89[2-23].ユーサ 復活【リ・バース】“暴れろ!!!!!”①
――熱い。……目を開ける前から、汗が頬を伝っているのが分かった。
ユーサは浅い呼吸のまま、熱い闇の中を彷徨う。
【ブラック・アウト】の黒が、体にまとわりついている。
皮膚の外側だけではなく、内側まで焼けるような感覚があった。
とくに右手。右手の奥で、魔力が黒を飲み込むみたいにうねり、脈を打っていた。
ーー「何をしているユーサ。早く目を覚ませ。こんな最高な目覚めはないぞ」
神社の奥。秘密部屋。外の音は薄い。
けれど、遠くで何かが壊れる気配だけは途切れずに続いていた。
ユーサの右手が、勝手に震えはじめる。
握っていないのに拳を作ろうとして、指の奥で黒い熱が跳ねる。
ーー「……目覚めないなら、先にやらせてもらう」
殴るつもりなんてない。
それなのに、右腕が「壊せ」と命令されているように上がりかける。
魔力の上昇。
エデンで、あれだけ落ち着かせたはずだった。
秘力と魔力をコントロールしながら、神秘術と魔法の修行もできていた。
だが、下界の空気に触れた瞬間、均衡が崩れた。
ユーサの秘力が追いつく前に、魔力だけが先に逃げて暴れていく。
ーー「さぁ……暴れろ!!!!!」
ユーサは歯を噛んだ。
右手の内側から、何かが「出ろ」と押してくる。
耐えられなければ、主導権を奪われる。
そんな感覚が、骨の内側を冷やした。
魔法【復活】。
ユーサの中にいる悪魔が、自分を生き返らせる魔法。
悪魔の再生能力とは別の、肉体だけではなく魂を復活させる魔法。
魔法は本来、悪魔の呪文。
今回の主導権を握っているのは、体内の悪魔の方だった。
蘇る代わりに眠っていた悪魔の魔力まで目を覚まし、身体の奥で暴れはじめている。
暴走しかけた右手が、空へ向かって動いた。
ーー待ってくれ。起きるから……一人で勝手に行くな!!!
そのとき、胸元に、誰かの温もりが伝わった。
鼓動が、波打つみたいに揺れる。
背中に手が触れた。冷たいのに、やわらかい。
血の匂いの中に、懐かしい匂いが混ざる。
「……あなた」
声が、すぐ近くから届いた。
ディアだった。
吸血鬼特有の肌の冷たさ。
けれど今は、その冷たさと匂いが、ユーサの呼吸の支えになった。
ディアは言葉を多く使わず、ただ、無意識に。
愛する夫が苦しむのを支えるように、包み込むように。
耳元で、短く祈るみたいに囁いた。
「あなた……【私はここにいるよ(ラヴ・イズ、ヒア)】」
攻撃でも治癒でもない。
神秘術の力を、ディアは無自覚に唱えた。
創造神アーク・A・ディアの生まれ変わりのみが使える神秘術のひとつ。
ディアは再びユーサのために使った。
右手の震えはすぐには止まらない。
だが、暴走の波の頂点が少しだけ低くなる。
拳を作ろうとする衝動が、魔力が自分を奪えない範囲まで降りてきた。
ユーサは息を吐いた。
そして、目を開けた。
吐いた瞬間、喉の奥が震えた。怖さが遅れてくる。
――ディアが、いなかったら。
ーーあのまま右手が暴れていたら。
ーー悪魔に身体を奪われていたかもしれない。
ーー自分を守ってくれていた家族や仲間を、自分が壊したかもしれない。
エデンで準備してきたはずの“バランス”が、下界では通用しない。
その現実が胸を刺した。
ユーサは右手を見下ろした。汗が指の間に溜まっている。【ラーマの指輪】が冷たく光る。
次は気をつける。
そう決めて、胸の奥で言い聞かせた。
そこでようやく、ユーサはディアの顔を見た。
ディアの目元は赤い。泣いた痕だ。
だが、泣き顔のままではいない。いつものように、すぐ拭って、いつもの顔を作っていた。
ユーサの胸の奥が熱くなる。
エデンで聞いた声が、今ここで蘇った。
――「君の帰りを待ち続けた人。
その人達に、感謝を伝えると良い。
一人で持ち続けてくれた者の意志は、軽んじてはいけないよ」
ユーサは、言葉を選ばなかった。
「ディア。……待たせて、ごめん」
それだけで、ディアのまつ毛が僅かに揺れた。
泣きそうになるのを、怒るみたいに堪える顔だった。
――「今までお前が愛を大事にしていれば……!!」
前世の妻の兄が言った言葉が、戒めみたいに胸を刺す。
でも今は、ユーサである自分は、目の前の人を大事にしている。
言葉を選ぶと遅れる。
間に合わなくなる前に伝えなければならない。
ユーサは続ける。
「守ってくれて……ありがとう。ディアがいてくれたから、僕は戻れた。助かったよ」
嬉しさのあまり、ディアは一瞬、何か言いかけた。だが言葉を飲み込み、代わりに息を吐いて、視線を外へ向ける。
「あなた。今――」
ディアの声が強くなる。感情を抑えるためではない。
状況が切迫しているからだ。
「今、オトキミ君たちが。ジルさんが……」
言い切る前に、外から苦しむ音が届いた。
「ぐ……ぁ……」
喉を潰したような声。痛みで息が折れる音。
誰かが必死に呼んでいる気配。
ユーサの背中が、瞬時に戦う形になる。
右手の魔力が、また起きかける。
けれど今度は、ディアの温もりが残っていた。
左手の秘力と対話をするように、ユーサは息を整え、立ち上がった。
秘密部屋の出口へ向かう。
外へ出る直前、ユーサは振り返らずに言った。
「……ディア。怪我人のこと、頼める? 任せるよ」
ディアは短く頷いた。
ユーサが扉を押すと、黒い領域の冷気が一気に流れ込んだ。
朝のはずなのに、夜より冷たい戦場の匂い。
そして――オトキミの声が、今度ははっきり聞こえた。
ユーサは一歩、戦いの闇へ踏み出した。




