第七十四話 地下牢から届いた証言
手紙の文字は途中から乱れていた。
地下牢で書いた者の手が震えていたのか、急いでいたのかは分からない。
ユリウスは紙を明かりにかざし、封印の跡と受け渡しの経路を確かめた。
「内容が正しくても、誰が持ってきたか分からなければ法廷では弱い」
看守が命を懸けて運んだという話だけで満足するわけにはいかなかった。
証言には、少女の搬送に関わった役人の名があった。
セレナはシーラにすぐ知らせようとして手を止めた。
彼女にとっては証拠の進展でも、少女にとっては過去の恐怖が戻る知らせだ。
母親と相談する時間を設け、説明はシーラが望む場所で行うことにした。
元院長は「すべて私が話す」
と申し出た。
だがユリウスは、本人が見ていない命令まで証言しないよう求めた。
「責任を取ることと、事実を増やすことは違います」
元院長は目を伏せ、知っていたことと推測したことを別の紙に書き始めた。
アーデリアは証人の保護先を公表しない方針を承認した。
王子の罪を暴くために証人を危険へ晒せば、同じことが繰り返される。
セレナは手紙を箱に納め、封印の番号を確かめた。
真実に近づくほど、守らなければならない命が増えていった。
地下牢から届いた手紙には、筆圧の強い箇所があった。
「私が命じたのではない」
と書かれた一行だけ、紙が破れかけている。
ユリウスは差出人の印章を確かめたが、セレナは先に尋ねた。
「この人は、今どこにいるの?」
証言が真実でも、書いた本人が生きていなければ反論を聞けない。
朝の鐘が鳴るより早く、仕事は始まっていた。
牢の石壁には湿気が残り、証言者の声は何度も途切れた。
記録係は言い直しを消さず、本人に確認してから筆を進めた。
牢番は証人の名を告げる前に、水差しを置いた。
証人の喉は乾いていたが、最初に尋ねたのは自分の釈放ではない。
「私が話せば、妹は安全ですか」
ユリウスは即答できなかった。
証人の宿の前に、見慣れない馬が繋がれていた。
ユリウスは証人を急いで移し、移送先を知る者を絞った。
証言の内容より先に、その人が明日も無事に目を覚ますことが大切だった。
セレナは「真実を話せ」
とは言わず、「話すかどうかはあなたが決めてください」
と伝えた。
守るという約束は、口先ではなく行動で示さなければならない。
帝国資料室。
シーラは、手紙に自分の名前があるのを見つけた。
「この人、私を運んだ兵士です」
シーラは、事件当日の人物関係を思い出した。
その結果、証言の空白が一つ埋まった。
王都地下牢。
元側近は、拷問を恐れながら手紙を書いた。
「命令したのは王子だ。私も従った」
元側近は、診療記録の焼却と少女の偽装搬送を記した。
その結果、看守が命がけで封書を持ち出した。
帝国審問室。
セレナは、証言だけで王子を断罪しないと決めた。
「私がされたことを、他人に繰り返したくない」
セレナは、物証と複数の証人の照合を要求した。
その結果、審問官たちは手続きを見直した。
王都の路地。
元院長は、隠れていた自分の過去と向き合った。
「今度こそ、逃げずに話す」
元院長は、公の場で証言するため帝国へ向かった。
その結果、追手がその足取りを追い始めた。
地下牢から届いた証言には、拷問を受けた者の名前と、命令を出した役人の名があった。
ユリウスは紙の端に残る血の跡を見て顔をしかめたが、セレナはまず証人が生きているかを確かめた。
証言を公表すれば追手が向かう。
二人は写しを別経路で送り、本人の居場所を記録から切り離した。
元院長は自分の沈黙も証言に加えると申し出た。
「私が知っていたことも、知らなかったことも話す」
セレナは赦しを約束せず、事実を残す責任だけを引き受けた。
朝の鐘が鳴るより早く、仕事は始まっていた。
証言の写しを二人の立会人が照合した。
言葉を取り違えれば、救うはずの証人を新たな危険にさらす。
手紙を運んだ看守は、受け取りの印を求めなかった。
名が残れば王国へ帰れない。
ユリウスはその事情を聞き、証拠の受領時刻と封印だけを別の記録に残した。
匿名のままでは弱い部分があることも明記した。
「弱さを隠した証拠は、あとで全部崩れる」
元院長は自分の証言を読み返し、曖昧な一文を消した。
誰から聞いた話なのか、実際に見たことなのかが混ざっていたのだ。
セレナは彼の修正を黙って見守った。
罪を軽くするためではなく、真実を正確に残すための作業だった。
夜、彼女はシーラの母親に手紙を書いた。
新しい証拠が見つかったことと、少女が望まなければ証言を急がせないことを伝えた。
証人保護のために用意した家には、窓を覆う厚い布が掛けられた。
看守はその暗さを嫌がったが、ユリウスは外へ出る時間を決め、護衛を付けることを約束した。
隠れる者にも暮らしがある。
安全を理由に自由をすべて奪えば、保護は別の拘束になる。
セレナは食事を運び、必要な薬がないか尋ねた。
証言を守ることは、証人を一人の人間として扱うことから始まった。
手紙の裏には、細い線で描かれた階段の数があった。
ユリウスは最初、地下牢の見取り図だと思った。
だが看守は首を振る。
「これは配膳の順番です。牢の食事を運ぶたび、私は階段を数えていた」
線が途切れる日だけ、配膳記録に空白がある。
その日付は、シーラの搬送を指示した文書が消えた日と重なっていた。
ユリウスは興奮を抑えた。
「一致したからといって、同じ人物が消したとは限りません」
看守は悔しそうに目を伏せる。
「では、私が見たことは役に立たないのですか」
「役に立ちます。あなたが見たことだけを話してくれれば」
ユリウスは配膳係の交代表を取り寄せた。
証言を大きく見せる必要はない。
小さな事実が独立した記録と重なるとき、初めて消された日の輪郭が現れる。
看守は証言録に署名した。
名前を残すことへの恐怖は消えなかったが、もう一度書き直すことはなかった。
看守が差し出した手紙には、牢の外でしか知り得ない日付が一つあった。
ユリウスはそこに印をつけ、伝令の記録と照合するまで誰にも読み上げなかった。
セレナは「本当なら、なぜ今まで黙っていたのでしょう」と尋ねた。
看守は顔を伏せた。
「娘を人質に取られていました」
その娘が今どこにいるのか、彼自身にも分からない。
証言の内容が真実でも、脅迫された者の言葉には混乱が混じる。
ユリウスは看守に思い出す順番を強いず、紙と水を渡した。
「今日話せるところまででいい」
夕方、別の帳簿から一致する搬送時刻が見つかった。
証言がすべて正しいと証明されたわけではない。
それでも、調べるべき場所が一つ明らかになった。
看守は証言の最後に、地下牢の灯りが消された時刻を思い出した。
ユリウスはその小さな記憶も記録した。
別の警備日誌と照合できるかもしれない。
大きな告白だけが真実を支えるわけではない。
夜の灯りや食事の時刻のような細部が、誰かの言葉を確かめる手掛かりになる。
ユリウスは受領記録の最後に、証人の居場所を書かなかった。
その情報を知る者は必要最小限に限る。
セレナはその判断に頷き、次の連絡を待つ間も診療所へ戻った。
証人は足音の数を問われ、三人だったと答えたあとで黙った。
「本当に三人ですか」
とユリウスが尋ねると、彼はうつむいた。
「二人かもしれない。暗かった」
記録係は最初の数字を消そうとしたが、ユリウスが止めた。
訂正した経緯まで残すことで、証言を後から都合よく整えた疑いを防いだ。




