ひょんひょろ付きの娘侍。【改稿版】(5)
相変わらず粥をチビリチビリとやっているひょろひょんは、口元を手で覆い小声で云った。
聞けば昨年の始め、飯井槻さまに突然呼び出されたひょろひょんは、急ぎ【碧の紫陽花館】に出向いたそうで、待って居た飯井槻さま付きの侍女頭である【妙義】殿に案内されて館の奥書院に入ったところ。
『やる』
そう出し抜けに飯井槻さまから申し付けられたそうで、書院の襖から姿を現したのが、あの娘であったらしい。え~と、なにそれ、どゆことなの?
《さあ?御社様に於かれましては、今日御出掛け先の道に落ちてたので拾われた。左様申しておれました。更には、侍として独り立ちできるよう傍に置き、喰わせてもやってくれとも申されておりました》
頭が、くらっと来た。
まるで、親からはぐれた犬か猫の仔の類を家にひょいと持ち帰った感覚なのか?しかも、それを速攻で家臣に下げ渡し侍とせよなどとは……。全くもって意味が解らん。
軽く目眩を催した兵庫介は兜の額辺りに手をやり、やや過呼吸になりながらも、なんとかかんとか気合で息を整え直して気持ちを落ち着かせたのだった。
《あの娘侍は【さね】と御社様に名付けられておりました。どうやら元の出自は武家か、さもなくば軍事も熟す他国の名主辺りの娘子のようでござりましたが、当人は何も申しませぬ故に詳しい経緯は存ぜませぬ》
「武家か名主のう」
《ですが端々の話から推察するに、恐らく家が戦で敗亡したのでしょう、致し方なく縁のあった旅芸人の一座に紛れこんで身を隠し、その後一座とも何かしらの理由で袂を分かち、流れ流れて此の国まで参ったものではないかと存じまする》
「まだ幼さが抜けきっておらぬのに、苦労をしたのだな」
兵庫介はひょろひょんの話に耳を傾けるにしたがって、後ろで呑気に欠伸している娘侍の身の上が哀れ感じ、ついつい目頭がジンと熱くなってきた。しかし、娘侍の名が【さね】と云うは何ともはや。またも頭がズキズキ刺すように、特にこめかみの辺りが痛くなってきてしまった。
だって【さね】ってねぇ、古語だと意味アレだよねぇ。アレ…。
兵庫介は、呆れ頭痛に耐えながら考える。
古今東西の書物が大好きで、しかも腹立たしいことに悪戯も大好きな飯井槻さまであれば、この娘の名を決めるのに自室でだらしなく寝ころんで、本を適当に寛げて、これが面白そうじゃ♪などと述べられて、脳直で決められたに相違あるまいなぁ~。
「まあいいや。儂には関係ない話だし『さね』当人が嫌がってなさそうだからな」
ちらり、兵庫介は岩にもたれ掛かり眠そうな『さね』を顧みる。
「で、お主は自身の同輩?であるにも係わらず、娘侍の詳しい遍歴について判らず仕舞いで済ませておると申すのか?」
《まだ人として幼いとは申せ、仮にも女性の遍歴を探る訳には参りませんので」
「…割合探っておるように思えるんだが?」
《あくまでもそこは推察ですのでご容赦を》
「さよけ、まあよい。しかし、お主の申す通り軍事も致す家の出ならば、それなりに家名を残さねばなるまい。となれば。侍になるのが一番だというは判らんでもないな」
腕組みし考え込む兵庫介に、ひょんひょろは思い出したように話をはじめる。
《そう申せば御社様はこうも申しておりました。『肌が合えばの、お主の身の回りの世話もさせてやればよいのじゃ♪』と、左様笑顔で申し付かりまして、以来、我が家では何かと重宝して使っておりまする》
「はい?」
《如何為されましたか?》
ああ、我らの【姫御前さま】は、とんでもなく馬鹿かも知れない。
あの頭が何かと涼やかなる御人は、茅野家の領域以外では猫をかぶるどころか、ごっそり中身ごと猫の皮を着込んでしまって美麗にお姫様をしているのだが、ひとたび自分の領域に入ってしまわれるや、華麗に着込んでおられる飼い猫をそこらに放し飼いになされるらしく、自らの本能の赴くまま、自堕落で無残で勝手気ままな毎日を過ごされるきらいがある。
その結果が娘侍【さね】の名前である。ああ、可哀想に。。
世に名高き、誰もがうらやむ高嶺の花で麗しの姫御前様とは、とても申せぬフザケタ御姿を真近で見たくもないのに見せられまくっている兵庫介としては、そんな飯井槻さまに【さね】なんて、淫靡すぎるにも程がある名を付けられた娘侍に、何やら憐れみを覚えてしまい、小腹が空いたら食おうと思っていた鮎の干物を懐から取り出し、そっと【さね】に手渡した。
「良いのか?」
「ああ、旨いぞ」
娘侍は兵庫介を見上げながら小さな両手で魚をわっしと掴み、すぐさま頭から咥えて、可愛らしい笑みを浮かべムシムシ頬張った。
「よしよし」
兵庫介は一心不乱で干物にかぶりつく娘侍を愛おしく感じ、おもむろに彼女のの頭を撫でようと、すっと伸ばした右手の指が髪に触れた。 瞬間!
「痛たたたぁー!!」
触れた右手から突如激痛がほとばしった。兵庫介は余りの痛さに耐え兼ねて声を上げてしまい、自らの手首を左手で掴みもだえた。
見れば、儂の小指を力一杯ひねり上げる【さね】が、口から魚の尻っぽだけを覗かせて物凄い眼で睨んでいた。
「あっちはこれでも一端の侍じゃ!左様気安く誰が髪に触れてよいと云った!」
「わ、悪かった、悪かった!もう一尾やるからその手を離せ!」
「お、まことか?」
ニッコリ満面の笑顔で表情を緩めた娘侍に、急いで懐中から干魚を取り出した兵庫介は、鷺か川鵜の様に大口を開けて待って居る【さね】に、ぽいっと魚を放り込んだ。
「もふふ♪許すのじゃ♪♪」
口をモゴモゴさせる【さね】は、兵庫介の不届きな働きに対して小首を可愛らしく傾げて許し、ようやく右手の小指から手を離した。
ああ、もう領地に帰りたい。
兵庫介は袖で滲む涙を拭きながら、くそう、くそう。と、心で地団駄を踏み悔しがっている。
隣では、この件に関して不介入を決め込んだ様子のひょろひょんが、未だにチビチビ粥を喰っており、背後では左膳らの配下の者どもが此方を指差し、さも楽し気に笑い転げている。