第三話 異世界の中 前編
本日二度目の異世界。
探索のためなのか、制服から迷彩服に着替えたひょろ長と小太りはそれぞれリュックサックを、そして鳴沢はなぜかギターケースを背負っている。
取りあえずギターケースのことを鳴沢につっこむのは後回しにし、まずは隣に立つひょろ長と小太りのお二人に、本日の活動内容をお伺い立てしてみることにしますか。
「んで先輩方、この後どーすんすか?」
「うむ。今日は新学期という事もあり授業もない。現在の時刻は午後二時。ということはだ、室生後輩。今日は下校時間である夜九時までの七時間も探索ができるということなのだよ!」
今日から俺と鳴沢が通うことになった天津ヶ原学園は、各運動部がなかなかの好成績を残していて、その練習時間を確保するため最終下校時間がわりと遅い。だもんだから、どうやらひょろ長は時間いっぱいまでこの『異世界』を探索するつもりのようだ。
俺は部室に置いてきたカバンに昼飯のパンとお茶が入っているのを思い出し、「今日は昼抜きかよ……」と、持ってこなかったことを激しく後悔する。
「さて諸君、準備はいいか?」
「はーい」
「デュフフ、拙者はいつだって覚悟完了でござるよ。九条殿」
「うーす」
ひょろ長の言葉に鳴沢と小太りが頷き、俺はてきとーに返事を返す。
「よし! では行くぞっ!」
その言葉と共にひょろ長は先頭きって歩き始めた。進む方向に迷いが感じられないあたり、探索したい場所ってのがちゃーんとあるみたいだ。
肩で風切るひょろ長のあとを小太りが続き、その後ろを俺と鳴沢が並んで歩く。
「なあ鳴沢、お前なんでここにギターケース持ってきてんだよ?」
「なあに龍巳、ボクのコレが気になるの?」
と、背負っているギターケースを後ろ手でぽんぽんと叩く。
「まあ、この場所に持ってくるにはおもいっきり不釣合いだからな。気にするなって方が無理だろふつー。まさかとは思うが……それ、ギターケースに偽装したマシンガンとかじゃないだろうな?」
「ちょっとちょっとー、『マシンガンじゃないだろうな?』って……ぷぷ、やだー。龍巳ったらアクション映画の観すぎだよぉ。そんなことしたら、じゅーとーほー違反になっちゃうでしょ。そんなわけないって、もうっ、可笑しいなぁ。うぷぷ……あんまり笑わせないでよねぇ」
俺の質問に大ウケした鳴沢がけらけらと笑う。
いったん笑い収まっても、数秒ののち「ぷぷっ、」とまた吹きだすもんだからたちが悪い。
「へーへー、悪ぅござんした。ったく、そんなに笑うなよなぁ」
「えー、だって龍巳が面白い冗談言うんだもん。そんなの堪えられないよぉー」
鳴沢とそんなやり取りをしていると、先頭を歩いていたひょろ長の足が止まる。
「ここが……結界の境界線だ」
そう言うひょろ長の目の前には、黒と黄色の虎カラーのロープが張られていた。おそらくはあのロープの向こう側が『結界の外』ということなのだろう。
「諸君、我々の身を護ってくれている結界はここまでだ。あのロープを一歩出れば……常に危険と隣り合わせなデンジャーな世界となる」
そこでいったん区切り、ひょろ長は振り返って俺たちの方を向く。
「ゴブリンがいるだろう。オークも出るだろう。他のモンスターとだって遭遇してしまうかも知れない。……だがっ、我々はそれでも進まなくてはいけないのだ! すべてはエルフと運命の出会いを果たすためにっ!! 諸君、覚悟はいいな?」
自分に酔いまくってるひょろ長の言葉に、神妙な顔した鳴沢が頷き、小太りが「デュフフ、拙者は獣耳」と訂正を入れ、俺は今日の夕飯の事を考えながらてきとーに返事しておく。
「ではいざ行かん! エルフがいる約束の地を求めて!!」
ひょろ長がロープをくぐり、俺たち残り三人もそれに続いてくぐる、が、なぜかひょろ長がそこから先に進もうとしない。
「さて、ここからは先は未知の領域となるわけだが……ここで、探索に適した陣形に変えようと思う! 室生後輩、一歩前へ出たまえ」
「なんすかいったい……」
ひょろ長に言われるがまま、俺は一歩前へ出る。
「室生後輩、隊の先頭は君だ。なんせ唯一の戦闘職だからね。続いて鳴沢後輩、その後に僕で、殿が西園寺だ! 異存はないな?」
「いや、ありまくりなんすけど……」
「なんだい室生後輩? ひょっとして進行方向のことかな? それなら心配しなくていい。僕が後ろから指示を出すからね。君はその通り進んでくれればいいよ」
不満顔の俺なんかお構いなしに、ひょろ長が「任せてくれ」とばかりに自信に満ちた笑みを浮かべる。いや、ひょっとしたら、俺の不満を分かった上で自分の意見を押し通そうとしているのかも知れない。だって目が泳ぎに泳ぎ、おでこに次々と汗が噴き出してきてるし。
「いやだから……って、もういいすっわ。んじゃー、一番室生、先頭行きまーす」
「続けて二番なるさわー、龍巳に続きまーす」
先輩様の指示に従うのは後輩のさだめ。
俺は仕方なく憮然とした顔のまま投げやりな言葉を発し、それに鳴沢が楽しそうな声を合わせる。
「んで先輩、どっち行ったらいいんすか?」
「うむ。室生後輩、まっすぐだ。まっすぐに進みたまえ!」
「うーす」
びしりっ! と前方を指さすひょろ長に従い、歩き始めようとすると、
「デュフフ……室生殿、これを使うでござるよ」
と、小太りがリュックから鉈を取り出し、後ろからそれを手渡してきた。
先頭の俺が鉈を振るい、後続のために道を切り開けってことらしい。
「へいへい、分かったっすよ」
俺はそれを受け取り、目の前に生えてる背の高いぼっさぼさの草や、木から釣り下がってるツルを切り払いながら進むのだった。
どれぐらい進んだのだろうか?
俺の後ろでは緊張することに飽きた鳴沢が「なんも出ないねー」と不満げに漏らしている。
「先輩、出発してどんぐらい経ちました?」
「ちょっと待ちたまえ……ふむ。結界の外へ出てからだいたい三十分、といったところか。こんなに歩いたのは久しぶりだからねぇ。僕の足はもうパンパンだよ」
「デュ、デュフフ……せ、拙者もそろそろギブアップしたいでござるよ。まあ、室生殿がおんぶしてくれるのであれば、拙者、まだまだ頑張れるのでござるが……」
後輩に「進め」と偉そうなことを言っておきながら、体力のないひょろ長と小太りは足が限界にきたみたいで、ひょろ長が「はぁはぁ」と、小太りは「ふしゅー、ふしゅー」と荒い息を吐き、両足はガクガクと震えている。
舗装されたコンクリートの平たんな道と違い、起伏の激しい森では歩くだけで体力を消耗する。むしろ、体力がないくせに三十分も持ったことに驚きだ。
「鳴沢、お前は大丈夫なのか?」
「うん。ボク毎日、朝晩十キロ走ってるからまだまだ余裕あるよ。偉いでしょー?」
そう言うと、鳴沢は腰に手をあて得意げに胸を逸らす。その折、どーんと突き出る双丘を見たひょろ長と小太りが前かがみになっているのは、同じ男として分からんでもないが、このさい無視することにした。
「先輩、どーします? まだ進みます? すれとも引き返――」
「室生後輩! 憶えておきたまえ、我が部に『後退』の二文字はない! 我々は覚悟を決め結界の外へと出たのだ。なんの収穫もないまま引き返すことなどありえんよっ!」
体力のないひょろ長と小太り、二人のためを思っての提案だったのだが……それを言葉を被せたひょろ長があっさりと拒絶する。
「うっす。んじゃー進みますか」
「い、いや、待ちたまえ! 結界の外へと出てちょうど三十分。ここいらでいったん休憩しようではないかっ! なあ西園寺?」
「デュフフ、さすがは九条殿。ナイス判断でござるよ」
進もうとする俺をひょろ長が慌てたように制止し、ひょろ長の提案に賛同した小太りが俺や鳴沢の意見も聞かずに、どかりと近くの木の根に腰を下ろす。続いてひょろ長も座り込み、「ふぅー」と勝手にひと息ついていらっしゃる。
「んー……しょうがないなぁ。龍巳、ボクたちも休もっかー?」
「だーな」
そんな自分勝手な先輩方を俺と鳴沢の二人はジト目で見ながらも、仕方なく二人して近くの木の根に腰を下ろす。持っていた鉈は足元の地面に突き刺しておいた。
「うー、なんも出ないねー。もっとこう、ワクワクドキドキするような展開望んでたのになー」
唇を尖らせた鳴沢が、不満から足をぷらぷらさせている。ひょろ長が「うーん、いまなんじなんだー」と棒読みで時間を確認するふりをしながら携帯を向けているところを見ると、ひょっとしたらスカートの中の秘密な部分があらわになっているのかも知れない。とりあえずこんど満臣さんに報告しておこう。
「鳴沢、唇が突き出てんぞ」
「うぅー、だって退屈なんだもん! せっかく今日に備えてトレーニングしてきたのにさー。期待が大きかっただけにガッカリだよ」
そう言うと、今度はぷくーと頬が膨らむ。
こいつは昔から感情を隠すのが下手くそで、思っていることがすぐ顔に出る。まあ、裏表のないこいつの性格はひねくれ者の俺にとって気持ちがよく、一緒にいて飽きないのだが。
「なんだよ『トレーニング』って?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれたね龍巳くん。ボクはねえ、この『異世界』に来るために、それはそれはきびしートレーニングを重ねてきたのだよ」
再び得意げに胸を逸らす。
「へえ、どんな?」
「んとねー、まずは朝晩のランニングでしょ。次に近所の区立体育館でトレーニングマシンを使って筋力上げてぇ、あぁっ! あと剣道と柔道の道場にも通ったよ! どうだ? すげいだろ?」
と、にっこり笑って顔の前でVサインする鳴沢。
元々鳴沢は頭が良かったとはいえ、受験勉強の合間にもいま言ったトレーニングを続けていたとなると、相当な努力家と認めざるをえない。それだけの魅力がこの『異世界』にはあるのかも知れないが……いかんせん俺には理解できない領域だな。
「へー、頑張ってんじゃん」
「でしょー? でも龍巳が自分のとこの道場に通わせてくれてれば、あっちこっちいろんな道場に行かなくても済んだんだけどね」
と横目で睨まれてしまう。
「んなこと言ってもだなぁ。うちの流派はいまどきにしては珍しく、『身内にしか教えちゃいけない』って掟らしーんだよ。まあ、それ以前に世間の『格闘技』とは稽古内容の次元が違うから、そういった意味でも身内じゃない奴には教えない方がいーんだけどよ」
鳴沢からの、「ふーん」という声と共に向けられる疑いの眼差しを肩をすくめて捌き、次いで心の中で、
(稽古で死なれても困るしな)
と付け加えておく。
物心つく前から爺さんと親父から受けていた稽古に、幼き日の俺はなんの疑問も抱きはしなかったが、思春期を迎えたいま、俺を鍛え上げたあの稽古の数々がどれほどクレイジーだったか分かっているつもりだ。正直自分でもよく生きてたな、と思うぐらいに。
「まー、そーゆーことにしといてあげるよ、龍巳」
「そーゆーことにしといてくれると助かるぜ、鳴沢」
そう軽口をたたき合い、互いにしばらく睨み合ったあと、同じタイミングで「ぷっ」と吹きだす。
「あはは、もうっ、でも良かった。龍巳元気出たみたいだね」
「あーん? どういう意味だよ?」
「だってさ、こーゆー会話ってなんだか昔みたいじゃない? 最近の龍巳ずーっとテンション低くて、なに話しかけても上の空だったし……これでも心配してたんだからね」
とまた睨まれてしまう。
でもまあ、確かに中学時代に戻ったかのようなやり取りだった。ここ数か月の俺が無気力で宙ぶらりんだったのは、自分でもよく分かっている。そんな俺を鳴沢はずっと心配してくれていたらしい。まったく……幼馴染さまさまだな。
「そりゃ心配かけてすまなかったな。ちょっといろいろとあってな……『やる気』ってやつをごっそり無くしちまってたんだよ」
「……大丈夫なの?」
「おう。いまんとこ大丈夫だ。ここ、異世界ってとこに興味が湧いてきたからな」
「ならいいけどさ……でも、悩みとかあったらいつでもボクに相談してよねっ!」
「そりゃ当然だろ。なんせ幼馴染なんだからな。俺が相談事を持ちかける時は、いつだってお前が一番に決まってる」
心配そうに俺の顔を覗き込む鳴沢の頭に手を置き、ぽんぽんと優しく叩く。すると鳴沢は「へへー」と言い、嬉しそうに目を細める。そういえばこいつは昔からこうされるのが好きだったな。なんか数年ぶりにやった気がする。
「あー……ゴホンッ! 鳴沢後輩、室生後輩。盛り上がってるとこすまないがっ、そろそろ出発しないかいっ? 僕も西園寺も十分休んだしねっ!」
遠慮がちな言葉に反して、その表情に一切の遠慮がないひょろ長が立ち上がり、「デュフフ、リア充は死ねばいいでござるよ……」と不穏な言葉を発しながら小太りも立ち上がる。
二人ともなぜかその顔には隠し切れないほどの怒りと妬み、そして同じだけの哀しみが浮かんでいた。
「へへー。よっと。はい、龍巳」
ひょろ長と小太りの視線を受けた鳴沢が、恥ずかしそうに顔を赤めながら立ち上がり、手をさし出してくる。
「へいへい、さんきゅ」
その手を取って俺も立ち上がった瞬間、首筋にもぞもぞとなにかくすぐったいような感覚が走った。
「……!?」
すぐさま背後を振り返り、森の奥を見据える。
(この気配……なにかがいる!)
そう、俺は森の奥からこちらに向かって『何か』が近づいてくる気配を感じたのだ。
「龍巳……ど、どうしたの急に?」
そんな俺の変化を敏感に感じ取った鳴沢が、不思議そうな顔をして首を傾げる。
「鳴沢、それに先輩らも。……『何か』がこっちに近づいてきてるっす。警戒して下さいっす」
そう言い、俺は鳴沢を背後に庇うように立ち、ひょろ長と小太りはとたんに狼狽えだした。
「なななな、なんだって室生後輩!? なな、『何か』とはなにかね!?」
「そんなん知らねーっすよ。……来ます」
そう言葉を発すると全員が俺と同じ方向へ顔を向ける、と同時に、
――ガサガサ――ガサガサ――
草木を掻き分け、何かがこちらに向かってきている音が聞こえる。
「龍巳……ど、どうしよ?」
「鳴沢は後ろに下がってろ」
俺は鳴沢を後ろに下がらせる。
さっきよりも音が大きくなり、その音から複数が移動していること、そして「カチャカチャ」と微かに聞こえる金属音が、相手が何かしらの道具を所持していることを告げていたからだ。
その数秒後、草を掻き分け、緑色の肌をした異形な者が次々と出てくる。
数は三。
身の丈は一メートルほどしかないが、逞しいその手には西洋風の剣や手斧が握られていた。
ひょろ長が自分の目の前に現れた異形の者たちを呆然と見ながら呟やく。
「そ、そんな……あ、あれはまさか……」
腰が抜けたのか、目の前の存在に呑まれたひょろ長がぺたんと尻餅をつく。
代わりに鳴沢が、ごくりと生唾を飲み込み、
「……ご、ゴブリン……」
と、搾り出すのだった。