殺せない信者 【神】 《1700字》
「神は死んだ。じゃあ神は生きてたの?」
煌々とした白い蛍光灯に照らされた小麦の肌を見ていた私は返答が遅れた。ニーチェの言葉。だがそれに沿った答えを求めているわけではないことはわかる。
「……神には二種類ある。あるべくしてある神と、人に作られた神。」
どうしてそんな話になったのかは覚えていない。ぽつりと彼女が零したのはこの非日常的な空気感からか。
「どういうこと?」
「……たとえば八百万の神って、基本的にそこにあるだけだろ。人間に何かしてくれるわけじゃない。別に誰かが信仰しなくたって、神はそこにある。でも祠とかに祭られてる神は何かを願うために人間が祭り上げた。豊穣を、健康を。人間がいるから、そこに生まれた。」
眠たげな黒目がちな目はもうまとも話を聞いているかもわからない。つまらない話だとしても、一度始めた話を適当に打ち切られるほど器用な人間じゃなかった。
「人に作られたそういう神は、信仰されている間その存在意義を果たす。でも人に忘れられ、誰にも信仰されなくなった神はただ廃れて朽ちていく。忘れられたとき、存在意義を果たさなくなったとき、神は死ぬ。それまでは生きてるんだ。」
缶にわずかに残った安い酎ハイを飲み干した。甘い匂いが鼻に絡む。敷かれた薄い布団に寝転がる彼女は眠たげに目を擦って小さな口で欠伸をした。身じろいだときに香るシャンプーの匂いに呼吸を忘れる。甘ったるいものでもなんでもないのに、それが彼女からするというだけで格別甘いものに思えた。欠伸で涙の膜の張った黒目が私を見上げる。
「神様は勝手に作られて、それから殺されるの?」
「私はそう思ってる。」
「ふうん、」
ちらりと白い歯ののぞく口が愛らしく動き鈴を鳴らすような声が転がり落ちる。
「それは、いい迷惑だね。」
はっと、目が覚める。煌々とした蛍光灯が私を見下ろしていたが、隣に彼女はいない。どうも机に突っ伏して寝てしまっていたらしい。畳んだままの布団を手持ち無沙汰に撫でるがそこにぬくもりはない。いったい何年前のことを夢に見ていたのだろう。
大学の時、東の方へ彼女と旅行に行った。学生らしく無鉄砲で、大したプランもなく安さを重視したようなそんな旅行だった。寝泊まりできればそれでいいと言った彼女がとったホテルは本当に寝るだけの四畳程度の部屋で、着いてみれば部屋の鍵も随分とちゃちで、共同のシャワーも浴びる気になれなかった。怖がる彼女の気を紛らわせるように、なんでもない話を彼女が眠るまでしていた。怖いから一晩起きている、と言う彼女に付き合っていたのだが昼間はしゃいだせいか彼女はあっさりと睡魔に屈した。
「いい迷惑だね。」たぶん、いや決して彼女はそんなことを言っていない。そう言うタイプではなかった。それは後付けされた私の思いだろう。きっと、いい迷惑だと思っているだろうから。
口が裂けても言えなかったことがある。あの日の問いに、神と聞いて真っ先に思いついたのは彼女だった。僕にとっては、彼女こそが神でそれ以外は取るに足らない物だった。いやそれは過去形ではなく今もだ。誰にでも優しく控えめで美しい彼女を、間違えて人間に生まれてきてしまった神だと信じて疑わない。彼女は人間であり同時に神だった。私が神だと信仰している限り、彼女は紛れもない神なのだ。私という信者が死ぬまで、信仰を投げ出すまで彼女は人に戻れない。知らない間に乗せられた神輿の上で、彼女は無垢に微笑むのだ。あの日、彼女に語った神。思えば私にとって懺悔に近いものだったのだろう。
ブブ、携帯が振動した。まるで図ったようなタイミングで表示された名前に、口角を上げる。
「もしもし、どうしたの?」
「急にごめんね、話したいことがあって。」
鈴を転がすような声が鼓膜を揺すった。
今も私は彼女を神輿から降ろせないでいる。もし私が男であれば、あるいは度胸があれば恋人という立場に転がり込んだかもしれない。だが臆病者な私は親友という立場に座り、神にもっとも近い場所でただひたすら彼女に縋るのだ。
私は未だ愛した神を殺せていない。




