ひょんひょろ侍〖戦国編〗ひょんひょろの散歩(1)
旧・添谷家の居城であった【仙峰山城】を発した飯井槻は、にわか仕立ての軍勢五千を引き連れ【季の松原城】に着いて二日ほど過ごした後、旧・深志家の居城であった【柳ヶ《やなぎが》原城】へと足早に向かった。
目的は領内の治安の回復と、此の国の実権力が茅野家に移ったことを軍事力という力で以て示威する為であった。
茅野家の急速な国内平定であった為に致し方ないことであったが、此の国は連続して実力を持った家々が潰れてしまったが故、至極当然の話だが政情不安定な上に軍事的な空白地があちらこちらに出来てしまっている。
これを憂慮した紀四郎次郎が旧・穂井田家の領地を治めて回った話はした。
今は穂井田家の名跡を飯井槻の名のもとに継いだ【倉橋氏】と、あらたな領地として穂井田家の領地のほぼ半ばを飯井槻から頂戴した【印南家】が出向き、綱紀粛正と政治基盤の確立を任され、同じく領地を与えられた家々も任地に赴いたのは先ず、世情の安定化を図るのが賢明であると飯井槻から云われたためである。
つまりは百姓や職人、それと商人などの生活を武家のもめごとから解放し安定させて、農産物と様々な手工業製品の円滑な生産を促して、そしてこれらの製品を取り扱う商いの流通が滞らないよう気を領内の隅々《すみずみ》まで配る為であった。
かつて飯井槻の父親である【茅野六郎寿建】は、娘である飯井槻を諭していたとされる。
『よいかな千舟、国や領地を作り治めると云う事はの、そこに住まう人を仇や粗末には扱わぬと云う事じゃ。もちろん、悪さをする不埒者めらに容赦をしてはならぬが、そうでない者達には慈愛を以て接せねばならないのじゃ、さすれば、皆我らに福をもたらしてくれるじゃろうての♪』
地生えの土豪や民の支持が無ければ富を得られず、そうなれば国も些細な領地も成り立たず、政治も何もあった物ではないと優しい口調で教えたのだ。
読書家の飯井槻は、古今に存在した国々の史書を嗜みつつ、此の国を盗ったらその後どうするのかを考えて寝床でうとうとしていた時によく思い出しては懐かしみ、そして〝あの頃の〟春の日差しのようなヌクヌクとした温もりを感じながら、掻い巻きをよっせと抱え込んで眠るのが最近の日課になっていた。
実ははこれにもう一つ、旧・東の三家と旧・倉橋家は重要な役目を背負わされているのだが、それについては追々《おいおい》述べていこう。
さて、柳ヶ原城内に新たな新居を構えた飯井槻は、出来得る限り表に出て実地で各地の様子を見て回ると云う行動を行い、これを危険視した参爺らと…。
『此の情勢下で外に出るなぞ危険極まりない!!!不満分子も少なからずおるとの報告も参っておるのですぞ!!!』
『政の変化に不満を持つ輩がいるのは世の常ぞよ!ならばこそ、わらわが表に出て民草と親しく接して人心を安んじる方が得策なのじゃ♪わらわの命よりも大事ぞよ!』
『仰ってる意味がわかりませぬ!!!』
『なれば教えて進ぜようぞよ♪』
『!?!?!?』
『わらわが表に気さくに出れば三つの利点があるのじゃ♪わからぬか?本来なれば城なり館なりに壱岐守の如く閉じこもる方が、土豪や民草の世相や噂によって揺れる疑心を慰められるとおもうかや?』
『!!!』
と喧々諤々《けんけんがくがく》、揉めたり揉めなかったり、ひと悶着かふた悶着やり合ったあとに納得した参爺と、何よりひょんひょろの勧めもあって、少人数だが戦慣れした、それでいて笑顔が爽やかな武者たち(奇知左衛門をのぞく)が平装で付き従って身辺をさり気なく警護しながら、あちこちに足しげく楽し気に出向く運びとなった。
ひょんひょろはこの気さくな装いの、それでいて重要な行列には参加していない。
彼は、飯井槻の許しを得てぼんやりと、またまた気軽に散歩に出たためであった。




