90[2-24].ユーサ 復活【リ・バース】“暴れろ!!!!!”②
「スーパーヒーローは、遅れてくるから……カッコいいんです。
……だから、待っていられるんですよ」
「そう? 僕はね――来るまで耐えてるヒーローの方が、ずっとカッコいいと思う」
ユーサは、そう言いながら、オトキミを抱えたまま一歩下がった。
「す……すんません。ユーサのアニキ……」
「謝るのは僕の方だよ。もう喋らなくても大丈夫。今は治療を……」
腕の中の身体は軽い。軽いことが、怖い。
生きているのに灯が細い。折れた足の痛みと秘力の枯渇が、呼吸の隙間にまでまとわりついている。
ユーサはアユラとガケマルのいる方へ、そっと運んだ。
柱の根元――背中を預けられる場所へ膝をつき、丁寧に座らせる。
ディアから受け取った回復薬をオトキミの口元へ当て、流し込む。
意識は繋がっているのかいないのか。瞳は開いているのに焦点が定まらない。
それでも、かろうじてユーサの姿だけは映った。
アユラとガケマルは、ユーサがオトキミを救い出している間に、ディアが手際よく応急処置を終えていた。
足の貫通傷は止血されている。だが歩けない。
アユラは秘力の枯渇で唇の色が薄く、ガケマルは肉体が裂けたまま息を整えるのに必死だった。戦える状態じゃない。
ーー「君の体を守ってくれた家族に、仲間に礼を言う。
そして、君の代わりに意志を持ち続けた人。君の帰りを待ち続けた人。
その人達に、感謝を伝えると良い」
ユーサの脳内で、ジャンヌの声が再び蘇る。
「オトキミ。アユラ。ガケマル……いつもありがとう」
その言葉が落ちた瞬間、三人の表情が崩れた。
泣き顔というより、“張っていたものが外れた顔”だった。
「僕が来るまで、僕を守ってくれて……ありがとう。皆が仲間で、僕は幸せだよ」
オトキミの喉が震えた。返事は出ない。
アユラは歯を噛みしめ、ガケマルは黙って頷いた。どちらも涙が落ちた。
「ケイちゃん。ごめん。遅くなった」
ケイはジルを支えたまま笑おうとして、喉を震わせた。返事は声にならない。
それでも頷いた。泣きそうなまま、笑っていた。
その腕の中で、ジルの胸元は凍っていた。
ディアが編み出した氷の秘術が、出血を抑えるために形を変え続けている。
ディアが短く息を吐く。血の匂いを押し戻すみたいに。
「あなた。ジルさんが……一番危ないわ」
言い切った瞬間、ユーサの瞳がわずかに細くなった。
胸を貫かれた傷の周囲に、黒い魔力の粘りが残っている。
ディアの回復薬と氷の秘術で押さえても、じわりと黒く濁った血が細く滲む。
ブラック・アウトの圧が、傷の奥に魔を残している。
「ここから出て、ク・エル天使長の奇跡で治してもらわないと……!」
ディアの言葉の途中で、ジルの唇が動いた。
「……ぁ、……」
何か言いたい。言葉だけが喉で折れる。
ユーサの脳裏に、刺さるように別の場面が浮かんだ。
悪魔ザドキエル戦の後。
──「今日は疲れているだろうから、今度私のところに来なさい。私は《神秘術師》だ。君にだけ話さないといけない事がある」
言いかけた続きを、今ここで吐こうとしている。
だが血の泡がそれを塞ぐ。
「ジルさん。ユーサです。ここにいます」
ユーサは膝をつき、ジルの手を包むように握った。
冷たい。氷の秘術の冷えとは違う。血が失われた冷たさだ。
少しだけ、ジルの指が握り返した。
その『一瞬』だけは、生きている確かな返事だった。
ジルの口元が、かすかに緩む。笑った……ように見えた。
「何か、僕に伝えることがあったはずですよね? ……でも今は喋らなくていいです。すぐ助けますから」
言い切った瞬間だった。
ユーサの左手――結婚指輪【ラーマの指輪】が、ほんの僅かに熱を持った。
熱というより、内側から刺すような感覚。
指輪を介して、秘力が流れ込んだ……そう感じたのは、ユーサだけだった。
まるで、言葉の代わりに何かを預けられたみたいに。
悪魔に聞かれたくない秘密を、無理やり皮膚の下へ押し込まれたみたいに。
「……え?」
ユーサの喉が小さく鳴る。
今のは、回復でも、治癒でもない。
もっと別の、細工に近い感触だった。
「ジルさん……あなたは……」
ユーサが言いかけた、その瞬間。
「Ahhahhaha!!!!」
ガタン!
黒い領域の奥で、誰かがわざと足音を鳴らした。
笑い声が混じる。こちらの焦りを嗅ぎ取った笑い。
「AHahaha!! すぐに助ける? それは無理な話だ」
空気を裂く笑い声。
悪魔が立ち上がる。
「無駄だ。哀れな人間諸君。この領域からは抜け出せない。我の方が有利」
切り落とされたはずの腕は、もう再生している。
再生の肌の上に黒の闇が薄く脈打ち、継ぎ目だけが不自然に見えた。
「天使どもも邪魔できない。……力の出ない場所で、無様にもがき苦しめ」
視線が倒れている者たちを撫でる。生死を数える目だった。
「有効範囲はデイ神社だ。今頃ク・エルも、我の仲間が殺しに行っている。力の出ない場所で、無様にもがいているさ」
悪魔の魔力上昇に合わせて、闇の領域が少しずつ重くなる。
ディアの指先が止まる。黒の圧が肌に張りつき、呼吸を鈍らせる。
誰もが感じている。ここは悪魔の土俵。
その一瞬で、ジルの血がまた滲んだ。
悪魔は床へ視線を落とし、落ちているものを拾い上げた。
祓串。
紙垂の残骸が揺れ、月明かりの名残みたいに薄く震える。
オトキミがそれを見た瞬間だけ、瞳に焦点が戻った。
「……やめろ……それは……兄……の……」
喉から声が漏れた。意識が薄いのに、その瞬間だけははっきり反応した。
手を伸ばすが、伸び切る前に落ちる。
「兄? 兄弟? 家族? 絆? そんなものが、あるわけねえだろ?
母親の腹の中から一緒に出てきただけの関係じゃねえか!!」
悪魔は笑いながら祓串を指の間で転がし、床に落とした。
「この領域では無力なんだよ。お前らは」
そして、わざとゆっくり踏み潰して折った。
木が裂ける音。思い出が割れる音。
一度。もう一度。バラバラになるまで、ゆっくり。
「──っ!!」
オトキミの喉から、声にならない悲鳴が漏れた。
涙が勝手に落ちていく。怒りでもなく、悲しみでもなく、その両方が一度に溢れた涙だった。
「オトキミ様の……! よくもっ……!!」
アユラが立ち上がろうとして膝が崩れる。
「許、せ、な、い(ぶっ飛ばす!!)」
ガケマルも歯を剥いた。殺意が二人の顔に出た。
だが殴りたいのに足が動かない。身体が言うことを聞かない。
その二人の前へ、ユーサが手を出した。
止めるための手であり、守るための手。
悪魔は折れた破片を拾って投げ捨てた。
破片が畳を跳ね、ユーサの足元へ転がる。
「見てるだけか? 強けりゃ取り返せたよな? AHahaha!!」
勝ち誇る笑い。
ディアが叫ぶ。
「あなた! ジルさんの容態が悪化してる! この領域のせいよ……早くなんとかしないと……!」
悪魔は嬉しそうに肩を揺らした。
「無駄だ。ジジイは助からん。そして、お前らもだ!!
この【明けない魔夜中】を解除するには、我を倒すしかない!!」
悪魔は首を傾げる。
「まぁ、そんな掠れた魔力では無理だろうがな!!
その前に貴様から殺して……絶望をいただく!!!」
跳んだ。
黒の中で刃と爪と魔力が一直線に伸びる。首を獲る軌道。迷いのない殺意。
しかし、ユーサは悪魔を見なかった。
ただ右手を開き、ゆっくり指を鳴らす。
パチ、パチ、パチ、パチン。
黒曜石の指輪が冷えた熱を帯びる。
右手に黒曜石のメリケンサックが現れ、拳が硬く閉じる。
左手の【ラーマの指輪】が共鳴するように、ユーサの秘力と魔力を瞬間的に増幅させる。
その一瞬の暴風。
悪魔の動きがわずかに遅れた。
その遅れが致命傷だった。
「──AGっ!?」
一撃。
ユーサの右拳が、悪魔の顔を押し潰した。
抉ったのではない。存在ごと押し潰した。
悪魔の身体が床へ叩きつけられ、畳が沈んで割れた。
音が遅れて届く。誰も殴られた瞬間の形を理解できない速さ。
同時に、黒の領域がひび割れた。
音が戻る。
匂いが戻る。
重さが抜ける。
【明けない魔夜中】がほどけ、朝の光が神社へ流れ込んだ。
光が入った瞬間、ディアの氷が白く輝き、ジルの出血がほんの少しだけ落ち着く。
本来の回復薬の効果も現れ始めていた。
「……っ、息が……体が重くない!?」
ケイが泣きながら息を吸った。生き残る余地が戻るように。
悪魔が地面の中から這い出る。
起き上がりながら、ユーサを見る目が変わっていく。
怒りではない。悔しさでもない。
怖さだけが増えていく。
「ど……どうして……こんな……!? さっきまで……魔力も……秘力も……無いも当然だった……だろうが……!!」
ユーサが一歩進むと、悪魔の肩が跳ねた。
近づくほど、悪魔は言葉を選べなくなる。理屈ではない。体が拒絶している。
ユーサの視線が、足元の木屑を捉える。
砕けた祓串。紙垂の切れ端。
オトキミが堪える嗚咽。
ジルの浅い呼吸。
傷ついた仲間の顔。
必死に耐えていたディアの悔しそうな目元。
「……何も、見えなかったの? 【明けない魔夜中】で有利なのは……」
それらを背に受けたまま、ユーサは言った。
「悪魔だけじゃないって……わからないのかな?」
問いは短い。だが逃げ道のない問いだった。
悪魔の視界に。
ユーサの顔と背中から、邪神王のような影が一瞬見えた。
悪魔が喉を鳴らした。
噂。報告。名前。
サキュ・B・アークを沈めたという話よりも、悪魔側にも知れ渡るユーサの通り名。
【安楽死を運ぶ者】
悪魔は反射で、態度を変えた。
弱ったふり。怯えた目。助けを乞う声。
「た、助けて……」
その瞬間、ユーサの脳裏に“声”が刺さった。
さっきまでエデンで聞いていた、ジャンヌの声。
ーー「悪魔は、人に情が入ると分かった瞬間に、顔を変える。
弱ったふりをする。改心できそうな目をする。
「分かった」「やめる」「助けてくれ」、同情を引き出す。
同情を引き出せた時点で、もう半分勝っているのは悪魔の方だ。
君の手が止まる。止まった一瞬で味方の血が増える」
ユーサは止まらない。止まる気配すら見せない。
ただ、確認だけを落とした。
「……確認するけど。その言葉は何?」
悪魔は理解できず、言葉を並べる。
「許して……助けて……お願い……」
悪魔は息を荒くしながら頭を下げた。
頭を下げるたび、声を作り直す。
「もう、しない。二度としない。……許して……頼む……」
言葉だけは綺麗だ。綺麗に並べれば通ると思ってる。
けれどユーサの目は動かなかった。
その沈黙のあいだ……悪魔の背中が、わずかに蠢いた。
黒い膜が肩甲骨のあたりから滲むように伸びる。
刃の形をした羽。一本、また一本。
翼ではなく、切り裂くためだけの薄い刃。
同時に、抉られた顔の欠けがじわりと塞がり始めた。
歯の奥で肉が這い戻る音がする。
謝罪の声は震えているのに、再生だけは妙に正確。
頭を下げるたび、背中で刃が増える。
頭を隠して、尻を隠さず。爪の甘さが露骨に出る。
悪魔は隠しているつもりでいるが、ユーサは全て見抜いていた。
その瞬間、ユーサの胸の奥に、またジャンヌの声が落ちる。
ーー「世の中には、救えないものがある。
言語を話せるのに会話にならない、救いようのない者もいる。
優しい君には酷かもしれないが、
「救わない」と決めなきゃいけない瞬間もある」
ユーサの目の温度が落ちた。
悪魔の表情が歪む。泣き真似のまま、苛立ちが漏れ出す。
「……はぁ?」
震えていた声が急に刺々しくなる。
「おいおいおい、何だよ。こんだけ謝ってんだろ!?
何で許さねえんだよ!!」
畳を叩く。みっともなく震える指先。
怒りというより、思い通りにならない子供の駄々だ。
だが背中では、隠しながら羽刃が増えていく。
「兄弟がどうとか、絆がどうとか……さっきからウゼえんだよ!!」
笑って見せる。だが笑いが割れている。
「絆なんて、あるわけねえだろ?
別の生物だろ? 別の心だろ? 別の欲だろ?
同じ血、名前がありゃ、家族? ……意味わかんねえ」
逆ギレの矛先をユーサへ向ける。
「なぁ、あんた。兄弟がいるのかよ?
いるなら分かるだろ? 結局、最後は自分だけだろ?
助ける? 守る? 笑わせんな」
兄弟という言葉に、ユーサの眉が一瞬だけ動く。
悪魔は、ゆっくり肩を開く。
背中の羽刃が完成する。
次の瞬間――
「そんな綺麗事で、生きてられねえよ!! 自分が一番の……偽善者がぁ!!! 死ね!!!!」
黒い羽の刃が一斉に跳んだ。狙いはユーサの喉。
細く速い、殺しの軌道。
だが、ユーサは動かなかった。
右手の指だけが軽く伸び、魔力と秘力を帯びた指先が、羽刃の先端を摘まむ。
止まった。
刃が空中で止まった。
悪魔の顔が歪む。
「……は? AGUYAAAAAーー!!!!!??」
次の瞬間、ユーサは羽刃を引き千切った。
刃が指の力だけで裂ける。黒い破片が畳に散る。
ユーサは、その破片を迷いなく悪魔の口元へ振った。
裂ける音。
舌が言葉を作る前に、口そのものが裂けた。
黒い血が落ちる。
悪魔は裂けた口で、必死に言葉を作ろうとした。
高位の悪魔ほど、人間みたいに喋る。
言葉の形を知って、謝罪も、同情も――都合よく使い分ける。
その舌で人を惑わしてきた。
だからこそ、この悪魔は今も「口」を取り戻そうとする。
悪魔は呻く。言葉が出ない。
出ないのに、喉の奥で必死に何かを作ろうとする。
裂けた口が、じわじわ縫い戻されていく。言葉を取り戻すためだけに。
「……チャ……ンス……を……」
それが、最後の札だった。
その札の薄さが、悪魔自身の絶望を呼んだ。
ユーサは足元の破片を見下ろし、足を上げた。
悪魔がオトキミにやったのと同じ動作で、悪魔の羽刃を踏み潰す。
ぐしゃ、と嫌な音。
黒い破片が粉になり、朝日に晒されて、ただの汚れみたいに散る。
悪魔の瞳から色が抜けた。
ユーサは、ゆっくり拳を上げた。
黒曜石のメリケンサックが鈍く光る。
怒鳴らない。笑わない。
ただ、空気が沈む。
「僕の大事な人たちに手を出したんだ……」
悪魔は理解した。終わる、と。
ユーサの瞳が、憤怒に触れた。
燃え上がる炎ではない。
深いところで静かに沸騰する熱。
触れてはならない逆鱗に、悪魔は触れた。
「安らかに……楽に……」
悪魔の顔が歪む。それが自分に向けられた言葉だと本能が分かってしまったから。
ユーサは、判決を下すかのように言う。
「死ねると思うなよ」
二撃目。
拳が悪魔を吹き飛ばした。
床が割れ、壁が揺れ、朝日が破片を照らす。
悪魔の身体が崩れ、黒が裂け、灰が舞った。
だが、完全には、終わらない。
灰は散りながらも、痛みが続いている。
黒い粘りが、まだ消え切らない。
悪魔が意識を残したまま、散った灰が朝日に透けていく。
畳の上で、ゆっくりと、安楽死とは程遠い感覚に襲われながら、悪魔が沈む。
ユーサはその場を動かない。隙を見せない。
倒れた敵を【死の灰】になるまで『見届ける目』のまま、呼吸だけを整えた。




