モリの話。珍獣は奇跡。
暴言あり。
変態は、健在です。
僕を使って利用して、僕に縋って依存して、貴女の傍にいられるなら何でもする。
……でも、これは何か違う気がする。
僕をどうしたいの?
「まだもっと前に」
今、優希の声は僕を崖に追い詰める。
深く切り立った崖の上に立たされる。
落ちたら怪我はないけど、下は川だから濡れるし登ってくるのに時間がかかりそう。
優希は、僕を突き落としたいの?
やっぱり僕が――。
考えが暗くなる。
やっぱり、僕を受け入れてはくれないのかと……気持ちが沈みかけた時に声が響く。
「はい! そこで遠吠えをお願いします!」
――――ゥオオォォォ―――ォォンッ!
「……なんて素晴らしい。リアルにラッ○ンの世界だよ。でかい月に崖、白狼。モリは奇跡だよ。カメラが欲しい。カメラが~」
遠吠えを5回程させられた後、優希はキラキラした目で僕に抱き付いた。
「優希は、何がしたかったの?」
「やっぱりモリは、存在全てが芸術的にも最高に綺麗で素晴らしいって事が証明されたんだよ! モリは、素晴らしいよ! ずっと見てみたかった! モリは、奇跡だよ! 奇跡の塊だ!」
何が誰にどう証明されたのか、全く分からないけど、狼の僕にグリグリ頭を擦り付ける優希は、可愛いから良しとしよう。
化け物を奇跡だと言う僕のご主人様は、やはり行動が読めない。
貴女が『奇跡』だと、僕は思う。
* * *
昨日の仕事を済ませても、何も変わらない寧ろ、距離が縮まったと思えるほど、優希は傍にいてくれた。
人身の時は舐めては駄目だと言われてたけど、唇以外ならキスをしていいと許しが出た。
嬉しくて、隙間が無いほど唇と舌で触れていたら、舌無しと制限されてしまった。残念。
朝御飯を食べていると、優希突然言い出す。
「そうだ! お疲れ様会をしよう」
「お、つかれ?」
「私の世界では、とてつもなく大変な仕事が終わった後は、労をねぎらい明日への活力の為、うまいものを食べるの!」
優希が私の世界と言う度、少し胸が軋む。
貴女は今、ここで生きてるのに。
「うまいもの?」
「そう! 昨日凄く頑張った君に、私からのプレゼントだよ!」
……どきどきする。
味わいたくない方のどきどき。
「料理リベンジだ!」
あ、やっぱり。
どうしよう、鱗を飛ばさない他の魚種は、噛みついてくるのしかいない。ナイフの扱いも見ているだけでハラハラするし、どうしよう。
「台所のあるところで!」
「だい?」
「うんと、キッチン? 調理場? 借りられる所無いかな?」
「ん~、宿屋かなぁ。冒険者はたまに自分で料理したい奴もいて、宿屋の調理場を借りてた」
「それだ! 行こう!」
「でも、優希、僕そんなにねぎらってもらう程疲れてないよ~?」
「行こう!」
「え、その、大丈夫……」
「行こう!」
「フッ。フフ、分かった。行こう」
あまりに必死な優希と、気にかけてくれるのがやっぱり嬉しくて、了承してしまった。
危なければ、僕が手伝えばいいや。
宿屋に聞けば夜仕込みが終わった後と、食事時以外ならと承諾を得た。
少し多めに宿泊代を渡すと、優希はしょんぼりしていた。
「作るとか言ったけど、私ニートだった。お金余分に出させてごめん」
「全然。もっと欲しいものがあったら、買って良いんだからね? 遠慮しないで? 優希がくれた紙のお金はこれの何百倍以上もの価値があるんだよ? それに異世界料理楽しみ」
「うぅ、頑張って作ります」
「ウフフ~、宜しくね」
今日は、夜しか借りられないから仕込みだけで、明日の楽しみとなった。
夜中に調理場に立った優希はちょこまかと、予想に反して危なげなく下拵えをしていく。
幻術をかけた金の髪を僕の目隠し布で括り、包丁で野菜を切っていく姿は……僕の願望全てが詰まった存在に見えた。
欲しい、な。あれ、欲しいな。
いつの間にか無意識に手を伸ばし「酢が無い、酸っぱけりゃこれでもいけるか?」とか言いながら、何かを混ぜてる優希の腰に腕を絡ませていた。
黒髪じゃないのが少し残念だけど、可愛らしい頭にキスをする。少し身体が跳ねたけど、驚かせたかな?
「うひぃ! ……何してるのかな?」
「ん? ん~、欲しいの……」
「今日はまだ仕込みだけだよ。明日いっぱい食べられるから」
「そうじゃなく」
「では、何だね? 料理中にちょっかいはいけない。包丁扱ってたら危ないでしょう? 料理は戦争なんだ!」
「……うん、ごめん。僕に手伝わせて?」
「よぅし! これをひたすら混ぜて」
「分かったぁ」
思わず口をついた言葉の意味に、優希は気付いてくれない。そして渡される白っぽいドロッとしたもの……。
これなに? これ食べれるの?
優希は、ラプテ(牛乳もどき)に何かを入れ、見たことないものに分けている。
そういえば、僕料理したことないや。
「中々じゃん、モリ。料理人になれるよ」
「フフ。外で焼いて食べるのはいつもしてたけど、こうしてちゃんと料理作るのは初めてかも」
「本当に? 家に住むようになったら、自然と作れるよ。私だって、ナイフで料理したことないしね。台所があれば、ちゃんとしたご飯作れるんだよ」
「そっかぁ」
……家を買おう。うん。家を買おう。
もっと早く家を手に入れていれば!
なんて勿体無い事を。
地下がある家が良いな、後は優希の希望を聞いて、それに合う家を見つけよう。
どのくらい大きいのが良いんだろう?
やっぱり、公爵家あたり? 城は目立つから建てられない、いや、目眩ましをかければイケる。
どれだけ大きかったら、優希は喜ぶかなぁ。
僕と二人で。
それは、とても――――。
「モリ? どした? 大丈夫?」
少しぼーっとしてる僕を気遣う。僕の為に泣き、全く警戒心を抱くことなく近付き、躊躇いなく手を伸ばす。
そんな貴女が、愛しくて、浅ましくも。
「――欲しい」
「お? そんなに食べたがってるなんて嬉しいよ。混ぜるのもう充分だよ。ありがとう。さぁさぁ、休んでて後はやるから」
ニィと口角が上がる。まだ、駄目。
もっと、優希が僕を欲しがってくれないと。
ニヒャッと笑ってまた作業に戻る優希を眺める。
これは、この温かいものは、全部纏めて一欠片も溢さず僕が貰う。誰にもあげない。
ぼーっとしながら、鍋を掻き回してしている優希にまた手を伸ばす。
本当に隙だらけなんだから。
少し、自覚して欲しい。
少し、警戒心をつけて欲しくて耳に悪戯する。
いい匂い、可愛い耳に息を吹き掛けて、舐めて味見をしてかじる。
「っふぎゃーっ!!」
「あっぶないよ?」
盛大に驚いた優希は、鍋を落としそうになった。
「なん、な、何すんだー!」
真っ赤になった優希が、とても愛らしい。
お腹も、耳も、首も色んな所が反応良くて、潤んだ目で耳を押さえながらこちらを睨む優希は、下半身に直撃だった。
「ゆうき……」
思わずまた手を伸ばすと、複数の足音が近付いてくる。チッ。
叫び声を聞いて宿屋の従業員が何事か駆け込んできたけど、優希が対応してた。僕が散らそうとしたら止められたから。
「夜中に大声出してしまい、すみませんでした。あ、はい。どうぞどうぞ。明日お渡ししますので! 味見してみて下さい」
人間に囲まれ普通に会話している姿を見ると、とても自然で、正しい形の様に思えて不安になる。
対応の終わった優希は、とてもいい笑顔で鍋を掻き回して絶対目を離さず焦がすなよ? と言う。
逆らっては駄目だと本能が告げる。
言われた通り、鍋から目を離さずゆるゆると鍋を混ぜることにした。
「全く、危ないって言ってるのに……」
「何で味見させるの? 僕のなのにぃ~」
「ん? 誰のせいかな? ん?」
「むぅ」
「そんな可愛い顔しても駄目! 味見くらいで許してもらえて良かったよ」
「むぅ。僕のおつ、かれー様会なのに」
「何のカレー? そして誰せいだい? 拗ねた姿が無駄に可愛いんだよ! ヒロインかっ!」
反抗的な態度でも許容するその優しさは、僕を更に付け上がらせるだけなのに。
笑ったら駄目だと思いつつ、ドロッとしてくる鍋を見つめながら口角が吊り上がる。
「コンデンスミルク見詰めて笑ってる……モリは、甘味好きなんだね」
下拵えが終わった後、部屋に入った優希にセイザという座り方を教えられる。これは、何かあった時に直ぐ動けない恐ろしい座り方だ。
何だか機嫌が悪そうだけど、宿に泊まった時からそうだった。奴隷は基本人と同じ扱いはされない。
その事にずっと不機嫌になってた。
でも、今は僕に怒ってるみたい。
「ちょっとモリ!」
「なぁに?」
「料理中、変なちょっかいかけるの止めてよ!」
「へぇ? 料理中じゃなければ良い?」
「人はそれを屁理屈と呼ぶ!」
むきーっと聞こえてきそうな優希は、可愛い。
僕は多分、どこまで許してくれるのか試しながらも、純粋にこのやり取りが好きなんだ。
良い事を思い付いた! という顔で僕に話し掛ける。フフ、なんて分かりやすい表情。
「モリ君や、君は味見したくないのかね?」
「味見?」
「さっき作ってきた調味料の数々! ちょっと味見させようと思ったのにな~」
味見……味見。そろそろ僕も。
「味見……したい。ご主人様、の(を)食べたいな」
「そうであろう、そうであろう。では反省!」
可愛らしく胸を張り、得意気に話す優希は小さい子の様だ。正直に、反省するとしよう。
「うん。料理中に、耳かじってごめんなさい」
「ピンポイントだね」
「耳がご主人様の弱点で、可愛いと思ってごめんなさい」
「は?」
「感じやすいご主人様が可愛い過ぎて、もっと触りたいとか舐めたいとか思ってごめんなさい」
「ふぁっ?」
「ふぎゃ~なんて可愛い反応するから、思わず押し倒そぅむがむが」
照れる優希に、口を押さえられる。
手は小さくて柔らかくて、水を触っていたからか、冷たくしっとりしていた。
何よりそそる、甘い香り。
我慢出来ずに、一舐め。
「なっ、へ、変たっひぎゃーっ! やめ、ひゃめ」
直ぐ離れようとするから掴まえて、手の平全体舐めあげた。
先に触れたのは優希でしょ?
ふるりと震える身体が、僕の舌で感じていることを教えてくれて。
「あぁ、ご主人様はここも弱点なんだねぇ」
伸ばした指先に触れる頬は、確かに熱く。
「ウフフフ……真っ赤で可愛い」
もう、我慢出来ない。
まだ早い駄目だ……っでも、オイシソウ。
……っ?! 脚が麻痺してる?
図らずとも無意識に優希を腕に閉じ込めて、望んだ体勢になったのに! 足が! 足がぁ!
「は……ぁくっ、ご主人様ぁ、助けて……」
「ひっ」
「あ、足がぁ~助けて~。ご主人様、足が、足がビリっビリするぅ~」
「…………は?」
「どうやったの? 魔力感じなかったのに足が」
何をされたんだろう?
おかしい何も感じなかったのに……。
「うぅう……足が……」
「ふん! 味見ナシ! 椅子で眠れば? おやすみ。それ、正座のせいだよ! 天罰!」
うぉあぁ! なんて恐ろしい、セイザ!
動けず、手と膝を突いたまま暫くぷるぷるしてた。
やっと回復すると、既に眠っている優希。
やっぱり、ちゃんとしたベッドが良いか。
森の奥に建てようかなぁ。どこが良いかなぁ。
僕は、そっとベッドに近付くと腰掛ける。
瞼を開き、以前手に入れた目で優希を見つめる。
お守り(偽)を外して黒髪に戻った優希の髪は、水の流れのように抵抗なくサラサラしている。
「……ご主人様? 罰を与えるなら鎖で拘束か放り出すか腕をもぐとかしなきゃ駄目だよ? だからこうやって、付け込まれるんだ」
髪を撫でていた手で頬を触る。柔らかい。
触っているとスリリと手に頬を擦り付ける優希。
あまりに無防備で、無警戒。
何故そんなに信用してくれるのか。
「奴隷に手料理御馳走したり、お願いしたり……代わりに涙を流すなんてしちゃいけない。飢えてるんだから。隙を見せたら、頭からバリバリ食べられ……」
あまりにスカーッと大の字で眠る優希を見て、悩んでいるのが少しおかしくなった。
「……隙しかないから、食べても良いよね? 僕は優しいから味見だけにしてあげる。僕が我慢できなくて食べちゃう前に……早く、早く欲しがって?」
優希の唇に同じものを重ねる。執拗に優希の唇を舐る。顎に指をかけ少し赤くなった唇を割り、自分の舌を差し込む。その奥までゆっくり深く。
応えてもらえない物足りなさと少しの不安、気付いて欲しいと思う勝手な想いが、更に執拗に深く続けさせていく。
ふと優希が舌を食むように動き、カッと熱が上がる。が。
「ん……ぅう……」
「おっと、ここから先は意識ある時がいいよね?」
「……まぐ……ろ」
「またマグロ?」
この状況になると大体『マグロ』が聞こえた。優希の寝言は9割食べ物だ。
自分は怒られたばかり。
また怒らせてしまうと思ったら、名残惜しくも引いた。やっぱり意識ある時に、応えて欲しいなぁ。
マグロも聞いてみよう。
「さて、目を取り戻した事いつ言おうかな~」
ただの水を奇跡の水と言って、目の前で飲んでみる? ある日突然治ったと言ったら疑わず信じてくれそうだなぁ。流石に無いか。
優希は、紫眼を見たら何て言うかな?
僕は、優希の顔の横で丸くなると、良い案が思いつかないまま眠った。
苦しくて意識が浮上する。
感知行うと、優希に抱え込まれ腕枕されていた。
これじゃ逆だよ。おでこにペシと前足を置く。にへと笑う優希が可愛くて、鼻と口を舐めた。
「ん、ミケ?……口くさ……」
……僕は、即浄化をかけそろりと腕を抜けて、人身になってうがいをした。
口くさ口くさ口くさ……。
そして、人身でたっぷりキスをした。
腕の中で優希がマグロがってもがいてたけど、そのまま続けてみた。
昼御飯の時間を過ぎた頃起きた優希は、何だか納得がいかない顔をしてブツブツ言ってた。直ぐ気を取り直して、料理の準備を始めた。
出来上がったものを見ていると、色彩は分からないけど温かいものから冷たいもの、それにとてもいい匂いがする。
料理を並べるのを手伝おうとしたら、もてなされる側だからと1つしかない椅子に座らされた。
一皿一皿、丁寧にテーブルへ並べていく。
自分でも逸脱した行為があるから、何とも言えないけど、僕……奴隷だよねぇ?
小さな身体を精一杯反らして笑顔で言ってくる。
「さぁ! 食べるが良い!」
優希が作った。僕の為に、僕の為だけに。
口元が緩むのが抑えられない。
例え……いや、何であろうと完食しよう!
「いただきます」
優希の真似で、手を合わせる。頑張る!
パク……意識が飛んだ。
カッ、ガツガツガツ。
「も、もり?」
ガツガツガツガツガツシャクシャクモグモグ
「もりさんや?」
ガツガツガツガツモグモグモグ
「も、もりもり?」
あ、ごしゅじんさま。
「ごしゅ、んぐ、じんむぐさま……おいしい」
「よ、良かったね?あの、それより」
ごめん。疑って本当にごめん。
嬉しい。美味しい。
「何これ、美味しい」
「あ、うん。あの、それより、ね?」
美味しい。おいしい。うれしい。
……あり、がとう。ありがとうありがとう――。
ひたすら1つの言葉しか思い浮かばないでいると、あの痛い感覚が来た。
鼻の奥が絞れる様な痛みで、色彩のある世界がボヤける。
目の前で優希が、呆けた顔からギョッとして僕の顔の下に手を差しのべる。
「モリ、目玉、落ちる、大変」
「…………えっ?! あっ?!」
……嘘。気付かなかった。
いつの間にか目が開いてた!
ど、どどどど……どうしよう!?!?
どうしようどうしようどう。
「あ~。アー、ゴ主人様ノゴハンデ目ガナオッター! ワーイ?」
「っマジでっ?!」
「ぇ?」
えっ?!
まさかの状況に固まってると、優希が抱き付いてきた。
「良かった、良かったね! よ゛がっだぁ~!」
「……」
「凄い! 地球料理、す、すごいよ~!」
「うん……うん、ありがとう。ありがとう、ご主人様のお陰」
――――あぁもう、貴女は、なんて――――。
「モリに目玉生えて良かった~!」
「……う? うん。……うんそうだね、ご主人様は最高だよ。……僕、幸せだ」
「地球の料理がだよ~!! うわぁ~ん!」
抱き付いて全身で喜んでくれる優希が愛しくて、可愛くて、嬉しくて、僕も抱き締め返す。
こんなに、感情が動くことなんてなかった。
人間の国に潜入した時でさえ、何を食べたかなんて記憶にも残らない程薄い。
何故優希が僕に与えるものは、こんなにも温かさに満ちて、嬉しくて、何故か罪悪感に駆られる複雑なものなんだろう。
圧倒的に、正の感情が大きいけれど。
優希は、ボロボロ泣きながらニコニコ笑って膝の上で僕に食べさせてくれるんだ。
あ、鼻水が。うん。
「グスッ。もっと食べなよ。折角生えたんだから! もっと作ってくる? モリ? 溢れたら大変だから、まだあんまり目開けない方が良いんじゃない?」
「あー、うん。ご主人様は、そのままでいてね……。もう、充分だよ。優希も食べて?」
優希、でも、でもね? こんなにすんなり信じられると、言い知れぬ不安に駆られるんだ。
僅かでも良いから、疑って欲しいと何故か考えてしまう。
そんなに、僕を信じないで。
信じてもらえて嬉しいのに、信じられて不安になる。なんて我儘勝手な考え。
貴女がくれる感情はあまりに温かくて、光ばかりを追い掛けてきた僕には、いざそこに立たされると身を隠す暗い場所を探してしまうんだ。
貴女もいっそ自分と同じ場所まで堕ちてくれないかと、密かに、一筋の髪ほど細く想う。
ドンドンドンッ!
暗い考えに浸りそうになっていると、突然部屋の扉が叩かれる。
僕が反応する前に優希が直ぐ様、はい! と応える。だからそういうとこ!
目を閉じた直後、こちらが開ける前に、無遠慮に部屋へ侵入するのは宿屋の主人と女将と息子。
こちらを見た3人は、隠しもせず皆顔をしかめる。
うん、分かる。奴隷が椅子に座って、主人が立ってるしね。優希もいることだし、どう血を流さず穏便にここを出ようか考えながら立ち上がろうとすると、クイッと肩の服を引かれ、優希が横に立つ。
は? あれ? 優希? 何してんの?
「どうされました? こちらが開ける前に入られるとは、余程急ぎの知らせがあるんでしょうか?」
ちょっと? 何怒ってるの? そして誰?
ウチのご主人様、こんなに凛々しかった?!
3人は、罰が悪そうな顔をしたが、直ぐ立ち直り喋り出す。
「いや、申し訳ありません。急ぎお伺いしたい事がありまして」
夫婦二人が優希に謝罪をしていると、息子は僕に向かって嫌悪を示してくる。
「おい。奴隷ごときが、人間様差し置いて何座ってんだよ。汚れるだろうが! 今すぐ部屋から出てけ。空気も悪くなる。人間同士で大切な話があんだよ。奴隷ごときが聞いて」
ガンッ!!
え? てっきり息子が蹴ったのかと思ったら優希が壁を殴っていた。
何してるの?! 手を見ようとしたら、肩に力がかかる。どうして?!
「あら? 失礼しました。私の嫌いな虫が湧いていたので。それで? 私のモリに何か?」
「……あ、いや」
驚いた息子は直ぐに下卑た笑いをし、
「はっ! なんだ、子供かと思ったら性奴隷連れてんのか? こんな穢れたの銜え込むんなら、ちゃんとした人間の男を味合わせてやってもいいぜ?」
僕が動こうとしたのが分かったのか、肩を掴む優希の手が更に強くなる。
動くなってこと? どうしてこれも殺しちゃ駄目なの? 僕のご主人様を侮辱したのに!!
「……それで? 何のご用ですか? 何か規約違反でもしましたか? ならば直ぐに出ますが?」
優希が息子を無視して夫婦に話しかける。
夫婦はハッと戻ると。
「あ、息子がすみません。違うんです。あの、味見をさせて頂いた調味料の事をお聞きしたくて」
「そ、そうです! ジョン、アンタは黙ってな! お客様、私達に味見をさせてくれた調味料なんですが、アレの作り方をどうか教えて頂きたく」
息子のジョンは、気に食わないという顔をして離れる。
いざとなったら、優希の目を塞ぎ全部静かに片づけて逃げれば良いかと考えていたら、優希が僕の前に出てくる。優希の小さな背が前に。
何、してるの?
後ろに回した優希の手が目の前でぐーぱーしている。壁にぶつけた部分が赤くなっていて、涙が簡単に滲む。
こんな、なんで、痛いことして。
「あぁ、アレの作り方ですか」
「っはい! 素晴らしい味でした! 今まで食べたことのない深みのあるあの味! どのように作られたのでしょうか?」
「ふぅん……教えても良いですよ」
僕が優希の手を擦っていると、ぎゅっと握ってくる。どしたの?
掴まえた僕の手をぎゅむぎゅむ揉んでくる。
痛くないって言ってるの?
僕もぎゅむぎゅむ握り返しながら、教えちゃうのやだなぁと思った。
「本当ですか?! あ、あの私共にはそんなにお支払い出来る謝礼があまり用意出来ないんですが……」
「え? タダで良いですよ?」
「本当ですかっ?!」
「ええ、但し、そこの息子さん」
「えっ? へへ、俺?」
何を思ったか顔を緩ませ優希の前に出てくる。
「私のモリに吐いた暴言を謝ってください」
「はあ?」
……は?
「とても気分を害しました。それさえして頂ければ、タダでお教えします」
「ふざけんなっ! なんで俺がこんな奴隷に!」
「では、教えません」
「はあ? イカれてんのか!? なんで人間様が」
「教えません」
「ジ、ジョン! 言っちまいな! あの味がありゃどこでも勝負出来る!」
「ああ?」
「ジョン! 一言言うだけだ! 言え! 目ぇ瞑ってりゃ、奴隷だろうとなんだろうと関係無い!」
「クソが!」
優希の手がギューっと強く僕の手を握り、震えてる。
けど、僕の前から退いて横に立つ。
息子は優希の前に進み、苦々しい顔で睨みつける。そんな息子を優希は無表情の冷たい目で見ている。
貴女がそんな顔も出来るなんて!
自分に向けられたものではないのに、あれが僕に向けられたらと思うと、勝手に胸が軋む。
「クソッなんで俺が……申し訳ありませんでした」
「……ふぅん? そうですかそうですか。分かりました。では、準備がありますから、出て行ってくれますか?」
あ、怖い笑顔。
「あ、はい!」
「お待ちしてます!」
「チッ」
3人が出ていく。
教えちゃうのか。仕方ない。僕に謝らせて何がしたかったのか、後で聞いても良いかなぁ。
「ご主人っぶ!?」
兎に角ぶつけた手を見せてもらおうと、声をかけるが、優希が座っている僕の顔を抱き潰してきた。
「ごめん、モリ、ごめん。ちゃんと守れなくてごめん。嫌な思いさせてごめん。きちんと謝罪させられなくてごめん」
「な、に……?」
「頼りなくてごめん、ごめ、よぅ」
僕の頭を抱え込む優希は、声も身体も震わせて沢山謝ってくる。
このままでいたいけど、確認しなきゃ、まさか、優希は。
「ちょっと待って? 優希、何言ってるの?」
僕からそっと引き剥がして、顔を覗き込む。
顔がぐちゃぐちゃの僕のご主人様は、僕から目を反らして実に悔しそうに言う。
「あのクソ息子にちゃんと謝罪させられなかった。モリをちゃんと守れなかった。嫌な、おも、思いさせ、た」
ぽろぽろ流れる涙を見ていた。
悔しそうなのに紡がれる言葉が、柔らかく耳から脳に浸透した。
呆けていると、また抱き締められた。
温もりが僕の身体に移る。
背中をあやすように叩かれ、宥めるように頭から撫でられる。
ゾクッとした。
全身の肌が粟立つ。
身体が震える。
「あんなクソ息子が言うことなんて、全部違う。モリは、格好、いいよ。モリは、優しい。モリは、綺麗だよ。可愛くて、楽しくて、面白くて、強くて、最高に綺麗な存在だよ。誇っていいよ」
震えが、止まらない。息が、苦しい。
耳に入る言葉の一文字でも聞き逃したくなくて、与えられる温もりも離したくなくて、僕は、優希を掴まえる。
「温かくて、たまに、消えちゃいそうなくらい儚くて……微妙に腹黒で、たまにふてぶてしくて、ドMで……」
……うん。よし、そろそろ良いか。
「ご主人様、僕を守ってくれたの?」
「ま、守りきれなかっ、だ。ごめ゛ん゛ぅっ」
また顔を歪ませて謝ってくる優希をぎゅうぅぅと抱き締める。
「守る……僕、ご主人様に守ってもらった。ちゃんと守ってくれた。守られたよ、僕」
数えきれない背中を見てきた。僕に向けられた背は、いつもそのまま遠くなった。
背を向けて、そこに留まる人はいないんだよ。
僕を守ってくれる、守ろうなんて思う存在なんて、いないんだよ。
いなかったんだよ。
こんなに小さくて、震えて、怖かったろうに。
それでも、守れなくてごめんと謝る貴女は。
……どうしたら、どうしたら僕をずっと傍に置いてくれるんだろう。
どうしたら、一緒に居続けてくれるんだろう。
離れたくない。
いっそ僕を食べて貴女の中に入りたい。
離したくない。
いっそ貴女を食べて僕の中に仕舞たい。
貴女に逢えて、僕は、幸せだと実感する。
「ギ、ブ……ギブ」
「え? あっごめんね」
「はっ、はぁはぁ。締めすぎだ。ちょっと中身出るかと思った。よし! じゃあ行こう!」
「……うん、分かったぁ。教えるんだね」
やっぱり、あんな奴等に教えるのは勿体ないと思う。
「何言ってんの? 教えるわけないじゃん。逃げるぜ!」
「…………?」
「ほらほら! 荷物纏めて!」
「え? だって、もう一泊して明日は観光って」
「何言ってんの?! こんな腹立つ宿に一分一秒だっていたくないわ! 私はねぇ、モリに謝れっつったのにあんのクソ息子は私に謝ったんだよ? 条件は満たしてない。それに、モリの為の料理を誰が教えるかってんだ! 一口分でも味合わせてしまったのが、悔やまれる!」
「本当に?」
「ん? うん。頼りっぱで申し訳ないけど、颯爽と逃げようぜ!」
「うん、うん。フフ、分かった。颯爽と逃げよう」
僕は優希を抱えて窓から飛び出した。
「二階かりゃ、飛び降りにゃくへも……ひゅっとなった。ひゅっと」
何か言ってたけど、後から聞こう。
人目の届かない所に来て、狼になり優希を背に乗せ、落ちないように魔力で縛る。
最速でいつもの川原に辿り着くと、優希はガクガクしてた。
「ジェットコースターなんて、目じゃないよ。安全ベルト無いもん。あれ? 狼って木から木に飛び移れるんだっけ? こ、腰抜けた」
一息つくと、チラチラと僕の顔を見てくる。
その内真ん前に来て、僕の顔を覗き込み目と目を合わせてくる。
「ちゃんと見えてる?」
「うん」
貴女も見えてる?
「痛くない?」
「うん」
「良かったねぇ~」
忌避色の、紫だよ?
「うん。ありがとう」
「故郷に感謝だな」
「ううん。ご主人様に」
「そうか、じゃあ故郷代表として受け取っておこう」
凄く普通だけど、何も言わないのは優しさなの?
でも。
「気持ち悪くないの?」
「はぁ? 何で?」
「ううん、じゃなきゃいいや」
深く聞くのは、怖い。
「目玉があるとよりいっそういい男だよ、モリは!」
何、いい笑顔で言ってるの。
一欠片の嫌悪も拒否も無く僕と目を合わせて、そんなに沢山の感情を見せる人は、貴女しかいない。
いい男だって。不吉色持ちに。
「フ、へへ」
また、目から水が出る合図。
鼻の奥が痛くて、見られたくなくて、嬉しくて、触れたくて、手を伸ばす。
貴女が、好き。
「ん? むっ?!」
技巧もなく、自然に吸い寄せられるように、ただ唇と唇が触れるキスをした。
「ありがとう。大好きご主人様」
大好き。好き。愛してる。
「ぎ、ぎゃあぁぁ! 私のファーストキスがぁ!」
バキッ!
「ぶふぅっ?!」
優希への愛を再確認したら、殴られた。
「ひっ! やばい! 目は?! 目は溢れてないか?! 大丈夫かぁぁっ!?」
だって優希、獣身の僕に沢山キスしてくれたのに、何となく薄々は分かってたけど、獣身とのキスは数に入ってなかった……。
「ん~、取れそうになった」
「ぎゃあっ! 今すぐどっかの台所借りてこよう! 作ってくる!」
そう言いながら森の奥へと走り出す優希を掴まえて、僕の前に立たせる。
「取れてないか、よく見て?」
「分かった! ちゃんと嵌まってる様だけど、痛みは? 視界は?! これ何本に見える?」
「10本」
「いっ1本だぁ! やばいやばい、折角生えたのに! 私の馬鹿ーっ!! ごめん! 今すぐ作ろう!」
嘘だよ。と、言えなくなってしまった。
僕の目を見て、焦って目を潤ませて、心配してる優希を見ると……ゾクゾクする。
「ん、大丈夫。じっとしてれば平気だと思う。不安だから、こうしてていい? ぎゅってして?」
「よっしゃ分かった!」
僕の方に身体向けて脚の上に乗せると、抱き付いてくる。いつもは恥ずかしがってさせてくれない体勢。
これくらい良いよね? 獣身の僕にキスしてくれたの数に入れてくれないんだもん。
僕は、優希の首に顔埋めて深く息をする。
ピッタリ嵌まるこの体勢、凄く好き。
「モリ、ごめんね?」
「ううん。大丈夫」
「折角生えたのに、落ちたらどうしよう」
「ちゃんと見えるよ、大丈夫。……優希は、僕の目を見て本当に何とも思わないの?」
「へ? 思う事?」
「うん」
「う~ん。強いて言えば」
「…………何?」
「地球の料理が凄すぎてマジやばい」
「……そうじゃなくて、色とか」
「いろ? 色? 色ねぇ、黒っぽい?」
「じゃなくて……紫なんだよ?」
「どら? あ、本当。あ。あんまり開かないで、落ちる」
「どう思う?」
「どう? 思う? 色で?」
「うん」
なんでこんな質問するんだ? という顔で、紫紫、紫ねぇ……と、呟く優希は、パッと笑顔になって言う。
「ああ! 分かった! モリにピッタリ! 高貴な色でしょ!」
「……は?」
「何だよ~、自慢かこの。流石、地球料理。分かってるよね。モリにピッタリだよ、高貴な色なんて! そういえば、白蛇だって、神様の使いだもんね? ……え? マジで? 実は神様の使いなの?」
「…………ぶっ、くっくくく、ぅは、ハハ」
「え? マジ? 本当に? 神様の使い?」
「ぅくっ、ぶっふふふふ、アーッハハハハハ!」
「やべぇ、壊れた。モリ? 大丈夫? 何? 私、天罰食らうの?」
腕の中でオロオロする優希を抱き締めて、何だか可笑しくて可笑しくて、暫く笑った。
「はー、はー、笑うの、ほんと、くるし」
「おぉ、戻ってきたか。大丈夫?」
「うん。大丈夫」
「ねぇ。私天罰食らう?」
「ぶふっ」
「どこが笑いのツボなんだい」
「くっくふっ、な、無いよ、大丈夫」
「本当? 神様の使いを酷い目に合わせて、雷でも落ちるのかと」
「神様の使いでもないよ」
「違うの?! いやでも、こっそりでも良いから教えてよ。誰にも喋らないから」
誤解を解くのに苦労した。
紫は忌避色だと説明したら、
「地球では高貴な色だったから、だからきっと紫になっちゃったんだ。ごめん。また嫌な思いを」
自分を責め始めたから、元からこの色だったと説明する。
「そうなのかぁ。モリ? 目ん玉なんてなぁ、見えれば良んだよ。何の為に目はあるか、見る為だ。色なんか関係無いさ。てか、ちゃんと見えてる?」
「うん。もうちゃんと優希が見えてる」
「本当? 10人じゃない?」
「フフ。うん、たった一人」
「良かったぁ~。ヨシ! モリ、疲れてなかったら、少し崖まで散歩しよう」
「へ?」
「私が、モリは高貴で奇跡で綺麗って証明してあげる」
* * *
崖の近くの岩に二人で並んで座って月を眺める。
優希は、とてもご機嫌だ。
「んっふっふっ。最高に良い夜だ」
「フフッ、そうだね」
僕にとっても、最高の夜だ。
「ねえ、モリ」
「ん?」
「思い出させて申し訳ないんだけど、ここは人間は人間食べるの?」
「へ?」
「いや、クソ息子が人間を味見させるって言ってたじゃん。キモい」
「…………」
――――あぁ、もう、貴女は、なんて、難解。
――数年後――
優希が、目の前で膨らんだお腹を擦りながら笑ってる。
僕も、きっと情けないほど顔が緩んでると思う。
優希が、ニヒャと笑って聞いてくる。
「モリ、幸せ?」
「うん。凄く」
貴女は? 僕は、貴女を幸せに出来てる?
「私もだ」
僕は、欲しいものを手に入れた。
異世界人に無理矢理身体から魂まで売り付けたら、幸せになれました。
お読み頂きありがとうございます。
お付きあい下さいまして、ありがとうございました!
(作者の恥と謝罪と言う名の自己満足)
粗筋に、よーくタグ見てなんて言ってて、間違えていた。
コメディがコメドィになっていた。何だコメドィって?!
恥ずかし(/´△`\)
もし、ん?と思った方、大変申し訳ありませんでした。
……コメドィ。
粗筋で謝罪出来ない小心作者ですみません!