第二話 Voyage 01:陽炎(かげろう)の気まぐれ
魂の造船図書館が、にわかに騒がしくなろうとしていた。
滅多に姿を現さない、とある神が降臨するという報せが入ったからだ。
――太陽神ヘリオス。
古来より太陽そのものとして崇められている神である。
占星術において、太陽の惑星神はアポロンとヘリオスが司っているが、迷い人の人生にあまりにも大きな地殻変動が伴う場合、
決まって現れるのがこのヘリオスだった。
ヘリオスは今回も、一人の迷い人の人生が大きく変わる予感を察知し
急遽、黄金の馬車の進路をこの図書館へと変更したのだ。
「最悪よ!通信室のメセンブリアから、
黄金の馬車がこっちに向かって急降下してくるって報せが入ったわ!」
第四世代の“ホーライ”であり、
献酒の女神でもあるスポンデが、
息を切らして一階の受付へ駆け込んできた。
「掃除機! ヘパイストス製の最新型を全部出して!」
秋分の日が過ぎ、
ようやく一息つけると思っていた秋の女神・ポティノポロンは、
目を丸くしてスポンデを見つめた。
「どうしたの、スポンデ。キッチンからそんなに慌てて降りてきて」
九月を司るスポンデは、
もはや丁寧な口調を維持する余裕すらなさそうだった。
「ヘリオス様よ!
あの御方が、黄金の馬車の進路を変えたの。
あと五時間でここに降りるわ!」
その言葉に、ポティノポロンの顔色が変わった。
太陽神ヘリオス――歩く太陽そのものである彼が来れば、
図書館のすべてが熱に晒される。
「えっ、嘘でしょ!? ホコリ一つで引火して、
この図書館が炭になっちゃう!」
ポティノポロンは即座に館内放送のスピーカーに飛びついた。
「緊急連絡! 緊急連絡です。
五時間後に太陽神ヘリオス様がご降臨されることになりました。
ホコリ一つ残っているだけで火が燃え移る危険性があります。
現在、館内にいる“ホーライ”は至急、一階ロビーまで集まってください!」
秋の味覚で少しふっくらした体を揺らしながら、
ポティノポロンは清掃用具室へ駆け込んだ。
神の工匠ヘパイストスが開発した、静電気を利用した最新型の掃除機を
五台、その他もろもろの清掃用具を必死に引っ張り出す。
数分後、図書館内にいた“ホーライ”たちが、一階受付へと続々と集結した。
一階の館長室で仮眠をとっていたカイロスも、
館内放送のノイズで目を覚ました。
「お前は、何をしに行くつもりだ」
受付へと向かおうとしたカイロスの背中に、
冷徹な声が突き刺さる。
館長のクロノスだ。
「お手伝い、お手伝い!」
カイロスはどこ吹く風といった様子で、ひらひらと手を振って応えた。
「はぁ……。お前はろくなことをせんのだから、ここにいろ」
「えーーっ」
クロノスの頭痛を堪えるような溜息を背中で聞きながら、
カイロスはちゃっかり館長室を抜け出した。
そのまま中央の美しい螺旋階段を駆け上がり、踊り場から眼下を見下ろす。
「うひょ〜! 壮観、壮観。
これだけのメンツが揃うなんて、やっぱりヘリオス様が来る時だけだよね」
ロビーは見事なパニックに陥っていた。
全員が仕事を放り出して集まったため、ホーライの精鋭たちが勢揃いだ。
クロノスの傍らで涼しい顔をしている第一世代の姉さまたちは、
相変わらず「秩序」の体現者らしく、冷徹な眼差しで場を統制している。
館長秘書というより、もはや図書館の真の支配者の風格だ。
その横では、普段は大地の豊穣を司る第二世代が、
分厚い『時の書』を抱えて目を回しながらも、必死に床を磨いている。
季節を回す第三世代、さらには第四世代の十二ヶ月担当たちも、
主君であるヘリオスの到着に備え、
黄道データの最終チェックと清掃の二刀流でドタバタと走り回っていた。
「……ん? 一人足りないな」
カイロスが首を傾げた。
ちょうど正午。真昼の女神メセンブリアは、
今この瞬間も通信室に籠もり、
必死にヘリオスの黄金の馬車の運行をサポートしているらしい。
「よし、俺はチャンスの風を吹かせにでも行ってこよ!」
神々しい図書館の空気にはおよそ不釣り合いな、
黒いオーバーサイズのパーカーのポケットに両手を突っ込んで、
青年神は不敵に笑う。
耳のイヤホンを軽く指先で直しながら、
大学生にしか見えないその若き神――カイロスは、
文字通り風のようにその場からかき消えた。
あとに残されたのは、ほんの一瞬、
九月の冷ややかさを孕んだ金風の気配だけだった。




