人は熱狂すると周りが見えなくなる
「デイジー様は落ち着いた声で静かながら耳に残る歌唱を、ダリア様は可愛らしさの中に元気が溢れるパワフルな歌声を披露してくださいました。どちらも音程やリズム感といったポイントではほぼほぼ互角でしたが、今回はダリア様の迫力ある歌唱に点が集まりました。よって、この歌唱対決の勝者はダリア様でございます」
どうやら審査員役を務めているらしい使用人がそう告げると、屋敷中から歓声が沸き上がる。ダリアを応援していた者たちのみならず、デイジーを応援していた観客も惜しみない拍手を送っていた。それだけ二人は、公平かつ正々堂々と戦っていたのである。その熱い声援に応えながら、ダリアが改めてデイジーに向き直ってみせる。
「ほら、見なさい、私の勝ちよ! チャンピオンよ! 勝者なのよ! わかったら大人しく負けを認めなさい! ブルーノ様の心は、真実の愛は私のものなんだからね!」
「はい、ダリア様のおっしゃる通りです。伯爵の心はあなた様のものであり、私はただ契約相手として結婚したただのお飾り妻でしかございません。先ほどの歌唱も実に素晴らしく、後から歌う私は恐縮するばかりでした。ですからこれからもその美貌を活かし、ブルーノ様の心を癒しその愛をもってして彼の人生を支える最愛の女性でいてくださいまし……」
穏やかな口調でゆっくりとそう語るデイジー。お姫様と王子様が結婚して、めでたしめでたし。そんなほっこりするが、どこか他人事のような感じもする物言いにダリアは怒りを募らせたのか歯を食いしばってみせる。美しい彼女のこんな顔を見るのは初めてだ、何気にレアだな……そんな場違いな感想を抱いた伯爵を、ダリアとデイジーは目ざとく見つけてしまった。
「あぁっ! ブルーノ様!」
「あぁ、旦那様」
だいたい言っていることは同じなのに、ずいぶんトーンに差がある二人。果たして妻&愛人&男という修羅場の大三角が再び誕生することになったが、それによって使用人たちのボルテージが一気に急上昇する。
『怨霊の叫びを聞いてくれ』の舞台があっていた時も、何の関係もない第三者はみんな「こいつは面白いことが起こりそうだ!」「オラ、ワクワクすっぞ!」という具合に壮絶な戦いが始まることを期待していたものである。まして今、この場にいる者はデイジーとダリアの決戦を見てきたものばかりだ。興奮し、アドレナリンやらドーパミンやらが大量放出されるのも当然のことである。そんな観客――正確には伯爵家の使用人たちだが、彼・彼女らはそんなことも忘れてしまうぐらいヒートアップしていた――たちの熱狂に応えるがごとく、まずはダリアが伯爵を上目遣いで覗き込む。
「ブルーノ様、私は全身全霊をもってあなた様を愛しております。例え火の中水の中草の中、どこまででもついていくと約束しましょう。ですから私は、あのお飾り妻のデイジーとかいう女より優れているに決まっていますわよね?」
別に火の中に行くつもりなどない伯爵だが、ダリアの子猫のような瞳に見つめられれば「あぁ、もちろんさ」といつものセリフが飛び出る。それからダリアにもういちいち表現するのが面倒くさいぐらいの、陳腐な愛の言葉を囁くのだが……それにいちいち、相槌を打ってきたのはデイジーだった。
「えぇ、本当、全くもってその通りでございます。私は負けました。完敗です。ダリア様の瞳に乾杯です」
なんだかよくわからないが、一応ダリアを褒めているつもりらしいデイジー。だがダリアの気がそれで収まるはずもなく、キッとデイジーの方を睨みつけるとこれ見よがしに伯爵の腕へ絡みつき自分の胸を押し当てる。
「そんなに余裕ぶっていたって、無駄なのよ! あなたはあくまで形だけの妻で、ブルーノ様が離縁を望めばすぐにだってこの家から追い出されるんだから! そうよ、あなたがいなければブルーノ様の妻になっていたのは私だったわ! あなたなんて所詮、たまたま運が良かっただけのお飾りなんだからね!」
「……そうですね」
それまで何を言われても、ただそよ風のように受け流してきたデイジー。しかし今この瞬間、ほんの少しだけ表情が陰り返事に遅れが生じた。それに気が付いたのはデイジーの下で長年仕えているサラと、皮肉なことに当の旦那である伯爵だけだった。……女好きの彼はどんな女の些細な変化にも、敏感に気がつくのである。
だがデイジーはそんなことなど気にも留めず、自分も伯爵の方へと歩み寄るとダリアの反対側、伯爵のもう片方の腕へとしがみつく。ダリアと同じように、しなだれかかるようなことはしないが代わりにダリアの方へ向かい合うと「でしたら」と口火を切った。
「今ここで、旦那様の取り合いをしてみましょう。私の愛読書、『あなたも私も井戸へGO!』が書かれた国には『子争い』の話があるそうです。なんでもとある金持ちの子の母親を名乗る女性が二人出てきたので、その国の裁判官に当たる人間が『二人で子どもを引っ張り合って決めなさい』と命令したと……なので、私たちもここで旦那様を引っ張り合って決めようじゃありませんか」
デイジーの、伯爵の腕を掴む手に力が入る。伯爵は「えっ」と呟いたが、ダリアはデイジーに向かって鼻息荒く言い返してみせる。
「望むところよ。ブルーノ様の手を取るのは、この私。絶対に、私が勝ってみせるんだから!」
再び伯爵が「えっ」と零すが、伯爵の腕を掴んだままのダリアとデイジーはそのまま睨み合いを続ける。一触即発の事態に、使用人たちはさらなる盛り上がりを見せて屋敷は歓声に包まれた.
「うおおお! いいぞいいぞ、やれやれー!」
「二人ともファイト―! 負けるなーっ!」
人は熱狂すると周りが見えなくなる。
彼らは相手が自分たちの雇い主、曲がりも何も伯爵であるということも忘れ、それぞれ大声を張り上げていた。それはさながら剣闘士の戦いを見守る観客たちのようだが、実際ダリアもデイジーも同じような気持ちなのだろう。そこでサラが前へと躍り出て「では」と手を上げる。
「ダリア様とデイジー様は、私の合図で同時に旦那様を引っ張り合ってください。勝った方がこの勝負の勝ちとしましょう。いいですか? 三、二、一……」
「えっ、いや、ちょっ……」
伯爵の戸惑いがちな呟きも空しく、サラの合図でダリアとデイジーが伯爵の腕を同時に引き合う。使用人たちは二人に熱い声援を送り、ダリアとデイジーもまたそれに応えるように全力で伯爵の腕を引っ張った。
……「子争い」の話には「我が子が痛がって泣き叫ぶ様に堪えきれず、手を放してしまった方が本物の母親」という人情噺的なオチがつくのだが、デイジーはそれを知っていただろうか。
その真相は明かされないまま、ダリアとデイジーの争いは熾烈を極め……その熱い空気の中、伯爵の「ぐぎゃあああああっ!」という叫び声は熱狂の渦の中に搔き消されるのだった。




