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第104話「隠し事」

 武闘国家オーディロダム。王城の外れにある砂浜で、男が一人海を眺めていた。腰に黒色の剣を携え、波に裸足を浸らせている。彼の頭には紺髪の間から一本の小さい魔石角が生えている。彼は魔族、魔素を持たない魔族。細めた眼で、行っては帰る波を眺めていた。

「海を見るのは、初めてですか? ゼベルト様」

海を眺める男に魔族の少女が一人、声をかけた。白髪を伸ばし、頭の後ろで二つにまとめるその姿、そして彼女を包む高級感のある貴族服が彼女を貴族であることを表していた・


「ああ、初めて見る。夕時になると、真っ赤になるんだな…。」

男が答えた。まるでその赤い海に違う赤い液体を重ねているようだった。

「アニアと出会ってから、一年くらい経ったかな。」

「そうですね、あっという間でした。」

少女も靴を脱いで男の隣に立ち、波に裸足をさらす。

「ゼベルト様が魔王軍の騎士になられて、為したいことは為せていますか?」

「…為したかったことは分からない。でも俺は為した方がいいと思ったことをしてるつもりだよ。」

「そうですか、なら私は満足です。」

少女の名はアニア・メルクル。魔族領辺境の貴族令嬢だった。白髪と白い肌、赤い眼、髪飾りに似た魔石角。その容姿は童顔で可憐。人形のように可愛らしい。美少女と呼ぶにふさわしい容姿だった。

「満足、か…。」

「地位や名誉などは関係ありません。今のように、ゼベルト様の隣に居られるだけで満足なアニアです。」

アニアは顔を赤らめてゼベルトの手を握った。

「そうか。」

ゼベルトも優しくアニアの手を握り返した。


「ゼベルト様。隠し事、そろそろ教えていただけませんか?」

手を握ったまま、か細い声でアニアは言った。

「それは…。」

握られていない手の方で、ゼベルトは自身の口を撫でた。

「隠し事をされている時から、ゼベルト様お辛そうです…。私は心配です。」

「大丈夫だよ。」

無理矢理に笑顔を見せるゼベルト。

「いいえ、ゼベルト様。大丈夫ではありません。隠し事をされている時から、ゼベルト様の体重はわずかに減少していますし、肌の荒れも増えています。血液さえも以前より少し薄くなっています。私は、ゼベルト様が心配でなりません。」

対照的に曇った顔をするアニア。

「アニア、色々と言いたいことはあるけど…。ありがとう、俺を心配してくれて。」

今度は無理なくゼベルトは笑顔を見せた。それに釣られ、アニアも笑った。波の音が響く浜にて二人はお互いの笑顔を見つめ合う。


「10年後、フィリアルは死ぬ。」


・――・――・――・――・――・――・――・――・――・――・――・――・


「10年後、フィリアルは死ぬ。」

ゼベルト様が吐き出すようにおっしゃった。その後すぐに波の音が私の鼓膜に響く。私は音を失った。呼吸も拍動も数秒間止まっていた。フィリアル様が死ぬ。それは私に代えて言えば、ゼベルト様が死ぬということと同じ。それは今だろうが、明日だろうが、10年後だろうが、100年後だろうが、受け止められることでは無い。

「…それは、予言、それとも確定事項なのでしょうか?」

私は自分が思うよりゆっくりと喋っていた。なぜでしょうか、私にもわかりません。

「このまま、時が進めば、フィリアルは死ぬ。」

紺色の瞳に絶望を宿してゼベルト様が言った。私は頭を全力で回す。今、ゼベルト様に、私の愛する人にかけるべき言葉は何か、脳内の隅々を探した。

「ゼベルト様…、大丈夫です。私がいます。」

私は何を言っているのでしょう。今はフィリアル様に訪れる死について話しているのに。なぜ、私はこんなことを言ったのでしょうか。もしかしたら、私はフィリアル様の死を…。私は自分の赤い瞳が曇っていくのを感じた。


「ありがとう。」

ゼベルト様は眼に波を漂わせて、震える声で、私に『ありがとう』と言ってくださった。

「どうすればいいと思う? アニア。」

変わらず涙声で、ゼベルト様は私に尋ねる。ああ、そうか。ゼベルト様は私の吐いた言葉を私と違う意味で捉えたのでしょう。『訪れてしまうフィリアル様の死、それに対して、私は貴方と共に一緒に戦っていきます。』そんな風に私の吐いた言葉を受け取ったのでしょう。貴方がそんな私を求めるのなら、私はそれに応えましょう。私の全てを懸けて。


ゼベルト様は優しい方だ。きっとフィリアル様の死についての真偽を確定させるために、やりたくないことをやってきたのでしょう。それらをやらなければならいという理由で。きっとアドナロ王やオーディロダム武王の死もそれに関連したことなのでしょう。

「フィリアル様の死因は、何ですか?」

「どうやって、フィリアルの死について知ったのかは、聞かなくていいのか、アニア。」

「その過程も重要なのであれば聞きますが、結果の方が重要なのですよね。それに私は、ゼベルト様の全てを信じています。懐疑など微塵もありません。」

「そうか、本当にありがとう。アニア。」

嗚呼、嬉しい。ゼベルト様に感謝される。嗚呼、なんと嬉しい。


「フィリアル様の死因は病気、事故、それとも…他殺でしょうか。」

「他殺。フィリアルは新たな勇者に殺される。」

波の音が止み、私の耳に響くはゼベルト様の声だけ。

「新たな勇者、今の勇者では無いのですか?」

「ああ、今の勇者は、逆にフィリアルが殺す。」

夕陽が翳り、私の眼に映るのはゼベルト様の姿だけ。

「勇者を殺せるのは魔王ぐらいのものですものね。」

「ああ、だから俺は無力だよ。フィリアルを護ることができない。フィリアルの隣に立てたと思ってたけど、無理なんだ。俺は無力だ…。」

潮瀬の匂いが沈み、私の鼻に薫るのはゼベルト様の香りだけ。

「ゼベルト様は無力などではありません。方法なら、あります。」

「方法…?」

海風の感触が消え、私の肌に触れるのはゼベルト様の手だけ。


「新たな勇者が勇者として成熟する前に、殺しましょう。」

音が、光が、匂いが、感触が帰ってくる。なぜか、私の口内で血の味が広がった。


「…理論上は可能かもしれないけど、新たな勇者になる者をどうやって見つけるんだ?」

「勇者と聖女は左手の甲に『七星の痣』を携えると勇聖神話では言われています。これが一つの指標になるかと思います。」

「それだけだと、厳しくないか?」

「はい、難しいでしょう。ですが、考えてみてください。『七星の痣』を持つ赤子がいたら、そのままにしておくでしょうか。いえ、しません。きっと勇聖教会が保護するはずです。」

将来の勇者となる者を人族が放置するはずがない。厳重に、秘密裏に保護され、勇者として成熟するまで、蝶よ花よと大切に扱われ、育てられるはず。


「そう、だな。それなら、探しようはある。」

ゼベルト様の紺色の眼の潤みが乾いた。声色も私にとって世界で一番美しい男声に戻った。

「はい、ゼベルト様。隠されているモノの方が、どこにでもあるモノより、見つけやすいものです。」

「ありがとう、アニア。」

「はい。いつもゼベルト様の味方のアニアです。」

ゼベルト様が笑う。私も笑う。嗚呼、このままずっと手を握っていたい。夕焼けが、潮波が、時間が、世界が止まればいいのに。

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