そうはならんやろ
「……っ!」
有無を言わさず始まった戦いに、ウサギは無言で耐える。
ガーベラ王女と仮面の女。伯爵とダリア、サラ。伯爵が引っ張り合いになった時より人数が多い、それゆえに苦痛はより大きいもののはずであるがウサギは伯爵のように無様な悲鳴を上げなかった。ひょっとして着ぐるみの中で腕を引っ込めてるんじゃないのか? と疑った伯爵だが彼が掴むウサギの手にはきちんと生身の人間の感触がある。ゴワゴワの毛の触感でわかりづらいが、それでも確かにデイジーの腕がそこにある気がした。そこに確実な証拠があるわけではないが……
「デイジー……!」
ウサギの腕を引っ張りながら、伯爵は思わずそう呟く。
女好きで、四六時中ずっと美女の尻ばかり追いかけていて、自分好みの女が現れるとすぐデレデレしながら口説きにかかる伯爵。馬鹿で色ボケでクズでゴミな彼は、どうしようもない浮気性で「スケベ」という言葉を辞書で引いたならその例文に名前が出てきてもおかしくないような男だ。
そんな伯爵だが――デイジーとの「契約結婚」はなんだかんだ上手くやっていた。
結婚なんてろくなものではない、妻という一人の女性に縛られるなんて面倒なことだ。
伯爵はそう考えていたし、今でも正直そう思っている。周りに跡継ぎやモンターニャ伯爵家の存続について言及されなかったら、きっと彼はデイジーと契約結婚なんてしなかっただろう。だから「君を愛するつもりはない」、などとデイジーに宣言したのだが……デイジーと過ごしてきた日々は、良くも悪くも伯爵にとって予想外のことだった。
「……君といた日々は、悪くなかった……振り回されてばかりだが、それでも契約妻としての役目は果たしていた……それには、感謝している……!」
いや、本当は腹が立つことばかりだったはずだ。
デイジーのせいで井戸にトラウマができてしまったし、今まで気にも留めなかった心霊現象やオカルトな存在に怯えるようになった。ダリアとの対決でやたら使用人たちが騒がしくなってしまったし、サラのせいで「あの家には殺人鬼が棲みついている」という余計な噂まで立っている。どれもこれも厄介なことばかりだ、デイジー以外の女性と結婚していればきっとこんな思いせずに済んだだろう……だがデイジーに翻弄され、文字通り痛い思いをしたり悩まされたりする日々はいつしか伯爵の日常になっていた。
「共に『夫婦』を演じ続けていたら、それが僕にとって当たり前になっていた……契約とはいえ結婚とは、そんなものかとほんの少しわかったような気がした……だから……もう一度だけでも、僕の元に帰ってきてくれ……!」
革製品が徐々に手へ馴染んでいくように、新しく移り住んだ土地へ次第に慣れてきたように。デイジーとサラに振りまわれ、「やれやれだぜ」なんて言っているのがいつの間にか伯爵の体に自然と染みついていた。――それを失うのは、伯爵の体の一部を奪われるのと同義だ。だから今、ダリアと共に必死でウサギの手を引っ張っている。そうはならんやろ、と言いたい状況ではあるが……それをガーベラ王女が、はんと鼻で笑う。
「今更、情に訴えようという魂胆ですか? 馬鹿馬鹿しい、あなたは何人も女がいてデイジーもその一人にすぎないのでしょう。愛のない契約結婚、そんな軽いもので一度我が国に引き入れた戦力を盗られてなるものですか!」
「そんなことはありません!」
そう力強く反論したのはサラだった。
「私は王家の影となったデイジー様に付き従い、実の娘のように愛し常にお傍に控え続けました! 伯爵とご結婚なさった時だって同じ……! 私はデイジー様の専属侍女として一生を捧げると決めているのです! 絶対にデイジー様を取り戻してみせます!」
「それを言うなら私だって! まだデイジー様との勝負はついていないし、契約妻がデイジー様だとしてもブルーノ様の愛を一番に得ているのは私なのよ! それをデイジー様に認めさせないまま、逃げられるなんて絶対に許さない! 私は絶対に、デイジー様に勝ってみせる!」
ダリアの力強い言葉と共に、ウサギの手がぐいっと伯爵たちの方へ引き寄せられる。
せっかく吐露した素直な気持ちを女二人にかき消されてしまった形の伯爵だったが、それでも彼を奮い立たせるには十分だった。
「妻を隣国に盗られるなんて、プレイボーイの自分にとって恥ずべきことになる」というくだらない見栄も伯爵にとっては大真面目な問題で重要な話だ。たったそれだけの気持ちでここまで来た伯爵は、気づけば夢中でデイジーを奪い返そうとウサギの――デイジーの手を引いていた。このまま本気で左右両方から腕を引っ張り合っていたら、ウサギは真っ二つになってしまうかもしれない。それほど、強く引き合ったがウサギはついに――片方に倒れこんだ。




