第109話「失格」
ユーリとセリアが湯場に向かう途中に、その声は響いた。
『昏天黒界。』
星と月が輝いていたはずの夜空が暗黒に包まれた。何かがおかしい。それだけを二人は察知していた。
「ユーリ、今の聞こえた?」
「うん、聞こえた。今のは、一体…。」
困惑する二人、様相を変えた夜空をただ眺める。
『人の子ら、滅却する魔の炎天。』
七星二番『炎天』のクロエ・クローズ。彼女が放った赤色魔法を彷彿させる炎が暗黒に包まれた夜空に解き放たれた。彼女の放った炎よりも火力は落ちれども、夜空に放たれた禍々しい炎は、勇聖学園の学舎を、宿舎を、食堂を、農場を、全てを燃やし始めた。
「ど、どうしようユーリ!?」
「お、落ち着いてセリア。大丈夫、勇者様と先生たちが助けてくれるは」
『グルギャアアアッ!!!』
『ガァアアアアアッ!!!』
『ジュルルルルル…』
魔獣たちの咆哮が、舌なめずりが響いた。
「きゃあああああ!!!」
「うわあああああ!!!」
「逃げろっ、逃げろおおお!!!」
そして人族の絶叫が続く。聞き慣れた同じ学徒たちの声、そして先生の声が耳をつんざく。
「に、逃げないと!! ユーリ、私死にたくないよっ!!!」
「だ、大丈夫だよ、セリア。僕がいるからね。も、森の方へ、川に逃げよう!!」
ユーリはセリアの手を引いて走り出す。無我夢中で走る視界の隅では、魔獣に食われる人族たちの姿が映る。狼、熊、獅子、大蛇、大蜘蛛。ありとあらゆる魔獣が人族らを食い散らかす。魔獣から逃れようと必死に走る。燃え落ちる建物が轟音を奏でる。
(止まるな、止まるな、止まっちゃダメだ!!!)
ユーリはセリアの手を強く握り、方角だけを森の川へと定めて、ただ足を前へ前へと出す。火が身体を炙る。血の匂いが鼻腔を突き刺す。魔獣の方向が鼓膜を破らんと響く。禍々しい炎に照らされる暗黒の中、人族の少年と少女は命の限り走った。
「クソっ!!! なんで、なんで進めないんだよ!!!」
森の中をセリアを連れて走っていたユーリだったが、二人の行く先は黒色の壁に阻まれた。
「はぁ、はぁ、はぁ…。」
『ドサッ。』
セリアが地面に倒れ伏した。
「セリア?」
「あ、あはは。途中で、魔獣の爪が、当たって…。」
セリアの脇腹が裂け、血が流れ出ていた。無理矢理に笑う彼女の口角からも血が垂れる。
「だ、大丈夫。ぼ、僕が回復魔術をかけるから、だ、だから大丈夫!!」
震える声と手でユーリは魔素を練り、魔詞を唱える。
「か、回復の魔術。」
小さな光がユーリの手に生まれる。それをユーリはセリアの脇腹に当てる。流血が治まっていく。しかしそれは気休めにすぎない。流れ出た血は戻らない。セリアの表情は青白いまま。そして禍々しい炎は森まで回ってきていた。さらに、魔獣の脚音が二人に迫っていた。
「グァアア…。」
現れたのは、狼型の魔獣。黒毛に包まれた巨大な体躯でユーリとセリアを見下ろす。
「セリア、逃げて…。」
「嫌、ユーリを残していけない。」
「逃げて!!」
「嫌!!」
「逃げろって!! このままだと二人とも死んじゃうよ!!!」
「嫌っ!!! 私、ユーリが好きだもの。ユーリのことが大好きなの!!!」
ユーリは振り返った。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしているセリアを視界に映す。魔獣から眼を離したユーリ。その隙を魔獣という食欲に駆られた獣が見逃すはずなかった。
「ユーリっ!!!!!」
セリアが振り返ったユーリを突き飛ばす。魔獣の腕爪が空を裂く。血飛沫が上がる。セリアの身体が吹き飛んだ。
「セリア…?」
吹き飛ばされ眼の光を失ったモノ。臓物と血肉をただ垂れ流すモノ。骸となったセリアにユーリは歩み寄る。
「そんな、嘘だ、セリア、セリアっ!!!」
少女の名を叫ぶ少年。しかし返事は返ってこない。
「グルァアア…。」
「なんだよ、殺せよ。速く僕も殺せよッ!!!」
怒りに任せて、ユーリは狼魔獣に吠えた。
「…。」
「は?」
しかし、狼魔獣はユーリを襲わなかった。まるで何かに操られるようにして、その身を反転させ、森の中へと去っていった。
「な、なんなんだよ、それは…。」
セリアだったモノが流す赤色に、金髪と碧眼を染めながら、ただユーリは地に伏す。
「お前が、勇者か?」
地に伏すユーリに誰かが声をかけた。紺色の瞳、紺色の髪。その間から生える小さな魔石角。魔族の騎士。ゼベルトだった。
「だったら、なんだよ…。」
自暴自棄になったユーリは左手の甲をゼベルトに見せつける。
「大事な女の子1人、僕は守れやしないんだ。僕はバカだ、ゴミだ、クズだ。僕は勇者になる資格なんてないんだ。殺してよ、なあ、僕を殺してよッ!!!」
絶望がユーリを蝕み侵していた。
「殺しては、やれない。」
ゼベルトが魔銃を構える。ユーリの姿と幼いあの日の自分の姿が重なる。
(ああ、俺は人族にされたことをコイツにするんだ。『俺』を『俺』が作るんだ。)
それでも、分かっていても、ゼベルトは引き金に指をかける。
(フィリアルのためなんだ。憎しみでお前を撃つわけじゃない。愛のためにお前を撃つんだ。許してくれなんて言わない。ただ、フィリアルを殺さないでくれ。)
『タァンッ!!!!!』
銃声が響いた。ユーリの左手甲。七星のアザに『封魔の呪弾』が命中した。
「あ…。」
ユーリの全身から魔素が霧散する、ユーリの全身から力が抜けていく。血に濡れた金髪は輝きを失い、褪せた灰色と化した。血に染まった碧眼は光を失い、濁った黒色と化した。そしてユーリは絶望に染まって、気を失った。




