心の箱
医務室に素早く運び込まれたエリザベスは、あっという間に医師たちに治療をほどこされ、寝台に寝かされた。
いくら大丈夫だと言っても、医師もルーニャも「安静に!」と頑なだった。
エリザベスも諦めて、寝台で大人しく横になることにした。
ルーニャにせめて本だけでも読みたいからとお願いして書庫から何冊か本を持ってきてもらい、読書することにした。
横になったまま、本の文面に視線を流していく。
(……これにも書いてない、か)
ミーシャの誓約を解く方法がないかと帝国に来てから何冊か本を漁ってみたが、これといった収穫はなかった。
(ミーシャは殿下との婚約は望んでいない。せめてあの子だけでも貴族の義務から離れさせてあげたい)
(殿下が諦めてくれたら一番良いのだけど……思えばミーシャと殿下が会った時から、殿下はミーシャのことが好きだったみたいだし……筋金入りよね)
エリザベスは王子がミーシャに好意を寄せていることは知っていた。
正直、誰が見てもすぐにわかる。
明らかに王子のミーシャを見つめる視線は熱を持っていたし、なにかとミーシャに会おうと画策して、ついにはミーシャの所属する傭兵団にも通っていたほどだ。
王子の好意に気付いていなかったのは、ミーシャ本人くらいだけではないだろうか。
(まさか本当に婚約破棄をするだなんて……しかも貴族たちの前で取り返しがつかないのに……)
「でも………少し羨ましいかも……」
無意識にぽつりと呟いた言葉に自分で驚いて、口を塞いだ。
「どうされました!? お腹が減りましたか!? 喉が渇きましたか!?」
「へ? あ、なんでもないわ、ルーニャ。少し考え事をしていただけよ」
寝台の横で待機していたルーニャがしゅばっと立ち上がって身構えたが、エリザベスが苦笑しながら手で座るように合図をした。
(はぁ……殿下を羨ましいと思うだなんて、どうかしているわ)
(少しだけ……少しだけ自由に愛を伝えていたのが羨ましかっただけ。それだけ)
(………続き読もう)
閉じ込めていた気持ちを覗いてしまいそうになったが途中で無意味だと気づいて、そっとまた気持ちをしまい込んだ。
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しばらく、読書をしていたが、扉がノックされ、ルーニャが応対しに行った。
そして、部屋に入ってきたのはルクスだった。
手にはお見舞いの綺麗な花束を持ってきている。
エリザベスは、これまた大袈裟だなぁと少し思ったが、ルクスの気持ちは嬉しくて心が温かくなった。
花はルーニャに花瓶に移してもらうようお願いした。
「お花をありがとうございます。とても綺麗ですね」
「あぁ……」
ルクスは、随分としょんぼりしてしまって視線が合わない。
その様子にエリザベスは少し冗談っぽく、くすりと笑った。
「もう、やめてしまったのですか?」
「何をだ?」
「挨拶の時のような……きりっとなさっていた……」
「も、もうあれは忘れてくれ……」
「ふふ、わかりました。わたしは今の陛下の方が好きです」
「好きです」なんて突然言うものだからルクスが抜けた表情をしたのだが、エリザベスは特に恥ずかしがっているわけでなく、親しみがあるくらいの意味で言ったのだろうとルクスは頭を整理した。
ルクスがちらっと横を向いたときにルーニャがにまにましていたので、咳ばらいをしてルーニャに部屋の外に待機するように合図して、椅子に座った。
「正直に話すと……初めに言ったことは本当だ。そなたの役目が終われば無理にここにいる必要はない。むしろ、世継ぎを産むというのも苦しいのならば、無理にする必要も……」
「陛下……」
エリザベスは静かにルクスの言葉を遮った。
やっとルクスがエリザベスの顔を見ると、エリザベスは困ったような何か諦めたような悲しい笑顔で微笑んでいた。
「陛下、わたしはなんと言われようと役目は果たします。それがわたしの……エリザベス・フォン・ディーワの生きる意味なのですから」
エリザベスは寝台からおりて、頭を下げて懇願した。
「もしも陛下と離縁でもしてしまったら、父に何をされるか……もう、わたしには帰る家もありません。どうか、役目を奪わないでください……役に立つように務めます」
「お願いします……」
頭を下げてしまってエリザベスの表情がルクスから見えなかったが、その華奢な肩には重すぎる責任がのしかかっているのがありありと見えた。
婚約破棄をされ、帝国に売られるように身一つで投げ出された彼女を不憫に思っていたルクスだったが、彼女も彼女なりの覚悟があって来たのだと気づかされた。
ルクスが膝をついてエリザベスの手をとった。
「顔を上げてくれ、エリザベス……そなたはこの婚約を望んでいなかったのだろうと、苦しんでいるだろうと勝手に考えを巡らせて行動していた。許してほしい」
エリザベスは顔を上げると首を横に振った。
「いいえ、陛下のお心遣いは少し驚きましたが、嬉しかったです……わたしは陛下がお優しい人でよかったと思っています」
「……そうか」
エリザベスがにこりと優しく微笑みそこには遠慮が見えなかったので、ルクスはほっとして肩を下げた。
「エリザベス……これから少しずつお互いに話し合っていこう……夫婦になるのだから」
「はい、どうぞよろしくお願いいたします」
エリザベスが明るい笑顔で答えると、ルクスも優しく微笑んでくれた。
微笑んだ顔を見たことがなかったので、急に優しい顔をされてエリザベスの心が筆で撫でられたようにさわっとしたが、どうしてそう感じたかまでは分からなかった。
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その夜、エリザベスは部屋に戻り、今日はとてもいい進展があったとほっこりしながら床に就いた。
(もしかしたら……もしかしたら、陛下となら愛し合うことはなくても、心を許しあえて、友人みたいにはなれるかもしれない。温かい家庭が築けるかもしれない……)
(そう、だったらいいな……)
明るい未来に想いをはせながら目をつむり、眠りについた。
幼いころからの王妃になるための教育は、辛いことばかりだった。
幼いエリザベスは頭に本をのせて、高いヒールの靴を履いてまっすぐ歩く。
それを家庭教師のクラシク夫人が鋭く厳しい目つきで睨んでいた。
エリザベスが少し姿勢を崩して、本が落ちそうになった。
「エリザベス様! 姿勢が崩れています!」
「ご、ごめんなさい。クラシク先生……」
「二回です。足を出しなさい」
「……はい」
エリザベスは頭に置いていた本を机に置いて、靴を脱いでほっそりとした足を怯えながらだした。
クラシクは教鞭を振りかざすと容赦なくエリザベスの足の裏をぴしゃりと二回叩いた。
エリザベスは痛みから目じりに涙が浮かんでいたが、必死に唇を噛んで耐えた。
「どうして、二回罰を受けたかわかりますか?」
「姿勢を崩したことと、言葉遣いです……」
「そうです。それと、もう一度足をだしなさい」
「……」
「今度は笑顔が崩れているからです。あなたは将来国の顔となるのですよ。常に微笑みを絶やさず、美しく、気品ある女性でいなければなりません。そのような情けない顔をしてはいけないのです」
「申し訳ありません……」
「わかれば、足をだしなさい」
「はい」
再び、部屋にぴしゃりという乾いた音が響いた。
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夜中に目が覚めてしまった。
寝汗で背中までぐっしょりと濡れていて、気分が悪かった。
起き上がって、膝を曲げて両足の裏をぎゅっと握った。
足裏にはすでに傷はないのだが、教鞭に叩かれた感覚が生々しく思い出される。
(嫌な夢を見てしまった……)
(ミィは先生を辞めさせろと何度も訴えてくれて、寄り添ってくれた。嬉しかったなぁ……)
(もしも、ミィがいなかったらわたしはどうしていただろう……とっくに心が壊れていたかもしれない)
「ミィ……会いたい」
エリザベスはすがりつくようにブレスレットを握りしめた。




