「地味」がダブったぞ
伯爵は劇が終わった後、ダリアと適当にイチャイチャしていた。
「イチャイチャ」の内容など、詳しく書く必要はない。食事をしたり買い物をしたり、ランデブーしたりアバンチュールしたりとまぁ世間一般の愛人カップルがやることを一通りやってのけたのである。それ以上の説明はいらないし、聞いたところで「うへぇ」という感想しか出てこないだろう。というわけで詳細は割愛し、伯爵はとにかくダリアとの逢瀬を楽しんでいた。
伯爵は良く言っても気分屋、悪く言えば自分にとって都合の悪い事実はすぐに忘れる人間である。「愛人と妻が鉢合わせ」という常人ならまず耐えられないだろう修羅場を、もうすっかり片付いたものと思っていた。『怨霊の叫びを聞いてくれ』が良い意味で予想を裏切られ、ダリアもその話の内容に夢中になっていたのでもうこれで良しと思っていたのである。キング・オブ・能天気、それがブルーノ伯爵だ。ポジティブなのもここまで来たら病気だろう。
だが、ダリアは違った。いや、普通に考えたらそれが当然なのだがダリアもしばらくは『怨霊の叫びを聞いてくれ』の余韻に浸っていて少しは機嫌が良かった。しかし、屈辱的な仕打ち――少なくとも本人にとってはそうと感じられる出来事だ――を受けた怒りは後から、ジワジワと心の内を燃やしていく。そんな胸の内を程よく隠しながら、ダリアは伯爵に上目遣いをしてみせる。
「ねぇ、ブルーノ様。あの女……『契約妻』だとか言う彼女を愛していないというのは、本当ですの? 私、ブルーノ様の最愛でいられることだけが生き甲斐ですの。もしあんな女が愛しいあなたの心を占めているのであれば、とても生きていけないですわ……ブルーノ様、私のことを本当に愛してくださいますか? あの恐ろしい侍女を連れた女より、私の方を選んでくださいますか?」
わざとらしい、欲する答えなど決まりきっているだろう問いかけに伯爵は「もちろんさ」と顔をほころばせる。
「ダリア、君はこの世の誰よりも美しいし魅力的だ。デイジーは、あの地味な女ははただ周りがうるさく言うから結婚しただけだ。あいつは何の取り柄もない。地味で、無愛想で……」
「地味」がダブったぞ。
自分で自分の言葉の被りを指摘した伯爵は、そこでふと気がつく。
伯爵は、デイジーの悪口が言えない。というより、思いつかないのである。
サラの悪口なら言える。主人の夫に対して無礼だとか、凶器を振り回すのはやめろとか、そもそも一介の侍女がなぜあんな巨大な刃物を振り回すことができるのだとか、言いたいことは尽きない。
だが、デイジー本人に関しては特に貶すべき欠点を考えることができなかった。強いて言えば「なんであんなおかしい侍女をつけているのか」だが、それも厳密にはサラの問題でありデイジーのそれとは違う。デイジーは伯爵に嫌われるほど、何かすることはなかった。必要以上の干渉も無視もせず、デイジー本人の言葉を借りるなら「契約相手として」良き関係を築く努力をしている。だから今この時、「デイジーよりダリアの方が女性として魅力的である」という最適解を示すための言葉が何も見つからなかったのである。
「好きの反対は嫌いではなく無関心」という言葉がある。伯爵はデイジーのことが好きではない。だが、代わりに「嫌い」と言えるほどはっきりした嫌悪感を抱くこともなかった。彼女はただの契約相手であり、愛する気持ちは微塵もない。「契約結婚とはいえ妻なのだからもう少しなんかあるだろ」とは思うがそれはあくまで不満であって憎悪の念とは違う。
むしろ、それを口にしてしまったらまるで伯爵がデイジーに執着しているような気がして素直に言えずにいるのだが……ほんの少し、躊躇い言葉を詰まらせた伯爵をダリアは見逃さなかった。
「……彼女には、正妻の余裕があると。それだけ、ブルーノ様の関心を惹くぐらいの価値はあると。そういう、ことなのでしょうか?」
「なっ、そんなわけないだろう! ダリア、君は明るく華やかで、その場にいるだけで眩い光を放つような素晴らしい女性だ。可愛らしくて、それでいてどこか、こちらの心をくすぐるあどけなさや面白い話題を引き出す頭の良さも持っている。何もかも兼ね揃えた、素晴らしい天使のような女性。それが君だろう? 僕は君のような人の隣にいられることを、とても誇りに思っているんだ。僕の心は常に、君だけのものだよ……」
歯が浮くような言葉をつらつらと並べ、ダリアをこれでもかと言うほど褒めちぎってみせる伯爵。もはや馬鹿馬鹿しいほどのその賛辞も、しかしダリアの心には届かなかったらしい。いや、ダリアにとってはそれより「デイジーが癪に障った」というその事実一点のみが大きかったのかもしれない。必死に熱っぽい視線を向けて、愛を乞うてみせる伯爵にダリアはひとまずにこりと笑みを取り繕う。
「ブルーノ様、あまり私を嫉妬させないでくださいませ。あなたのような素敵な男性は、世界中の女性の憧れ。いつどこの馬の骨とも知れない泥棒猫に盗られるかと、私は気が気でないのですから。変な虫が寄り付かないよう、私も必死で努力いたしますからブルーノ様はいつまでも私という愛の鳥籠の中にいてください……」
結局、何の動物なのかよくわからないダリアの言葉に伯爵は満足したのかほっとした様子を見せる。とはいえ、女性関係のトラブルの耐えない伯爵にとってダリアが本気でこの結論に満足したとは思っていなかった。エンペラー・オブ・能天気な伯爵だが、女遊びが上手なだけあって女という生き物の悪い面もそれなりに知ってはいるのである。
(帰ったら、デイジーに『ダリアの前で余計なことをするな、というか口を出すな姿を見せるな』と言いつけておかねば……)
余計な火種を生みかねない。そう思った伯爵はそう勝手に決めて、今はとりあえずダリアとの「イチャイチャ」を全力で楽しむ。
火種を生み出してるのは伯爵、アンタだ。そんな正論を言う者は、誰もいないのである。