第1話 「久しぶりね」
Side.復興大臣時代
「レックス!」
女将の声にぼーっとしていた青年――レックスはハッとする。
「シーツが洗濯できたから、部屋に敷いているのと交換してきてちょうだい」
「分かりました」
レックスは女将から大量のシーツを受け取り、軋む階段を軽い足取りで登っていく。踏むたびに音が鳴る木目の床を踏みしめ、一番端の部屋の扉を叩いて入室する。
宿泊客が使用したあとの乱れたベッドからシーツを剥がし、新しいシーツと交換する。布団と枕も整え、あっという間に宿泊当初と同じベッドの姿になった。
ついでに気になる汚れも軽く掃除して、次の部屋へと向かう。
「……みんな元気かなぁ」
最後の部屋のシーツを交換したところで、レックスは大きく伸びをした。
外からは太陽の燦々とした光とカモメの鳴く声が耳に届く。階下からは宿泊客の賑やかな笑い声も聞こえてくる。
穏やかな昼下がり、レックスの眠気は最高潮だった。
少しくらい昼寝をしてもいいかもしれないが、女将に怒られてしまう。伝手とはいえ雇われの身で、雇ってくれた女将には感謝しかないのだから。
いや、それでも。世界を救ったのだから、少しくらいゆっくりしたっていいじゃないか。
(……そうだ。田舎暮らしとかいいんじゃないか?)
交換したシーツを運びながらレックスは思い立つ。
(山に囲まれた村で畑を耕して、獲れた野菜で自給自足……とかいいな)
レックスは頭の中で畑を耕す自分を想像してみる。
農業とは無縁の生活だったが、これから勉強してやってみるにはちょうどいいかもしれない。
(隠居ならポーラに聞いてみようかな。あ、ヒスイさんも参考になりそうだな)
呑気に考えながらシーツを抱えて階段を降りる。最初は急な階段に戸惑ったものの、今は物を持っても簡単に登り降りができる。
洗濯用の桶に放り込み、次は掃除だと箒を手に取る。
コンコン。
すると、入り口の扉を叩く音がする。普段の宿泊客なら扉を叩くことなく豪快に扉を開けて入ってくるから、随分と丁寧な宿泊客なのだろう。
「レックス、悪いけど出ておくれ!」
「はい」
料理をしている女将の声に了承し、レックスは扉を開けに行く。
もしかしたら大荷物を持っている可能性がある。客の荷物運びも慣れたものだ。
「お待たせしました――」
レックスは女将から教わった、にこやかな笑顔と共に扉を開ける。
そこに立っていたのは、
「久しぶりね」
「マリカ……?」
レックスと共に旅をした少女――マリカがいた。
マリカは花が咲いたような笑顔をレックスに向ける。
「元気にしていた?」
「あ、あぁ」
マリカの両脇には、鎧を纏った兵士が精悍な顔つきで立っていた。厳かな雰囲気に思わずレックスの背筋が伸びる。
「ちゃんと働いてるみたいね。まぁ、私の紹介だからちゃんと働いてもらわないと困るのだけど」
どこか誇らしげな表情でマリカは笑う。
レックスは先ほどから思わぬ人物の登場に言葉が出てこなかった。先ほどまであった眠気も一瞬でどこかへ飛んでしまっていた。
それを見抜いていたようで、マリカは一歩レックスに近づく。
「分かるわ、急に来たからびっくりしたのよね」
「そうだよ。来るなら言ってくれたって良かったのに」
「言ったら面白くないじゃない。レックスの驚く顔が見たくて、こうしてやって来たんだから」
マリカが微笑むと、右にいた兵士が小さく咳払いをする。マリカは「分かってるわよ」と小さく怒り、レックスに向き直る。
「今日はレックスに用事があって来たの」
「俺に? 女将さんじゃなくて?」
「女将さんに挨拶もしたいけど、今日はレックスに。大事な話があるの」
マリカの表情がいくらか引き締まる。わざわざ兵士も連れてくるくらいだから、余程大事な話なのだろう。
「レックス、さっさと案内しないか――」
案内をせずに入り口で盛り上がるレックスを諌めに来たのか、料理を終えた女将がやって来た。
レックスと話しているのは誰かと視線を向けると、女将は目を見開く。
「王女殿下!」
「もう、前来たときも言いましたけど、今までと同じようにマリカって呼んでください。敬語も禁止です」
マリカが頬を膨らませると、「そうかい」と女将は降参したように頭をかく。
「今日はどうしたんだい? なにかあったのかい?」
「はい。レックスを少しお借りしたくて」
「レックスで良ければ、いくらでも連れていきな」
女将はレックスの背中を強く叩く。思ったより力が強く、レックスは少し咽せる。
「マリカにはまた働いて欲しいけど、今は王女様だからねぇ。王女様にこんなボロい宿屋で働いてなんて言えないよ」
「働くのは難しいですが、こうして遊びに来ることはできますよ」
「お忍びでおいで。いつでも料理を用意して待ってるよ」
「ありがとうございます」
会話を終えたマリカは、レックスの方に向き直る。
「じゃあ行きましょうか」
マリカに連れられ、レックスは宿屋をあとにした。
王都スフェーン。
古来より貿易で栄え、随一の貿易都市として名を馳せている。
大きな港に面し、積まれた荷物が大通りを通って流れていく。大通りの両脇には商人が軒を連ね、賑わいは夜まで途切れることはない。
華やかな王都だが、一方で格差社会も問題になっている。城下町の外れや裏路地では孤児や労働不能な老人、犯罪者が住むスラム街が広がっている。スフェーンの住民はもちろん、衛兵も訪れない場所のため、無法地帯と化している。
また、外から来た者全てに門戸が開かれているわけではない。スフェーンの人間が人間至上主義を掲げているために、魔族などは都市に入ることさえ許されなかった。
「どう、仕事はもう慣れた?」
大通りを通り過ぎながら、マリカはレックスに尋ねる。
マリカという王女、それにレックスとマリカを囲うように歩く兵士。そんな面々が大通りを歩いていれば、視線を集めるのは簡単なことだった。
店を開く者、商品を買う者、素性を知らぬ異国の商人までも、通り過ぎるレックスたちをまじまじと見つめていた。
レックスは多少の居心地の悪さを感じながら、マリカの問いに相槌を打つ。
「なんとかな。荷運びとか掃除とかが主な仕事だよ。女将さんみたいに料理はできないけどな」
「女将さんの料理は絶品だもの。レックスじゃ敵わないわ」
くすくすと笑うマリカ。
レックスはほんの少しムッとしたが、事実には変わりなかった。
女将の料理は誰もが舌鼓を打つ、宿屋とは思えない逸品が振る舞われる。レックスもマリカも、賄いで何度料理をおかわりしたか分からない。
「ともかく、俺が働けてるのも紹介してくれたマリカのおかげだよ」
「どういたしまして。給料はほとんどスラムの人にっていうのがレックスらしいけどね」
「俺が育った場所だからな。少しでもあの環境を変えていきたい」
レックスは今の場所からは見えない、裏路地のある方向を見る。目を細めて、今どうなっているかを思案する。
レックスがスラムに住んでいた頃は、掃除や荷運びといった肉体労働で日銭を稼いでいた。物乞いや、ときには人に言えない仕事もした。稼いだ金や食料は同じスラムに住む人々に分け与え、なにも食べない日もあった。
それでもいつかは全員スラムから抜け出して、普通の生活が送れると信じていた。
(みんなは今、どうしてるのかな)
今こうして自分は宿屋で働いているが、現状スラムの面々がどうやって過ごしているかは分からない。もし様子を見に行ったら、今さら戻って来たのかと軽蔑の目を向けられるかもしれない。
だから、せめて稼いだ給料を渡して、生活の足しにして欲しいと思っていた。
「――レックス?」
レックスが我に返ると、マリカがレックスの顔を覗き込んでいた。
「え、あ、ごめん。どうした?」
「真剣な表情しちゃってどうしたの。体調悪い?」
「そ、そんなことないよ。考えごとしてただけだよ」
「そっか。そろそろ着くから心の準備をしておいて」
悪戯っぽく笑いながらマリカは前を見る。レックスもつられて視線を向けると、目の前には立派な王宮があった。




