マナー違反
お約束、鉄板ネタ、〇〇な話。人と会話するにあたって大なり小なり、そういった「話のタネ」を用意している人間は少なくないだろう。
ある分野に関して突出した知識があるとか、こんな珍しい体験をしたことがあるとか、「話し手」としての武器があれば会話は弾む。アンビリバボーな奇跡の体験、役に立たない素晴らしい無駄知識、大御所を唸らせるすべらない話……いずれも聞いているだけで楽しくなるものばかりだ。
女好きだから、ついでに爵位を持つ立場にあるからコミュニケーション力も高い伯爵はそれをよくわかっている。当然、自分自身もそんなタネをいくつか所持しているのだがこの茶会で求められているものはそんな話ではない。いくら馬鹿な伯爵でもそれはわかりきっていた。その期待と圧力が一斉に降り注ぎ、伯爵はホラーテイストなこの庭園で息を飲んでいた。
「死んだはずの人を見かけた」
「正体不明のモノに出くわした」
「不可解な経験をして怖いと思った」
今までの招待客は皆、そんな話をしてから黒い蝋燭を吹き消していた。ガーベラ王女曰く、それがこの茶会における「マナー」だからだ。今日、ここに参加している人々は――そして、おそらくそこにいるはずのデイジーは同じような話を求めている。真偽のほどは定かではない、むしろ明かさなくていい。とにかく伯爵がここで口にすべきは「怖い話」だ……だが幸か不幸か、伯爵はそれに値するような体験も見聞も持ち合わせていなかった。
考えてみれば当然のことだ。このブルーノ・モンターニャ伯爵という男はとにかく小心者で臆病者。いわゆる霊感のある人間が経験するような怪奇現象に出くわせばショックで失神するだろうし、今この場で人の話を聞くのだって内心ではブルブル震えまくっているのだ。そもそも自分がそのような話を怖がる間抜けなビビり野郎であるという事実も、デイジーと結婚してからやっと気づいたことである。「何か怖い話は?」と聞かれて答えられる力量など、あるはずもなかった。
(どうする、どうする、どうする……!?)
心臓が超高速で鳴っている中、伯爵は考える。だがその色欲しか詰まってないような脳みそでいくら考えても、それらしい話を思い浮かべることはできなかった。ダリアが心配の色を滲ませてくる中、卑怯な伯爵はすっと責任転嫁するようにサラの方へ目を移す。
思えば全て、この凶器侍女のせいだ。年がら年中、鎌だの斧だの刃物を振り回すこの侍女がいれば亡霊たちも慌てて逃げ出すに違いない。そうだ、自分にそういった類の体験談がないのはきっとサラがいるからだ。決して自分が井戸恐怖症を克服できていないからでも、実際に何か化けて出てきた日には白目をむいて倒れるからではない……そうやって勝手にサラへ全ての責任を押し付けている最中に、伯爵は閃いた。
(そうだ、井戸だ……!)
思い出したくない、思い出したら恐怖で全身の細胞が一気に拒否反応を示す忌まわしい記憶。伯爵にとっては悪魔の書である『あなたも私も井戸へGO!』の内容が、あの時の怖気と共に一気に頭の中を駆け巡る。
「そそ、それでは僕は、異国で伝わる怪談を……これは、異国の井戸に纏わる話で……」
よりによって自分の一番嫌いなジャンルの話を、自らの口で語らねばならなくなった伯爵。もはや引きつった表情は見る方が怖いぐらいになっていた。それでも伯爵はなんとかこの場を凌ごうと、必死に声を振り絞ってみせる。
今回の茶会で話す「怖い話」は、実体験でなくても構わない。それは主催者であるガーベラ王女が最初に言及していたマナーの一つである。現にダリアが話したのもあくまで「こういう呪いの儀式がある」とう「知識」であって、ダリア自身がそれに直接関わったわけではない。そもそも『あなたも私も井戸へGO!』だって正式なタイトルの中に『恐怖の体験談!』と銘打ってあるのだ。ここで伯爵が自身のネタとして語ったとしても、マナー違反にはならないはずだ……そんな名案というほどでもない、至って平凡な案を考え付いた伯爵はなんとかそれを実行してみせようとする。
「その昔、主人に辛く当たられるメイドがいて……ある日、彼女は屋敷の皿を割ってしまいました。それで……」
「――あら、それって」
不意に、伯爵の話を遮る凛とした声が響き渡る。
声の主である仮面の女に、全ての人間の視線が集中した。ガーベラ王女を挟み、彼女の隣にいたウサギがそこに割って入るように仮面の女の方へ向き直るが――それよりも早く、女の声はその先の台詞を呆気なく口にする。
「井戸で投身自殺したメイドが毎晩、自分が割ってしまった皿の枚数を数えるというお話でしょう? 異国では結構、有名な話だそうですね」
仮面の女の一言で、会場がしんと静まり返った。




