第119話「魔王なる君へ」
『魔を持たない魔族よ。此方へ。此方へ。此方へ。』
誰かに呼ばれ、ゼベルトは眼を開いた。
(…俺は、何をしていたんだっけ。)
魔王城の自室、ベッドに腰を掛け、ゼベルトは意識を取り戻した。
(ああ、そうだ。フィリアルの、葬式が終わって…。)
フィリアルが死んでから、この瞬間までゼベルトは夢遊するように過ごしていた。意識的に記憶を遡ると、魔王軍全体で葬儀を行ったという事実を思い出すことができた。
『魔を持たない魔族よ。此方へ。此方へ。此方へ。』
ゼベルトを呼ぶ声は響き続ける。今の今まで、ゼベルトは眼に移す全て、耳で聴く全て、触れる全てに対してなんの感傷も得ていなかった。他の仲間たちが今何を思い、何をしているかも把握していない。
『魔を持たない魔族よ。此方へ。此方へ。此方へ。』
ゼベルトを呼ぶ声は響き続ける。
(魔族…。ああ、フィリアルは勇者と刺し違えたことになったんだっけな。『魔王様なくとも魔族は進み続ける』なんて言ってたな、プラグマは…。)
『魔を持たない魔族よ。此方へ。此方へ。此方へ。』
「ははっ。」
乾いた笑い。それはプラグマに向けられたものでもあり、ゼベルト自身に向けられたものでもあった。魔王。フィリアルに最も強い感情を向けていたのは、ゼベルトとプラグマだった。それを隠し、葬儀ではまるで平然とした態度を取っていた。
『魔を持たない魔族よ。此方へ。此方へ。此方へ。』
ゼベルトを呼ぶ声は響き続ける。
(今思うと滑稽だな。俺たちは、フィリアルのために、全てを…。)
「ははっ。」
また乾いた笑いがこぼれた。そしてゼベルトはついにベッドから腰を上げる。そして扉を開けて自室を出る。自身を呼ぶ声のする方へ、歩みを進める。
『魔を持たない魔族よ。此方へ。此方へ。此方へ。』
ゼベルトを呼ぶ声は魔王座の間から響いていた。ゼベルトが入室する。置かれているのは座る者を失った魔王座。それにゼベルトが手を置く。
『ガガガガガ…。』
石の擦れる音が響いて、魔王座が横に一つ分ずれた。そして階段が顕になる。
『魔を持たない魔族よ。此方へ。此方へ。此方へ。』
ゼベルトを呼ぶ声は階段の下から響いていた。迷いなく、ゼベルトは一段ずつその階段を降りていく。
『魔を持たない魔族よ。此方へ。此方へ。此方へ。』
階段は長くなかった。数十段。100段には遠く及ばない段数。そしてその階段の先にあった扉を開く。白大理石の壁に囲まれた部屋。縁のない大きな鏡がひとつだけ壁にかけられていた。
「初めまして。魔を持たない魔族。ゼベルト。」
鏡に人族の顔が映し出された。女性にも、男性にも、幼児にも、老人にも見えるその不思議な顔。髪色も目の色も、一般的な栗色だった。
「アンタが、賢者なのか?」
「その通り。ワタシの名前はK。正真正銘の賢者だよ。」
「ケー?」
「ああ、賢者のKさ。」
Kの言っていることがゼベルトにはわからなかった。ただ名前などどうでもいい。この大陸で最も賢い者。賢者に聞きたいことが、ゼベルトにはあった。
「なんで、フィリアルは死んだんだ?」
「偶然と必然の重複。としか言いようがないよ。魔王と勇者が同時に死ぬなんて、過去何年遡ってもないのだから。」
「ああ、でもこの答えはキミの望むものではないね。キミは後悔している。循環に逆らい、新たなる勇者を封印することで、魔王を生き永らえさせようとしたことを。自身が循環に逆らわなければ、魔王は死なずに済んだ。だから自分のせいで、君のせいで魔王が死んだ。こんな答えを求めているのじゃないかい?」
不思議な顔で不思議な笑みを見せながら、賢者はゼベルトの心理をついた。
「ああ、俺は憎む何かが欲しい。そして考えれば考えるほど、それは俺だった。」
歪む顔を見せながら、ゼベルトは胸中の憎しみを吐露する。
「俺があの時盗み聞きなんてしなければ、俺がプラグマに相談してあんな計画なんてしなければ、俺があの時フィリアルと一緒にいれば…。俺が、オレがッ!!!」
叫んで、ゼベルトは紺色の髪をかきむしる。
「まあ、君の言う通り、君という魔素を持たない、この大陸のバグ、いや不具合が存在しなければ魔王は循環通りにあと十年は生きて命を落としただろうね。」
「…はは。そうだよな。」
ゼベルトは笑みを見せた。憎むべきものを見つけた喜びだった。
「改めて君に大陸の真実を教えよう。そして、ワタシはキミに魔王になってもらいたい!!」
ゼベルトの表情と感情を無視して、賢者は高らかに言い放った。鏡に映る賢者の顔には、理性的な冷静と激情的な興奮が混ざっていた。
「は?」
当然、ゼベルトは言葉を聞けても言葉を理解することはできなかった。
「この大陸は、人族と魔族が争い合うことで調律されている。勇者、聖女、魔王。それぞれが役割を担い、お互いに勝利と敗北を繰り返す。死亡すると数十年後に、勇者、聖女、魔王になる器を持った者が現れ、その三者は賢者によって導かれる。この真実はその三者と一国の王、そしてそれに準ずる身分の者しか知り得ない。」
賢者の話す真実はゼベルトとプラグマの暴いた真実と同じものだった。
「そんなこと知ってるって言いたげな顔だね。まあ、最後まで聞いてよ。勇聖神話は知っているかい?」
「ああ、魔族が多種族を追いやって神の都を占拠した。人族が勇者と聖女、賢者の力でそれを取り戻したってヤツだろ? それがどうした?」
吐き捨てるように答えるゼベルト。もう何もかもどうでも良かった。
「魔族は神の都を占拠などしていないのだよ。キリア神が世を去った後、神の都を我が者にしようと、全人種が他人種と戦争を始めた。無論、技人族…あー、昔、人族は技人族と呼ばれていてね。その他種族も『人間』という大きな種の一つだったのさ。キリア神が世を去るまでは同種として差別も迫害も戦争も何も無かった。」
「なんだよ…それ。じゃあ俺たち魔族はなんで迫害されてんだよ!? 他の種族はどこに行ったんだよ!?」
怒りと驚愕に任せ、ゼベルトは浮かんだ疑問をそのままぶつけた。
「神の都を奪い合う戦争。まあ、神都戦争とでも言おうか。神都戦争の被害は大陸が滅ぶほどだった。事実、技人族、魔人族、獣人族以外の種族はその数を大いに減らし、絶滅寸前まで行ったのだよ。」
片目を伏せて、ゼベルトの質問には答えず、賢者は話を続ける。
「このままでは戦争どころの騒ぎではない。目的の神都さえも戦火によりほぼ壊滅状態だった。それを憂いた各種族の長たちは会議を、いや、裁判を開いた。神都戦争の戦犯を決めるためのね。その結果…。」
「魔族が戦犯になった。」
ゼベルトが賢者の言葉を先取りした。
「ああ、その通りだよ。実際、魔術を駆使する魔族による戦争の被害は大きなものだった。そして大陸が今後滅ぶことのないよう、長たちは一つの『循環』を定めた。それがさっき話した『循環』さ。魔族を敵役として、人族がそれを屠る。その他種族は大陸内の秘境で慎ましく暮らす。神の都には大樹の種が植えられ、それが世界樹大陸となった。」
両の目を大きく開き、賢者は深呼吸をした。
「これが、この世界樹大陸の真実さ。」
「…じゃあ、俺たちの苦労は、フィリアルの一生はなんだったんだ? 定められた魔王だとか勇者だとか、そんなクソみたいな役割を、やっぱり俺たちはただ全うしてただけだって言うのかよ…。」
「ああ、残酷だけれど、それが真実なのだよ。それに、彼女も魔王としてそれを受け入れていたよ。」
「クソがッ!!!!!」
ゼベルトは罵声をあげ、大理石の壁を殴りつけることしかできなかった。
「この真実を知り得る者はワタシと契約神術を結ぶことになっている。真実を漏らそうとすると死ぬ契約神術をね。まあ、その抜け穴をキミたちは見つけたわけだけど。そもそも真実を知ろうとする者なんていなかったからね。そんな抜け穴があるなんてワタシも知らなかったのだよ。ああごめん話が逸れたね。」
錯乱するゼベルトを無視して、賢者の言葉は止まることなく連続していく。
「真実は真実を知る者同士なら会話可能だから、勇者、聖女、魔王は定期的にワタシと循環の進行が上手くいっているか話をするのだよ。それを君に盗み聞きされてしまったわけだけど。まさに君はこの大陸の不具合だね。」
ゼベルトはただ賢者の言葉を聞いていた。
「あ、あと魔王をナイフで刺した黒装束の彼。あれは『調律師』と言ってね。ワタシの手間使いだと思ってくれていい。循環が乱れそうになった時、その命を犠牲に『神術』を行使して循環を『調律』するのが彼らの役割さ。ピアノもずっと弾いていると少しずつ音程がずれていくだろう? それを治す役割だね。ここまでがこの大陸の真実。そして君には魔王になってもらいたい。何か質問はあるかい?」
話がやっと途切れた。
「別に真実はどうだっていい。なんでオレが魔王にならなきゃならないんだ? 賢さで言ったら、プラグマの方が適任だろ。」
「ああ、それは簡単だよ。ワタシの、好奇心さ。」
今まで一番の笑みを賢者は見せた。
「は?」
「魔素を持たない者が魔王になる。面白くないかい?」
『わからないか?』と言いたげに首を傾げる賢者。
「面白いか、面白くないかの話かじゃないだろ。アンタは調律師を使って俺を殺そうとしたんだろ? なんで、俺を魔王にしたがる。」
「生きる上で、面白さは大事さ。特にワタシみたいな生き物にとってはね。」
意味のわからない返答をする賢者。
「『調律師』で排除できたのなら、その程度の存在だと思っていたさ。どうやら君という存在は本当に循環を壊すみたいなのだよ。事実、十年後死ぬはずの魔王が君を守って死んだ。」
賢者の口角がだんだんと上がっていく。
「魔素により循環の定められたこの大陸!! それを破る君という魔素を持たない存在!! ワタシの人生に起こった新展開!! 君は何百、何千年と同じ小説を読み続けることができるかい!? ワタシには不可能!! ただそれだけなのだよ!!」
両腕を広げ、顔を興奮で満たし、賢者はゼベルトに自信の好奇心について熱弁した。
「君は君の好きなように魔族たちを率いてくれていい。死ぬまで魔王でいろというわけでもない。次の魔王となる器を持つ者。新たなる魔王が現れるまででいい。どうだい? 魔王になってくれないかい?」
狂気に似た好奇心。賢者から放たれるそれを鏡越しにゼベルトは感じていた。
「フィリアルは世界の全てが友になり世界平和が訪れることを望んでいた。亡き彼女の意志を継ごうとは思わないかい? ワタシはそれを手伝おう。」
捲し立てる賢者にゼベルトはただ押されるだけだった。
「いや、キミはフィリアルの死に責任を感じているのか いや、憎しみかな? その激情を魔王という立場で人族たちに発散したって構わない。なあ、魔王にならないかい?」
どちらの提案もゼベルトの心を揺らした。
「ワタシと契約神術を結ぶだけで、キミは魔王になれる。既に魔王軍において、半魔半獣も、秀才貴族も、他の有象無象も、全員を退けて君が一番強いのだよ。誰も反対などしないさ!!」
ゼベルトは大きなため息を吐いた。もうどうでもよかった。魔王がどうだとか、真実がどうだとか、世界がどうだとか。フィリアルはもう死んだ。ただしかし、フィリアルの望んだ理想を実現できるのなら、それを見たいと、ゼベルトは思った、思ってしまった。彼女が死んだのは自分のせいなのにもかかわらず。
「わかった。魔王になってやる。」
「そうかい!! なら、この鏡に映るワタシの手に手を重ねてくれ!!」
言われるがまま、ゼベルトは鏡に映る賢者の手に手のひらを重ねた。
「”CONTRACT”」
賢者が神術を唱えた。
「今、この瞬間から君は魔王になった。」
満面の笑みとなる賢者。
「キミに魔族の全て、いやこの世界の全てが委ねられた。そう『魔王なる君へ』とね。」
この時、世界を委ねられたゼベルトは無表情だった。




