98[2-32].タイオーの天使長:フォールス・エル①
神職たちが、ジルの棺を埋葬場へ運ぶ準備をしている最中だった。
通夜の空気はまだ重く湿っている。涙と、祈りが抜けきらない。
その場の端。
人の流れが薄くなる柱の影で、ケイがキルカへひっそりと歩み寄った。
申し訳なさそうに、けれど今言わなければ消えてしまう何かを抱えた顔だった。
「キルカ様。今、お時間よろしいでしょうか?」
「……どうしたんだい? ケイ。不安そうな顔をして」
キルカはまだ心が追いついていない。
だが若者の言葉を受け止める姿勢だけは、反射みたいに忘れていなかった。
ジルがそうしてきたように、無意識に同じ角度で、同じ温度で、ケイを見た。
ケイは胸元を探り、小さな布袋を取り出す。
慎重に口を開けて、掌の上へ「それ」を落とした。
「これ……ジル様から、いただいた勾玉なんですけど……何かご存知ですか?」
勾玉。
年季の入った、歴史を感じさせるような、お世辞にも綺麗な石ではない。輝きもない。
ただ、妙に重い。指に乗せると、冷たさより先に「沈む感じ」があった。
キルカの目が、一瞬で変わった。
「!!? ケイ! コレを……私以外の誰かに見せたかい!?」
声を張り上げたわけではない。
だが、張り上げるより怖い真剣さが、刃みたいに立った。
ケイは肩を跳ねさせ、慌てて首を横に振る。
「ーーっえ!? ……あ、いいえ。誰にも……見せていません」
キルカは息を吐いた。短く。
それから周りを少しだけ見渡し、耳を澄ませる。
警戒というより、誰かの「気配」を測る所作だった。
ケイは小声で続けた。
「色々ありすぎて……さっきまで忘れていて。
キルカ様の言葉が終わると同時に、『震えた』ような気がしたので触ってみたら……気のせいだったのか、今は特に何も起きていません」
「……わかった」
キルカは、勾玉から目を離さずに言った。
「ケイ。この勾玉を、あんたが持っている事を今後は、誰にも言ってはいけないよ。
それが仲間や……恋人であってもだよ」
「こ……恋人……だなんていませんよ。……まだ、そんなところまで……」
ケイの耳まで赤くなった。
だがキルカは微塵も笑わない。
「いいかい。絶対だよ……」
その顔があまりにも真剣で、ケイは姿勢を正した。
「……承知しました。誰にも、言いません」
ケイは勾玉を隠し、大事に閉まった。
その瞬間だった。
通夜場の少し離れた場所――
ユーサの左手で、【ラーマの指輪】が「とくん」と、微かに鼓動した。
「……? なんだ?」
ユーサは咄嗟に指輪へ触れた。
けれど、目に見える変化はない。熱もない。
ただ、指の骨に、ほんの僅かな「波」だけが残る。
「気のせいかな……」
そう呟いた時、隣で小さな声が跳ねた。
「パパ。みてみて! パパもはいっていたはこを、みんなもってるよ!」
マリアが、棺を指さしていた。
ユーサが指輪に気を取られている間に、棺は通夜場を離れようとしている。
神職たちが肩を揃え、静かに持ち上げ、ゆっくりと歩幅を合わせていく。
マリアは棺の中にジルがいると聞いていた。
「ジルさんは、あのなか?」
「……うん。そうだね」
「そっか。ジルさん。はやくおきてね。かえってきてね! まってるよ!」
マリアの声に、周りの大人達の目に涙が浮かぶ。
死という概念がわからない子供の純粋さが、誰かを傷つけているわけではない。
その言葉に、適正な言葉を返せない。教えられない。
堪えるしかない感情が、涙になり悲しみが流れていく。
その純粋さと優しさに、沈んだ心を癒していた。
その時だった。
集団で慌ただしい、不躾な足音が並んだ。
神社の床を踏む音が、祈りの静けさを乱暴に割る。
「待て。異教徒共」
通夜の場に相応しくない集団が現れた。
胸にタイオー支部の薔薇の紋章。
エル教会の天使。信徒。白衣の研究員まで混じっている。
「その死体は、我らが預かる。エル教会のタイオー支部、フォールス・エル天使長様の部隊がな」
棺を運ぶ神職たちが、反射で足を止めた。
参列者の悲鳴が小さく上がる。
護衛のように並んでいた天使たちが、一斉に前へ出た。
フォールス・エル天使長。
顎を上げ、歩く速度だけで場の主導権を奪う男。
フォールスは周囲を見回し、配信機材とモトマク産の機械へ目を向けた。
「この中継を世界に配信していると聞いたが」
「はっ! フォールス・エル天使長! 既に、切断済みであります!」
「よし……ではその棺を運ぶぞ」
「「「はっ!!」」」
指揮が落ちた瞬間、信徒と天使が棺へ手を伸ばす。
デイ神社の関係者が慌てて間に入った。
「お待ちください! なんなんですか! あなた達は!? 今は宮司様の……」
「やかましい」
言葉の途中で、神職が切り捨てられた。
血が床へ落ち、棺の側面に赤い筋が走る。
参列者の悲鳴が大きくなる。
誰も動けない。動けば同じ刃が来ると分かるからだ。
「公務執行容疑で処刑だ。同じ事をすれば、同じ目にあうぞ」
見せしめのように言い放つ天使。
フォールスは、棺を見もせず冷たく言った。
「おい。棺が血で濡れると運びにくくなるだろうが。上手く処理をしろ」
「はっ!! 申し訳ありません! フォールス・エル天使長!!」
信徒が慌てて布を取り出し、血を拭う。
その瞬間――
「待ちなされ!! これはいったい、どういう事ですかね!」
キルカの声が通夜を割った。
小さな身体が、前へ出る。背筋の真っ直ぐさだけで、場の空気を一度引き戻す。
しかし。
「やかましいババアが。ソイツも始末しろ」
フォールスの一言で、天使武器の刃がキルカへ向いた。
その刃が落ちるより先に――
「やめてーー!! ジルさんたちをいじめないで!!」
マリアの叫び声がした。
次の瞬間。
天使の動きが止まる。
天使武器に力を入れるが、動かない。
ユーサが間に入り、片手の指先だけで武器の刃を止める。
「なっ!? 何をする、貴様は!!」
ユーサの指先に魔力と秘力が混ざり、力が入る。
バリンッ! と金属音を鳴らし、天使武器の刃が粉々になって割れた。
「――ヒィッ!!」
武器を失った天使が恐怖して後ずさる。
憤怒の圧が、場を潰す。
棺へ手を伸ばしていた信徒も、武器を持った天使も、反射で一歩引いた。
武器が下がる。視線が泳ぐ。
「……何を、している? こっちの台詞なんだけど?」
ユーサの声は低い。
怒鳴っていない。
怒鳴らない方が怖い種類の圧だった。
「フォールス・エル天使長。ヤツが……」
研究員の老人が耳打ちする。
フォールスは、嬉しそうに口角を上げた。
「ほう。貴様がユーサ・フォレストか? 噂通りのヤツだな。やはり悪魔なんじゃないのか?」
ユーサは、睨み続けた。
圧が一段濃くなる。
「天使が、横暴な態度で、無抵抗な人に一方的な暴力をふるうなら、そっちの方が悪魔なんじゃないのかい?
僕の知っているザキヤミの天使様達は、優しくて市民に寄り添ってくれるから天使様だと思ってるけど……」
「ほう。挑発も一丁前ときたか」
フォールスは楽しそうに笑う。
「ただ、貴様がエル教会の邪魔をするなら、公務執行妨害で逮捕することもできるというのも理解しているか?」
「これのどこが、公務なのかな? 税金泥棒。ここに来た理由は何?」
フォールスの眉が僅かに動く。
苛立ちを隠して、説明に切り替えた。
「これだから無知なヤツは困る。
このデイ神社のジル・D・レイは、救世主などというデマの神を作った詐欺、そして悪魔の禁術を使ったという話だ」
市民達がざわめく。
言い切る口調が、嘘に聞こえない。
「真実」みたいな空気を、フォールスが放つ。
「記述によると、ジル・D・レイは、エル教会の天使ではないにもかかわらず、千年近くの長い年月を生きたとされている。
それは救世主の神秘ではなく、悪魔の神秘――つまり魔法で不死を得ていた悪魔だった可能性だ」
ユーサの奥歯が噛み締まる。
反論したい。
だが、フォールスは反論の隙を与えない。
「その為、その者の死亡解析は、こちらが行う。これで良いかな?」
「そんなの……デマに決まっている」
「では、デマであるという証拠はどこにある?」
ユーサの言葉が止まる。
「答えは簡単だ。その死体を解析すれば、真実がわかる。
だからこそ、エル教会の天使教皇様の礼状により、許可も得ている。異教徒であろうと、この命令には絶対だ」
フォールスは紙を突き立てて見せた。
天使教皇のサインが入った命令書。
「これで分かったかな? 悪魔君?
刃向かえば、貴様も、貴様の家族も連帯責任で天使教皇様に刃向かったとされ、処罰される。死刑。
いや、貴様の場合は解剖かもしれんな? 貴重な存在と聞いている。アッハッハッハ!!
では黙って見ていろ。さぁ、お前達、運べ」
「「「ーー! はっ!」」」
信徒が棺へ手を掛ける。
天使が壁を作る。
ユーサは動けない。
ここで手を出せば、「家族」が処罰される。
歯を食いしばるしかなかった。
棺が運ばれていく。
ジルが運ばれていく。
その時――
「……騒がしいと思って見てみれば、何をしているのですか? フォールス・エル」
奥の部屋から、聞き覚えのある天使の声が響いた。
「「「ク・エル天使長!!」」」
ザキヤミの市民なら知らぬ者はいない、ザキヤミの【最優】天使長。
仮面を外した姿で、美しい女天使が現れる。
その佇まいだけで、市民の視線が「希望」へ変わった。
タイオーの天使達も、サキュ・B・アークを一撃で屠ったク・エルの信仰力を知っている。
手が止まり、姿勢が揃っていく。
空気が、フォールスの支配から一瞬だけ離れた。
「……貴方の発言と行動は、エル教会の天使として見過ごせません。今すぐこの場にいる者全員に謝罪を要求します」
ク・エルは言った。
怒鳴らない。だが一言一言が、刃より重い。
「……ディア様、手当をお願いします」
「あ、はい!」
突然名前を呼ばれてディアは驚きながらも、倒れた神職の応急処置に入った。
その間もク・エルは、フォールスから目を離さない。
「……そういえば直接会うのは、お久しぶりですね、フォールス・エル。
……先日も連絡しましたけど、貴方の部下だけではなく、貴方自身、そしてタイオーの天使達は横暴で、態度があまり褒められたものではありませんね。
……バラキ・エル最天使長も大変ですね。……貴方のようなご兄弟がいると、手を焼いているでしょう。……いったい――」
言葉が、途中で止まった。
ク・エルは気づいた。
フォールスが、含み笑いを浮かべていることに。
「……どうしたんですか? フォールス・エル? ……何か嬉しそうにしていますが」
「はは……ハッハッハッハッハッハッハッハ!!!」
フォールスは堪えていた笑いを解放し、ク・エルを指差して笑い始めた。
その笑いに引っ張られ、タイオー側の信徒と天使も含み笑いを始める。
「……何がおかしいのでしょうか?」
「ハッハッハ……あぁ、悪い、ク・エル。直接会うのは久しぶりだな。
口調は大人しいくせに、相変わらず小言と説教が多い女だ。
そんなんじゃモテないぞ? 君のどこが【最優】なのか理解に苦しむ。
天使仲間でもそんな感じだから、口うるさくて煙たがられていないか?」
ク・エルの機嫌は悪く、フォールス・エルが先ほどまでより口調が柔らかく若々しく話す。
長年の付き合いがある関係とわかる内容を話す二人だけの空気。
しかし、何か一触即発の緊張感が走る。
「この前は連絡ありがとう。仕事に熱心なのは君らしいよ。
どこにいるのかと思えば、異教徒の所にいるとは。裏切り者らしい行動だ」
「……裏切り者? ……言葉が乱暴な男は、モテませんよ?」
「それは結構。君にモテたい、とは思っていない」
ク・エルの機嫌が悪くなり、嫌味を嫌味で返すも、フォールス・エルは上機嫌だった。
「君から連絡があった、カマセの件で、こちらも君に用があったんでな。探す手間が省けた」
ク・エルの目が細くなる。
空気が冷える。
「……どういうことです?」
「惚けるなよ。そのカマセの事だよ。
ク・エル。君を、同族殺し、天使殺害の容疑で逮捕する」
フォールス・エルが、調査書と証拠写真を取り出して見せた。
そこには――
ク・エルの大鎌で斬られたような状態で亡くなった死亡写真が写っていた。
やっと第二章の重要人物を登場させました。今から楽しくなってきましたが……長い道のり




