「ク・エル天使長は、その無礼なタイオーの天使から守ってくれたわ!!」
「そうだ!! 葬儀の邪魔をするよそ者は出ていけ!」
参列者の声が重なる。
怒りではない。守りたいものを守る声だった。
フォールスは、両手を上げる。
感動したような仕草。だが目は、楽しそうだった。
「なるほど。わかった。ザキヤミの諸君の優しさに感激した」
言葉とは裏腹に、声の温度は薄い。
「それでは、ここにいる者全員を、容疑者を匿った、援護したという容疑で逮捕する」
空気が凍る。
次の瞬間、フォールスは号令を落とした。
「……!? ……そんな横暴、貴方に権利はありませんよ」
「それが、どうした。こちらは天使教皇様の令状がある。
貴様ら全員を裁く権利がある。刃向かうものは、全員逮捕か処刑だ。やれ」
命令に、戸惑いが走る。
タイオー側の天使と信徒の中にも、躊躇が見えた。さっきよりも、明らかに。
そこへ、白衣の研究員の老人が淡々と言った。
「フォールス・エル天使長。逆らう者がこちらにもいるそうなので、命令通りに動かなかった者は研究対象にしてよろしいかな?」
フォールスは即答した。
「ああ。かまわん。我の部下に、言うことを聞けない者は不要だ」
研究対象。
その言葉だけで、タイオーの者たちの顔色が変わった。
恐怖が、命令を動かす。
悲鳴と混乱。
通夜場が、阿鼻叫喚へ傾きかけた――
その瞬間。
ー カラーン ー
鐘の音。
音が落ちた刹那、動きが止まった。
一部を除いて、呼吸さえ忘れたみたいに。
まるで、時間そのものを押さえ込まれた感覚。
「この鐘の音は!?」
フォールス・エルが、出入り口を見て目を見開く。
「シ……シ・エル!? ……最……天使長!!?」
「やぁ、フォールス・エル。いつぶりかな?」
シ・エルは、何事もなかったかのように歩いてくる。
空気の中心が、音もなく移る。
誰も抗えない種類の移動だった。
「とりあえず……話がしたい。市民の皆さんに迷惑をかけないようにしてもらって良いかな?」
「……わかりました」
返事を待つ前に、天使と信徒たちは理解した。
今この場の主導権は、もうフォールスではない。
「ありがとう。では、解除して話し合いをしよう」
シ・エルが土星型の鐘に触れた。
止められていた時間が、息を吹き返す。
皆が、息を取り戻したように動き出す。
その瞬間だけで、市民は思う。
シ・エルがいるだけで、安全の輪郭がはっきりする。
「その前に、フォールス・エル。
ダ・エルがいつも世話になってるね。バラキ・エルに、この前の事件で迷惑をかけたと聞いたよ。すまなかったね」
シ・エルは、いきなり本題に入らず、世間話を始めた。
フォールスは警戒する。だが無視できなかった。
「……本当ですね。悪魔を倒した後に片付けもせず、いなくなり、人手が足りない今の時期に長期休暇をいただくなんて……現場は困りますよ」
「あはは。申し訳ない。
でも優秀な部下に休みを与えるのは、上司の能力だよ?
優秀な君なら部下達のケアをしっかりしてるからわかるよね? 協力し合って休めてるんじゃないのかい?」
シ・エルは笑顔のまま。
嫌味を受け流し、さらに刺す。
「……必要ないですよ。皆、働き者なので」
シ・エルは部下たちへ目を向けた。
しかし誰も首を縦に振らない。
気まずい表情が並ぶ。
中には「シ・エルの部下が良かった」と言わんばかりの目も混じる。
「おや? 皆、そんな顔はしてないみたいだね。
部下の体調管理をするのも、上司の能力だよ?
耳を傾けるのも大事だよ?」
フォールスの目が細くなる。
部下たちが、無意識に身を竦める。
「そろそろ本題を話しましょうか? シ・エル最天使長。何をしに来れたのですか?」
フォールスは話を切り替える。これ以上、場が奪われる前に。
「あぁ、そうだね。
とりあえず、その天使教皇様の令状、証拠写真、検証結果を見せてもらえるかな?」
「!? そっ……それは、いたしかねます!! シ・エル最天使長!!」
研究員が食い気味に答えた。
わかりやすい動揺。冷や汗。
「ん? どうしたんだい? 余はただ、見せて欲しいだけなんだけど?」
「そ……それは……」
研究員の統率者である老人が、言葉に詰まる。
「そちらの品は、我タイオーの所有物であり、最天使長であるバラキ・エルを通していただいてから確認をお願いしていただけますか?」
「ん? そうなのかい? それは困ったね。バラキ・エルに、何故か今は連絡が取れないし」
フォールスが、何かを察したように口を挟む。
もっともらしい理屈で、場を固め直そうとする。
研究員たちが、わずかに息を吐く。
しかし。
「その必要は無い。真偽をするのにいちいち確認などしていられるか。
審判の基礎を教えてやろうか? シ・エル」
女の声。低く、重い。
出入り口から、場を制する圧力が流れ込む。
「……ザドキ・エル最天使長!?」
ク・エルが、思わず名を呼んだ。
その名が落ちた瞬間、教会関係者の動きが固まる。
最天使長の中でも、恐れられている存在。
「な、何故……ここに!?」
「何を言ってるのだ、この俗物共は?
ザキヤミは私の領域であり、貴様らが部外者なのだが?」
研究員たちが震え上がる。
明らかな動揺。
「天使教皇様に呼ばれて、責任追求をされていたのでは……」
「呼ばれたのは事実だ。だが、責任追求とはなんだ? 誰からその話を聞いた?
フォールス・エルよ、優秀な双子のお兄ちゃんの情報を盗み聞きでもしたのかな?」
ザドキ・エルが睨みながら、フォールスへ詰め寄る。
片手に持つ鞭が鳴る。威嚇の音。
その鞭を向けられた者の心臓の鼓動が、嫌に大きくなる。
「……クソっ!! 情報は確かではなかったのか!!?」
フォールス・エルが研究員の老人を見る。
老人は視線を逸らした。
「フォールス・エル。
人に質問をしておいて、自分は返答をしないのは礼儀を知らぬにも程があるぞ」
ザドキ・エルの声音が、通夜場の温度をさらに下げる。
「それと……私はク・エルを無能な部下とは思っていないが……
私はどうやら無能な上司なようなので、是非、ご教示いただきたい。答えてもらおうか?」
「……いつから我らの話を聞いていたのですか?」
「おや? 私は、お前が私を無能な上司と罵ったなんて言っていないのだが?
お前が言ったのか?」
ザドキ・エルが大きく目を開けて答えた。
逃げ道が消える。タイオーの天使達が震えあがる。
空気が裁きの形へ整っていく。
「これで、二回目の質問だ。答えろ。
バラキ・エルという優秀な双子の兄を持つ、弟君?」
何を言っても、逃げられない。
さっきまで優勢だったはずのフォールス陣営が、ザドキ・エルの言葉だけで気力を削られていく。
まるで、ザドキ・エルの百パーセント裁判が、今から始まるかのような空気であった。




