たとえそうでも
その後もエリザベスとルクスは露店を巡り、そして少し休むついでに水路を通る小船に乗ることにした。
エリザベスとルクスは対面する形で座る。
こぎ手が長いオールを動かすと、ゆったりと船は動き出す。
水が陽の光に反射して輝いていて、周りの空気はひんやりとして気持ちがいい。
「本当に今日はお誘いいただきありがとうございました。とても心が安らぎます」
「そうか、それはよかった」
エリザベスが柔らかく微笑むと、ルクスも優しい笑みがこぼれた。
しかしふと、ルクスの表情が暗くなり俯く。
「……その、最近なにか不安なことがあるか。特に俺たちの結婚や、俺自身に対して」
ルクスはなるべくその話をしないように避けていたが、やはり不安は取り除かねばならないと向き合うことにした。
恐る恐るルクスがエリザベスの顔を見た時は、エリザベスはきょとんとした顔をしていた。
「結婚とルクス様への不安ですか?……特にはない、ですが……ルクス様はありますでしょうか? わたしに至らないところがあれば、仰っていただければすぐに直します」
「そんなことは一切ない。むしろとても助かってありがたい」
不安そうに微笑むエリザベスにルクスが首を振って否定すると、安心したようにほっと息をついていた。
「そうか、不安はないのか……そなたに元気がないと聞いていたのだが、その原因は他にあるのか?」
「それは……」
エリザベスは、きゅっと唇を噛んで手を固く結ぶ。
(陛下に謝らないと……情報を集めるために、立場を利用しようとしたこと)
ルクスはじっと待っているが、金色の瞳から必ず聞き出すぞという気持ちが見える。
問い詰められるともうわかっているので、エリザベスは結んだ唇をそっとほどいた。
「あの……まず、ルクス様に謝らないといけないことがあるのです」
「謝る? そなたに何かされた記憶はないが……」
「以前、ルクス様を貴族っぽくも王族っぽくもないと言いましたが、それはルクス様がとてもお優しい方で他人を利用するように見えなかったからで……ですが、わたしは違うのです。ルクス様と婚約してその立場を利用するつもりでいました。申し訳ございません……」
エリザベスは頭を下げた。
今度はルクスの方がきょとんとしてしまって、困ったように頭をかいた。
「頭を上げてくれ……利用、と言ったがどのように利用しようとしたのだ? それは俺の命が脅かされて、国が傾くようなことなのか?」
「まっ、まさか、そんなことはないです……ただ、その、情報が欲しくて」
「情報?」
「わたしには妹がいるのですが、その妹が父の連れてきた神官に誓約をかけれられてしまったのです……それを解くための情報が欲しくて」
ルクスの反応から、そのことは初耳だったようだ。
ルクスはぐっと顔をしかめて、目つきが暗くなっていく。
やはり心の裏のことを黙っていたことに怒っているのかと、エリザベスは不安でたまらなくなってスカートを握りしめる。
(あぁ、やっぱり怒っていらっしゃるのだわ。こんなに優しくしてくださったのに、ミィのことで頭がいっぱいになって)
(もう、ミィの誓約は解かれている、みたい……もし、わたしがお咎めを受けてもミィはもう自由の身だから、大丈夫……大丈夫、もうわたしができることは終わったのよね)
(でも……これで、陛下に呆れられてしまたら……)
「誓約を解くには魔力が必要だな。魔族がいればいいが、その純血は途絶えてしまっている」
「だが、ジーニャなら……彼の一族は魔族の遠縁だ。何か手立てがあるかもしれ………エリザベス?」
エリザベスが顔を白くして、小さく震えていた。
泣きそうなのだが、それを必死にこらえて唇をまた強く噛んでいる。
「すまん! 船を泊めてくれ……エリザベス、一度降りようか」
こぎ手に言って船を寄せてもらい、エリザベスの手を引いて降りるのを促すと、エリザベスは大人しく従った。
丁度降りた場所は階段になっていて、すぐ左手にはアーチ状の橋がかかっている。
ルクスは手を引いて、橋の壁際によった。
ルクスはエリザベスより一段下に立つといつもよりの顔の位置が近くなった。
「エリザベス、唇を強く噛むな。血が出てしまう」
「あっ、も、申し訳ありません」
「謝る必要もない。あぁ……やはり血が」
エリザベスの唇にしっとりと血がにじんでいた。
エリザベスがハンカチで拭う前にルクスが自分のハンカチを取り出して、エリザベスの唇に当てた。
「しばらく止まるまで動かずに……それから、そのまま聞いてほしい」
動くなと言われると首をこくりとすることも、話すこともできないのでルクスを見つめることで肯定した。
「そなたは俺を、他人を利用しない、優しい人だと言ったが、全くそんなことはない。現にそなたを利用している」
エリザベスは、大きな瞳をぱちぱちとさせていたが静かにルクスの話しを聞いている。
「帝国は先代……父上の代から急進的に多種族共生を進めてきた。だが、あまりにも急いて改革を行ったために………反発が………人間の貴族たちからあったんだ」
「それの改革を引き継いだ俺もその的となっている。そこで、反発を和らげるために人間の妃を娶る必要があったんだ。俺はそなたを王国との平和条約のため、帝国内の反発を抑えるため……散々利用している」
「俺は、本当はそんな奴なんだ。妹を大事に想うそなたとは……違いすぎる」
ルクスが苦しそうに目を伏せる。
苦しみが伝わってきて、エリザベスは自分の心まで痛くなる。
心がずきずきと痛むがそれでも伝えなければいけないことがあった。
エリザベスが口に当てられたハンカチをそっと離させた。
「ルクス様……それでも、わたしは貴方様がお優しい方だと思ってしまいます……ルクス様はわたしの命を救ってくださって、心配をしてくださいました。住みよいように配慮をしてくださって、お花をくださって、今日だって町に連れて楽しい思い出をたくさん作ってくださいました」
「全部全部、大事に思えて、とても嬉しくて……心が温かくなって……」
「たとえルクス様が心の底でどう思われていたとしても、やはりどれも嬉しいのです」
「これは……わたしがおかしいのでしょうか?」
エリザベスのサファイア色の瞳がほんのり涙で濡れて、透き通る。
ルクスは、その瞳に見つめられると吸い寄せられるような気分になってしまう。
無意識のうちにエリザベスの頬に手を添えていた。
「ルクス……様?」
呼びかけられるとハッとしたように手を引いた。
ルクスは、エリザベスのその透明な心が眩しくて、触れてしまえば簡単に染まってしまいそうで、恐ろしくなった。
(俺は……俺は一体何を?)
「す、すまない………」
「……まだ俺を優しいと言ってくれて………ありがとう」
ルクスは静かにお礼を言うと、またエリザベスの手をとって階段を上る。
「最後に花屋に寄っていいだろうか?」
「は、はい」
エリザベスは「ありがとう」という言葉が、自分の気持ちが少しでも伝わってくれたからこその言葉だと願うことにした。
しかし、同時にそれ以上の会話がないことがエリザベスとルクスの間に壁があるように思えた。
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花屋ではエリザベスの好きな花と百合の花を数本買った。
エリザベスは、ルクスが百合の花を自分の部屋に飾るのだろうかと思ったが、花を見つめるルクスの横顔が悲しそうで、とても聞く気にはなれなかった。
城に戻り、ルクスは髪を銀色に戻し、狼の顔になる。
百合の花を持って、自室の一番奥の部屋に向かう。
その部屋は暗く、壁には大きな一枚の肖像画が飾られている。
肖像画には金色の瞳を持つ人間の男性と銀色の髪が美しい狼の耳をした女性が愛おしそうに子供を抱えている。
ルクスは肖像画の下にある机に置いてある花瓶に、百合の花を挿す。
見上げると、肖像画の中のしあわせな記憶に胸が締め付けられる。
「父上、母上……俺は」
「俺は……大事な人ができるのが……恐ろしいです」
ルクスは、掠れた苦しみのはらんだ声で呟くが、応えをくれる者などいなかった。




