ひょんひょろ侍〖戦国編〗夢を紡いだ家の行く先(6)
飯井槻は添谷家討伐後に十日ほど【仙峰山城】に滞在し、旗下の諸将に論功行賞を行いつつ旧添谷領に対する仕置きを行った。
論功行賞については以下のように決まった。
【東の三家】
飯井槻救出の功労と、季の松原城下の大掃除に活躍し、添谷家領への侵攻でも短時日で三千もの兵を揃えて参加した功績に報いるため、東の三家筆頭の【印南家】には旧添谷家の領地の南側半分、一万六千貫(三万二千石)が与えられ、【神嶌家】には穂井田家領の北側二割に、かつて配下だったものの深志家共々敗亡した土豪連中の土地を差し遣わしあわせて一万五千貫(三万石)となり、【河埜家】には、元は三家の領地だった東の国境の地に旧深志家の東境の領地だったところと、これまた深志家に与した所為で命も何もかも失ってしまった土豪らの領地を幾つか取り纏めた一万五千貫(三万石)を領するよう下命された。
即ち、新たな国主様のもとで……。という建前のもとで、此の国の実権を手中にした【茅野大膳大夫千舟】こと【飯井槻】の支配下において、此の国の惣貫高二十八万五千貫(五十七万石)もうち四万六千貫(九万二千石)が彼らの領有することとなった。
新たな領地を、それも国主家時代とは比較にならぬ多大な領地を頂戴した旧・東の三家の面々は、昔取った杵柄と云うか何と云うか、旧東の三家は今度から此の国の東西南北のうち、北側をのぞいた国境の防備を預かる職に就任した。
この気の利いた処置に武辺大好き旧・東の三家は喜び勇み、これでもかと飯井槻に深い感謝の弁を述べた後、この時期に当然予想される〝懸念事項〟に頭をよぎらせながら新たな任地へと手勢を率いてそのまま赴いていった。
【倉橋家】
添谷家の領地制圧とそれ以前の季の松原での蚤退治に活躍した(おおよそ兵庫介の手柄ではあるのだが)功績をたたえられ、国主家の二番家老だった【穂井田家】の名跡を継ぐことと、旧穂井田領の北半分と深志家に付き従った敗滅土豪の旧地を併せた一万五千貫(三万石)の領有が国主様の名によって保障され、【新・穂井田家】となった【旧・倉橋氏】は飯井槻に諭されるまま、よく言われた意味が解ってない顔をしてながらも、新たに自分の城となった穂井田家伝来の居城を目指して旧・東の三家と時を同じく同じ日に旅立っていった。
彼に貰った領地を旧・東の三家が与えられた領地を足すと、六万一千貫(十二万二千石)になった。
【垂水家】
上記四人の家と同じく、飯井槻から季の松原での飯井槻旗下の茅野勢救出における功績と、更には添谷家の残党を一網打尽にするという武勲を飯井槻に別室に呼ばれ絶賛された垂水源次郎正辰は、彼自身がビックリするような褒美、つまり垂水郡全域の守護代の地位と、その周辺に点在する旧深志家の家臣団の旧領八家分の領有までも許され、一気に八千貫(一万六千石)の身代を持つ小さいながらも一端の大名の身の上となってしまった。
垂水は、飯井槻から新たに自身のものとなった領地の目録を暫し眺めながら肩を震わせ、しかしそれでも、あれしきの働きごときで何故斯様な恩寵に与れるのか理解できず、以前に碌を食んでいた深志家に居た頃の自身の待遇状況と、茅野家における現在の待遇とを重ねて考える様子であった。
あの頃は、手柄を立てても感状か銭が多少入った袋か、もしくは五貫や十貫程度の領地を幾度か頂戴しただけであった。それなのに…茅野は…。飯井槻さまは……。
わからぬ。この御人は某に何を誉めそやし何を期待されて居るのか……まるでわからぬ。
垂水も旧・東の三家同様の武辺者の一角である。ただ三家と違うのは防備と奇襲が巧いところと、多少なりとも知恵が回るところであるのだが、この知恵が回ると云うところが彼の弁慶の泣き所で、知恵の落とし穴に落ちて仕舞う癖があった。考えても結論がその場で出て来にくい事柄を執拗に思い悩むという癖であった。
肩の震えは、左様に頭が混乱する彼の畏れであったと云えるかもしれない。
だが、その垂水の疲れ切った様子を心底から楽しんでみていた飯井槻はもっそり立ち上がり、どんな礼を述べたモノやら思考がこんがらがっている垂水の眼前にペタンと童女のように座ってこう囁いた。
「わらわはの、其方らの働きによって今日があると思うておるぞよ。其方に与えた褒美はその礼に報いるの、と…」
「と…?」
思わず身を乗り出した垂水は聞き返した。
探していた答えが得られるやも知れなかったからである。
その動作のせいで、更に飯井槻の体と顔が垂水の近くなってしまった。
ザッと、垂水はうしろに飛び退きバッと平伏した。目上の者(飯井槻の事である)に対する礼を失すると思ったからである。
そんな茅野家の家中では生中に見られない光景に飯井槻は、一瞬珍しいものを見た!とばかりに眼を真ん丸にしてから、ケラケラとひとしきり笑い。
「源次郎の忠誠しかとみた!今後も変わらずわらわに尽くせよ♪忙しくなるぞよ♪それがぬしを悩ませていた答えぞよ♪納得したかや?」
「ははっ!」
これは敵わぬ。
完全に飯井槻の力量を理解した垂水は、まるでここが城内の一室であるのを忘れたように額をぐいっと地面に擦るように板間にすり付けた。
全身に寒気を催す冷や汗が、首筋をまるで斬首する刃が皮と肉を割くような冷たさをもって流れていった。
此の国すべての土地を手に入れた、茅野家の当主・飯井槻はこう言ったのだ。
わかるな?無闇にわらわに逆らうと痛い目をみるぞ。ただし茅野と自分に変わらぬ忠節を誓うならば褒美は弾む。と、言っているのだ、と。
「納得してくれたかや?ならば重畳ぞよ♪」
またカンラカンラと飯井槻は笑い、やがて立ち上がり座に戻っていった。
そしてこう伝えた。
「東の三家の御歴々に倉橋どのも気付きもしなかった故、どうしたものかと思うておったが、流石は源次郎どの、よくぞ察せられたぞよ♪」
「ははっ!御褒めに与り有り難きしあわせ!!」
実際には東の三家も倉橋も場の雰囲気からそれと察しており、だからと云って新たな主従の契りを交わしたからには飯井槻様の御為に働かねばならじ。とばかりに、自身の領地に出立したとは飯井槻は露ほども漏らしはしないし、左様な事を感じるのは其方の勝手ぞよ♪とも思っていることも微塵も見せはしない。
だが、相変わらず深志時代の畏まった癖が抜けない垂水に、飯井槻は堪え切れぬ可笑しみを感じ、可愛くてたまらなくなってしまったのは隠さない。
「でのう、お主のその力量をかい、わらわから一つ頼まれごとをお願いしたいのじゃが、良いかのう?」
「な、なんなりと」
上目遣いで両の眼を覗き込むように、可憐な美少女がモノを頼んでくれるのだから垂水も悪い気はしない。
そして、手招きされるままに飯井槻の傍までにじり寄り、そのプルンとした柔らかそうな小さな唇から指示を聞いた。




