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ひょんひょろ侍〖戦国編〗夢を紡いだ家の行く先(3)

 そして飯井槻が座るであろう上座とは反対側、大広間に入る縁側の廊下側の西の端にひょんひょろが、そして東の端には添谷左衛門尉に使者と偽りたぶらかして取り押さえた殊勲の侍【奇知左衛門】を対面に置き、珍しくいつもの無表情さをかなぐり捨ててお澄まし顔でたたずみ(そんな気がする)、すっきりとした空色の直垂ひたたれを着込んで座っていた。


 奇知衛門も同様である。


 が、二人とも茅野の他の家臣のように血濡れてはいない。


 彼ら二人は片時も主君である飯井槻の傍を離れず、話し相手になったり(ひょんひょろ)、それと無く近辺にひそみ飯井槻の身辺警護に当って(奇知左衛門)いたのだ。


 無論、ひょんひょろ以外の茅野家の男共が血にまみれているのには理由があった。


 それは、大事な会議の前の露払い。…である。


 季の松原の地ならしの為、茅野家の軍事いくさごとつかさでおる戍亥太郎左衛門以下の諸将が先程まで立ち働いていたのだ。



 実は昨日、太郎左衛門らは気の松原を中心とした国主家が保持する領内で小戦こいくさを繰り返していた。


 理由は至極簡単。


 あらたな主として【茅野かやのの大膳だいぜんの大夫だいふ千舟せんしゅう】に仕官の口を求める者は良しとして、添谷家の当主である【添谷左衛門尉元則】と、添谷家の国母と呼んでいい【寿柱尼】を捕縛し手中に収めたとはいえ、いまだ気の松原城下には添谷家の残党が春秋しゅんじゅうしてうごめき、いなくなったあるじ(添谷左衛門尉元則の事である)を手分けして探し奪還を企む者。添谷が戦う前にあっさり敗れて稼げず、さりとてタダで帰る訳にもいかず、しからばひと稼ぎして帰らん!とばかりに城下で盗賊に成り下がり、城下の御町内を騒がせ、村々に押し入って金品や飯菜のたぐいの収奪や、果ては婦女子のかどわかしまで働き始めようとした。


 この行動を打ち砕く為である。


 当り前だが、当時は戦国の世が訪れていた時世である。


 左様な企みや盗人猛々しい振る舞いなぞ、飯井槻をはじめ茅野の武将どもの耳目じもくを騒がせるまでもなく、旗下に加わりたいもの在れば加わることを許し、歯向かう者、狼藉に及ぶ者あらば急襲し征伐して回っていたのだ。


 結果として、季の松原城下に参集する〝にわか造りの茅野の小軍〟は〝にわか造りの茅野の大軍〟へと、数だけはこの国最大の軍勢へと変貌を遂げるのだが、その他の、元添谷方の諸軍勢はことごとく、特に添谷左衛門尉元則と寿柱尼の救出を意思統一もままならず、勝手気ままに手当たり次第に市中を捜索して暴れはじめていた添谷の親族筋の小軍勢の群れをまず最初に打ち果たすと、茅野家に帰順の意思も示さず同じく市中や近場の村落に出向き、押し込みを働いていた所謂いわゆるやとわれの武装集団を蹴散らして季の松原城下を安定せしめてから三ノ郭の会議の場に参上しているので、戍亥以下の諸将は皆、揃いも揃って返り血に塗れているのだ。


 ひるがえって東の三家の当主の面々は、ひょんひょろ達と同じく血に衣服を汚してはいない。


 彼らは皆、最初に乗り込んだ先であったココ季の松原城内の治安を確保すべく自ら進んで飯井槻の御為に立ち働き、ろくすっぽ真面まともな抵抗をしようともしない国主家の侍共と、軍勢としては崩壊し逃げ散りながらもそれなりにあらがう姿勢を見せる添谷勢本隊を配下の小勢を使い突き崩し追い立てつつ、自身たちは揃って飯井槻がくつろぐ薬草園や新御殿にほど近いやぐらがある(添谷左衛門尉元則が登ったアノ櫓である)地にこじんまりとしたささやかな本陣を三人揃って構え、甲斐甲斐しく飯井槻の守護を務めて城内の鎮定を成し遂げた。


 この際、東の三家の振る舞いと、茅野家が事実上の此の国の主となったことを悟った国主家の将兵は同じく進んで添谷家の残党を追いかけ追い出し払い、今や、痴れっとした雁首を並べて三ノ郭の御殿の大広間に並んで座しているのだ。


 東の三家の当主は飯井槻が自身の警護をゆだね、此の国の国府である季の松原城の占領を飯井槻が連れてきていた軍勢の指揮権までも与えられ任せてくれたことに、心が震えるほど大いに感動している。


 通常であれば、飯井槻自身が直接掌握する茅野の軍勢を使うべき仕儀を、あえて東の三家に託し御城の鎮定を一任してくれた。


 ゆえに彼等は感動の矛は、を基本的にはえんもゆかりもない自分たちをありえないくらい引き上げ引き立ててくれる飯井槻の身辺警護に自発的に導き、彼女に対する絶対的な信頼を寄せたのは、この一件によってであったと云っていい。


 彼ら東の三家は【武辺】の家である。


 それが為、内政である家宰かさいをはじめ、おおやけまつりごとに関しても軍事に重きを置く傾向が目立ち、故に、【深志家】から圧迫を受けた際にも政治的な解決を最優先事項とするを良しとせず、すぐさま麾下に触れを出し一発かましてやろうと戦の準備を急いだ。


 だが、先に述べたように、東の三家が暴発。というか、暴発する様に工作していた【深志ふかしの壱岐守いきのかみ貞光さだみつ】見え透いた策略に簡単にはまり、頼みとする配下の土豪の中から深志に付く者共が現れるとはついぞ思わず、結局、軽挙に挙兵した挙句に裏切りにあい、やむなく居城へと立ち還り不本意ながら篭城する破目に陥った。


 これを救ったのは、飯井槻直属のひょんひょろの金銭と兵粮の取り計らいと、飯井槻の密命を帯びた鎗田伊蔵が現地に赴き戦に参加することで事態は彼らに好転した。


 武辺者である東の三家は、武辺者であるがゆえに自身たちを策略に嵌める者達を良しとはしなかった反面、自身の戦を支援し、そして自らも死地(東の三家には左様見えた)に飛び込むものに好感を抱いた。


 すなわち、深志家の面々とこれに与する親深志派の土豪連中が一堂に会した軍議に参加して、此の議を利用して内通させた垂水と彼の軍勢を用い、深志弾正をはじめとした深志家の首脳陣と土豪連中を鬼神の如き働きを一瞬だけ覗かせた神鹿兵庫介の〝兵法ひょうほうの巧みさ〟と、常に見えざる気を読んでいるひょんひょろの欺瞞の冴えによって残らず捕え、三万余の深志勢を戦もせずに一挙に瓦解させたのだ。


 これにより、深志家が謀っていた重囲の中に陥る予定だった東の三家の軍勢は救われ、逆に勢いに押されるまま包囲下の死地に飛び込んだ穂井田家は事実上滅亡した。


 実は策士の飯井槻としては深志側の戦略を読み切っており、逆にこれを利用することにより、わざと東の三家と穂井田家を小戦に勝たせて、勝たせることにより判断を狂わせ、自ら進んで死地に向かわせ深志の軍勢もろとも亡き者にしようと考えていたようである。


 が、事態が飯井槻の予想を裏切り、一両日分の時間を深志家の都合によって短縮されてしまい東の三家は派遣されてくる深志越前旗下の七千余の大軍に逆包囲される危難を逃れ、穂井田家は予定通り壱岐守旗下の本来の深志精鋭軍に粉砕された。


 この事実を知らない東の三家は今回も飯井槻の策に乗り、飯井槻の粋な計らい(気の松原の制圧を任された一件)に現在も感動し、飯井槻が参る大太鼓が鳴り響く中、健気にも平伏して彼女が現れるのを待っているのである。

 


 

 


 

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